(90) 神授の力
レオンが去った後、回廊には一時的な静寂が訪れた。
すると、エドリックがふっと小さく笑い、からかうような口調で言った。
「彼は武装派の代表格と呼ばれている人物だよ。」
「武装派……?」
サイラスは目を細め、先ほどのレオンの態度を思い返しながら、眉をひそめた。
「……手強い相手となろう。」
エドリックは答えず、ただ意味深な微笑みを浮かべたまま、サイラス自身が気付くのを待つかのようだった。
「アルジェロ家は古くから帝国の刃として知られ、代々軍権を握り、数多の戦で武功を立ててきました。」
ヒルベルトが淡々と付け加えた。
「レオン・アルジェロもまた、武装派の中核を担う存在です。彼が現れたこと自体は不思議ではありません……ただし、彼の行動は常に予測がつかない。」
サイラスは沈黙し、レオンの灰色の眼差しを思い返していた。
あれはまるで、伝説の真偽を確かめるかのような視線だった。
「……彼の目的は、単なる接触に留まらぬやも。」
そんな予感が胸をよぎる。
その時、ヒルベルトが一歩前に出て、サイラスに向かって静かに告げた。
「殿下、異世界の血統に関して、さらにご説明すべきことがあります。」
その眼差しは揺るぎなく、語調もまた拒絶を許さぬものだった。
サイラスはエレと一瞬だけ視線を交わし、軽く頷く。
「……案内してくれ。」
エドリックは肩をすくめ、まるで最初からこの展開を予測していたかのように微笑んだ。
やがて彼らは、奥まった応接室へと案内された。
応接室は、豪奢さは抑えられ、深みのある木製の家具と淡色の帷に囲まれた静謐な空間。
揺らめく蝋燭の光に包まれ、仄かに漂う書物の香りが、この場所が皇族と重臣たちの密談に使われる特別な部屋であることを物語っていた。
彼らはそれぞれ席に着いた。
エレとサイラスは並んで座り、エドリックは向かいのソファに無造作に腰を下ろす。
ヒルベルトは中央の席に静かに座り、一同を見渡した後、口を開いた。
「先ほど殿下がお尋ねになった異世界の血統に関して——」
その声は、いつものように感情を排した冷静なものだった。
「ハナ様の家系について、我々は既に詳細な調査を終えています。」
一呼吸置き、彼は続ける。
「家系譜と貴族記録により、ハナ様が男爵家の末娘であることは間違いありません。直系には異世界人の記録は存在しない。」
サイラスは静かに話を聞きながら、指先で肘掛けを軽く叩いていた。
「さらに言えば——帝国はここ数百年、異世界人に関する正式な記録を一切受理していません。」
ヒルベルトは淡々と告げる。
エレは眉をひそめ、静かに呟いた。
「……数世紀にわたり記録なきは、怪しきかな。」
彼女は幼い頃から、母莉奈が異世界の存在であることを知っていた。
エスティリア王国では、異世界召喚の儀式も秘密裏に行われていた。
ならば——帝国が記録していないというのは、意図的な隠蔽ではないのか?
ヒルベルトはエレの視線を受け止めたが、それには応えず、話を続けた。
「考えられる可能性は一つだけです。……ハナ様の家系に、異世界人の血が、遠い過去に交じった。」
その一言に、空気が凍りつく。
沈黙の波が応接室を満たし、サイラスは無言のまま、じっくりとその言葉を噛み締めた。
エレもまた、氷色の瞳をわずかに細め、思案に沈んでいた。
「そして、その血筋が、正統なる王家の血と交わった時——」
ヒルベルトの声は静かだが、ずしりと重い。
「“神授の力”を宿す子が生まれたのです。」
彼はそこで一瞬言葉を切り、慎重に言葉を選びながら続けた。
「しかし——」
ヒルベルトは低く続けた。
「本来、神授の力は後世に受け継がれないはずだった。」
エレは眉をひそめた。
「つまり、本来なら異世界の力は、血筋には遺伝しない?」
「その通りです。」
ヒルベルトは頷き、淡々と告げた。
「異世界人は、確かに異なる力を持っていますが、それが子孫に伝わる例は極めて稀です。帝国の長い歴史においても、その法則は一度たりとも破られたことはなかった。」
その言葉に、エレもサイラスも緊張を隠せなかった。
サイラスは微かに震えながら、まだ見ぬ真実を予感していた。
(ならば……なぜ俺には、この力が?)
彼の心に、答えを求める静かな渇きが広がっていった——。