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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
皇帝

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(84) 鋼鉄の視線

 サイラスの足取りは、回廊を進むにつれてさらに確かになっていった。

  しかし、彼の視線はわずかに鋭さを増す——

  この道は、通常の謁見の大広間へ向かうものではなかった。

  進んでいるのは、王城のさらに奥——


 ——皇帝の「寢室しんしつ」。


 この場所は、一般の者どころか、ほとんどの王族ですら足を踏み入れることを許されていない。

  こここそが、帝国の真の権力中枢——

  ラインハルト・ノヴァルディア、「鋼鉄皇帝」が直接決断を下す、聖域であった。


「正式な会議とはいえぬな。」

  サイラスは低く呟き、わずかに皮肉を込めた。


「お前が望む正式な場は、未だ訪れぬ。」

  エドリックは微笑みを浮かべながらも歩を止めずに言った。

  「今回の召喚は、最も近しい者——あるいは、最も重要な者だけに許されたものだ。」


 サイラスは何も言わず、わずかに目を細める。

  最も重要な者——

  それが事実なら、ここに集う者たちは、帝国の内政と軍事を左右する核心の人物たちということになる。


 扉の前には、黒衣に金の紋章をあしらったマントを羽織る禁衛軍が立ち並んでいた。

  サイラスたちが近づくと、彼らは一糸乱れずに道を開け、無言で通した。


 エドリックが手を伸ばし、重厚な扉を押し開けた。

  中から冷たく沈んだ空気が流れ出す。


 寢室の中は薄暗く、銀の燭台に灯された蝋燭の火が、石造りの床と重厚なタペストリーを照らしていた。

  中央には巨大な寝台が置かれ、そこに一人の男が横たわっている——


 帝国の君主、ラインハルト・ノヴァルディア。


 病床にありながらも、その威圧感はまるで鋼の如く揺るがない。

  金髪に銀糸が交じり、深紅の瞳にはなおも鋭い光が宿っていた。

  彼は病に伏せる老人ではない。

  未だに、戦場の支配者たる存在感を放っていた。


 ラインハルトは寝台に背を預け、胸の前で手を組み、サイラスとエレを静かに見つめた。

  この寢室は、宮殿のどの場所とも異なる。

  華美な装飾もなければ、儀礼的な荘厳さもない。

  ただ、冷たい石壁と、重い静寂、そして張り詰めた空気だけがそこにあった。


 皇帝の側には、二人の重要な人物が控えていた。


 エドムンド・ブレスト侯爵——サイラスの養父であり、帝国侯爵にしてラインハルトの側近。

  深い藍色の貴族服を纏い、余計な飾りを一切排した姿は、変わらぬ沈着さを示していた。

  サイラスが現れると、一瞬だけその目に感情が走ったが、すぐに元の静かな表情に戻った。


 そしてもう一人、帝国宮廷総管。

  濃紅の長衣をまとった中年の男で、鋭い目を光らせながら静かに立ち、ただ待っていた。


  ——皇帝とサイラスの対面、それだけを。


 エドリックは寝台の向こう側へ回り、皇帝の反対側に立つ。

  その赤い瞳には冷静な光が宿っていた。

  彼は何も言わず、手でサイラスに促す。

  一切の無駄を排した動き。


 寢室の空気は重く、息を呑む音さえ聞こえない。


 ——全員が、この瞬間を待っていた。

  それは、とうの昔から決まっていた運命の時だった。


 サイラスは扉の前で一度立ち止まり、記憶を呼び起こす。

  幼い頃、大広間で初めてラインハルトに謁見した時の記憶。


 高い王座に座る冷ややかな皇帝。

  あのとき、父から与えられたものは、愛でも認知でもなかった。


 ただ一言。


「王子をエスティリアへ送れ。」

 ——そして、彼は敵国の人質となった。


 胸の奥に、今もあの幼い日の痛みが残っていた。

  サイラスの足がわずかに止まる。

  心が、締め付けられる。


 だが、そのとき。

 そっと彼の手を握る者がいた。


 エレ。


 彼女の掌は小さく、柔らかく、だが何よりも確かな力を宿していた。

  サイラスが振り返ると、エレはただ静かに彼を見つめていた。

  氷のように澄んだ青い瞳が、何のためらいもなく信じていることを告げていた。


 ——大丈夫。あなたなら、前に進める。


 サイラスは、呼吸を整え、心を鎮める。

  過去の亡霊を、心の奥底へと封じ込める。


 彼は歩みを進めた。

  かつて彼を拒絶した父の前へ、今は自らの意志で。


 寝台の傍らに立ち、まっすぐに皇帝を見据える。


 ラインハルト・ノヴァルディアの深紅の瞳がサイラスを射抜いた。

  その視線には、歳月による衰えなど一片もなかった。


 だがサイラスも、もう幼い少年ではない。

  一歩も引かず、冷静にその視線を受け止めた。


 やがて、皇帝の口が静かに開かれる。


「……ようやく来たか。」

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