(85) 隠された血の真実
ラインハルトはサイラスを見据え、深紅の瞳に捉えがたい感情を宿らせた。
そして、彼の視線はそっとサイラスの隣に立つエレへと向かう。
「お前が、蒼月の聖女リナの娘か。」
その声色には敵意はなく、むしろ微かな興味すら感じられた。
エレは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに冷静さを取り戻し、優雅に一礼する。
「エレノア・エスティリア、陛下に拝謁いたします。」
その声は揺らぎなく、堂々としていた。
氷のような蒼い瞳に、僅かな探るような光を宿し、問いかける。
「陛下は、私の母をご存知だったのですか?」
ラインハルトはしばし沈黙し、そして不意に低く笑った。
その笑い声は寝室の重苦しい空気に不釣り合いで、それでもどこか爽快さを含んでいた。
「リナか……あれは、稀有な女であった。」
彼はわずかに肩を揺らし、懐かしむような口調で続けた。
「異世界の理論だとか、誰も理解できない話ばかりして、まったく何を考えているのか分からなかった。」
軽く首を振りながら、かすかな笑みを浮かべる。
「聖女とは、もっと神聖で近寄りがたい存在だと思っていたが……彼女は実に頑固で、気難しくてな。かつて王宮の神官と大喧嘩をしたこともあった……手に余る女であった。」
ラインハルトの声には、わずかだが親しみすら滲んでいた。
敵意や軽蔑ではない。
むしろ、長年手を焼きながらも、どこか愛着すら感じさせるような響きだった。
その柔らかな空気は、寝室の重圧を一時的に和らげた。
サイラスは驚いた。
かつて幼き日に見たあの冷酷な「鋼鉄皇帝」が、こんな声色で誰かを語るとは——
彼の胸中に、幼少期の記憶との微かな齟齬が生まれる。
ラインハルトはサイラスの微細な表情の変化に気付き、微笑を浮かべた。
「大きくなったな。」
サイラスは我に返り、室内の視線を一瞥した。
エドムンド侯爵、そしてエドリック。
エドリックは肩をすくめ、穏やかに笑った。
「幾度も告げたはずだ? そろそろ帝都に戻れ、と。」
サイラスは短く沈黙し、それを認めるように視線を伏せた。
確かに、エドリックはこれまでにも何度か帰還を促していた。
だが、あの時はただの試し、あるいは軽い誘いだと思っていた。
エドムンド侯爵も静かに頷く。
その眼差しには、認めるような、あるいは待ち続けた者の静かな情があった。
ラインハルトは体をわずかに起こし、サイラスをじっと見据えた。
声色は低く、どこか掴みどころのない響きを孕んでいた。
「お前に真実を話す機会を、ずっと探していた。」
サイラスはただ静かに耳を傾ける。
「お前はずっと、私がその血筋を疎ましく思い、帝国外へ追いやったと思っていたな。」
ラインハルトは一拍置き、深紅の瞳を細めた。
「だが、それは表向きの理由だ。
本当は——お前を守るためだった。」
寝室の空気が一段と重たくなる。
サイラスの眼差しがわずかに揺らぐ。
「お前が生まれた直後から、帝国の内部では、お前に異世界の血が流れているかを探ろうとする動きがあった。」
ラインハルトの声は冷たく、そして静かだった。
「異世界の力を手に入れようとする者たちは、お前を標的にし、研究材料にしようとしていた。」
サイラスは眉をひそめた。
異世界研究——
確かに、帝国では表向き禁止されながらも、密かに続けられてきた禁忌の領域だ。
だが、それが自分に直結していたとは——
「だからこそ、私は決断した。
リナの元へ、お前を預ける。
彼女なら、お前を守れると信じていた。」
ラインハルトの声に、一片の後悔もなかった。
「同時に、敵国への送還は、帝国内の目を逸らすためだった。
お前は、あえて『捨てられた存在』と見せかけられた。
……そうしなければ、お前は生き残れなかった。」
その事実は、サイラスの胸に重くのしかかった。
エレがそっと彼を見た。
何も言わず、ただその瞳に、微かな不安と信頼を滲ませて。
サイラスは心を落ち着かせ、冷静に問いかける。
「……なら、俺は何なんだ?
異世界の血を持つ者なのか?」
彼の声は落ち着いていたが、その奥底には切実なものがあった。
ラインハルトはその問いにすぐには答えず、ゆっくりと視線を宮廷総管へと移す。
「——その答えは、また後にしよう。」
あたかも全てを掌握しているかのように、
鋼鉄の皇帝は、静かにそう告げた。




