(89) 獅子の試視
サイラスたちがエレ、エドリックと共に謁見室を後にした時、宮殿の回廊は静寂に包まれていた。
高くそびえる窓から陽光が差し込み、白と黒の石畳に柔らかな光を落とし、つい先ほどまで繰り広げられていた権力の交錯をまるで幻だったかのように照らしていた。
だが、その静けさの中で、最初に足を止めたのはエドムンド侯爵だった。
彼は振り返り、サイラスに向かって静かに言葉をかける。
「殿下、私はしばらく帝都に滞在するつもりです。」
一呼吸置いて、彼はさらに続けた。
「何かあれば、いつでも頼ってください。」
サイラスは彼と目を合わせ、その言葉の背後にある意味をすぐに理解した。
エドムンド侯爵の影響力は帝都において決して小さくない。
今後の情勢がどう転ぶにせよ、彼の支援は決して軽視できないものだった。
サイラスは軽く頷く。
「わかりました。」
エレは黙ってサイラスの隣に立ち、二人のやり取りを見守っていた。
氷のように澄んだ彼女の瞳に、わずかに思慮深い光が宿る。
彼女もまた、エドムンド侯爵の静かな存在感に、ただならぬものを感じ取っていた。
「ご助力、感謝いたします、侯爵様。」
エレは礼儀正しく頭を下げた。
エドムンド侯爵はエレに視線を移し、一瞬だけ、微かな笑みを浮かべた。
それはまるで、彼女に対する静かな評価を秘めたものだった。
最後にサイラスへと軽く視線を送ると、彼は踵を返し、数人の従者を伴って別の方向へと歩み去っていった。
再び回廊には静寂が戻る——だが、それも束の間だった。
「ついに拝顔の栄に浴した、殿下!」
陽気な声が静寂を破り、軽快な足音が遠くから近づいてくる。
その足取りは軽やかでありながら、妙な存在感を伴っていた。
サイラスが目を向けると、一人の男が大股で近づいてくるのが見えた。
銀白の短髪に、鋭く冷たい灰色の瞳。
その眼差しはまるで鋭利な刃のように、目の前のすべてを見透かすかのごとく、獰猛な光を宿していた。
口元には軽薄とも見える笑みを浮かべているが、その裏に隠された鋭い観察眼は隠しきれない。
この男——レオン・アルジェロ。
ヒルベルトの表情がさっと冷たくなる。
「アルジェロ伯爵、ここはあなたが立ち入るべき場所ではない。」
厳しい口調だったが、レオンは肩をすくめ、悪びれもせずに言った。
「申し訳ない。……でも、敵意はないんですよ。」
軽やかにそう言いながら、彼はサイラスとエドリックを見回す。
「サイラス殿下が帝都に戻られたと聞いて、待ち焦がれ、参上せし。」
エレはサイラスの横で警戒心を強めた。
彼女の直感が告げていた——この男はただ者ではない、と。
レオンは優雅な動作で礼を取った。
「エドリック殿下、サイラス殿下。心からの敬意を。」
その礼は見事なものだったが、彼の灰色の瞳には、終始飽くなき興味と値踏みする色が滲んでいた。
エレは小声でサイラスにささやく。
「……あの目、まるで獲物を狙う獣ね。」
ヒルベルトはさらに厳しい口調で続けた。
「アルジェロ伯爵、公式な面会申請なしにこのような無断接触は、帝都の規則に反する。」
だが、レオンはそれを意にも介さず、サイラスをじっと見つめ続ける。
その視線は、まるで目の前の若き王族を『品定め』するかのようだった。
サイラスは自然と眉をひそめる。
(……俺を値踏みしているのか?)
レオンはしばらくの沈黙のあと、にやりと口元を緩めた。
「……興味深きかな。」
呟くように言うと、彼はあっさりと身を引いた。
「まあ、歓迎されないなら、正式に申し込みましょう。」
そう言って一歩下がり、軽く頭を下げる。
だが、立ち去ろうとした瞬間、彼はふと立ち止まり、振り返った。
「サイラス殿下。」
その声は、わずかに含みを持つ柔らかな響きだった。
「必ず、改めてお話ししましょう。我々には……話すべきことが、たくさんありますから。」
意味深な言葉を残し、レオン・アルジェロは軽やかに回廊の向こうへと姿を消していった。




