(83) 盤上の光と影
朝陽が高い石柱の隙間から差し込み、白亜の宮殿の壁を淡い金色に染めていた。そこには、帝国の荘厳と威厳が静かに佇んでいる。
サイラスとエレは、深紅の絨毯が敷かれた長い廊下を、迷いのない足取りで歩んでいた。
エレの姿は優雅で、銀白色の長い髪が肩の後ろに滑らかに流れ、その髪には微かに青紫の光が宿っていた。
彼女の氷のように澄んだ蒼眼は輝き、揺るぎない決意を秘めている。
耳元で揺れる琥珀石のピアスは、陽光を受けて金色の炎のように輝き、彼女の白い肌を引き立てると同時に、その決意の象徴となっていた——彼女はサイラスの隣に立つことを、迷わず選んだのだ。
そして彼女と並んで歩くサイラスは、変わらず冷静沈着だった。
華美な貴族の衣装ではなく、彼は濃い色の軍服を選んでいた。過剰な装飾はないが、その存在感は誰にも無視できない。
二人が広間に足を踏み入れると、そこには一人、中央に立つ影があった。
——エドリック。
帝王の風格を纏うその男は、窓から降り注ぐ金色の光を背にしていた。
エドリックの金色の髪は陽光に染まり、赤い瞳は深い琥珀のように光を宿している。
彼の立ち姿は揺るぎなく、まるで城砦そのもの。身にまとう深紅の宮廷服には、帝国の紋章が金糸で織り込まれ、彼の揺るぎない権威を象徴していた。
エドリックの視線がエレの耳元の琥珀ピアスに一瞬留まり、口元に微かな笑みを浮かべたが、何も言わなかった。
「意外だな。こんなにも早く覚悟を決めるとは。」
エドリックの声は穏やかだったが、同時に圧を帯びていた。
エレはその視線をまっすぐ受け止め、静かに応じた。
「私の決意に、誰かの評価は必要ありません。」
エドリックは小さく笑い、サイラスに目を向けた。
「お前が来たのは、ただ父上に挨拶するためだけではないだろう?」
サイラスは視線をわずかに逸らし、落ち着いた口調で返した。
「この宮殿に足を踏み入れる者は、皆何らかの目的を持っている。
だが、俺が権力争いのために戻ったわけじゃないことくらい、お前なら分かっているはずだ。」
エドリックはゆっくりと頷き、探るような目を細めた。
「だが、今の情勢はお前が思っているほど単純ではない。」
彼は一歩前に出ると、声を落として告げた。
「お前が昏睡している間に、ラファエットが動き始めた。」
サイラスは表情を変えず、黙って次の言葉を待った。
「奴は辺境に噂を流している。
異世界の血が、帝国に‘神の時代’をもたらす、と。」
エドリックの声は静かだが、確かな重みを持っていた。
「同時に、武装派とも接触を始め、完全に取り込もうとしている。」
「……武装派は俺の勢力じゃない。」
サイラスは静かに答えた。
エドリックはふっと笑みを浮かべた。
「だが、彼らはお前を旗頭に据えたがっている。……もう、お前自身の意志ではどうにもできない段階だ。」
サイラスは反論しなかった。
この権力の盤上では、ただ望んだだけでは局外者ではいられない——それは理解していた。
エレはそのやり取りを黙って聞いていたが、眉をひそめた。
「つまり……ラファエットの狙いは、聖女だけじゃない。帝国の内部にまで根を張ろうとしているのね?」
エドリックは一瞥をくれ、その洞察に小さく頷いた。
「さすがはエスティリアの王女だ。察しがいい。」
エレは答えなかったが、その胸の内には確かな警戒が宿っていた。
——ラファエットの野心は、遥かに深い。
サイラスは短く思案し、エドリックに目を向けた。
「それを俺に話すのは……俺の立場を試しているのか?
それとも、何か行動を求めているのか?」
エドリックは肩をすくめ、口元に薄い笑みを浮かべた。
「単なる知らせに過ぎぬ、サイラス。
このまま傍観を貫くつもりなら、意に介さずともよし。
だが——局面を変えたいなら、そろそろ選択を迫られるだろう。」
サイラスは応えず、ただ静かに皇宮の奥へと視線を向けた。
高窓から射す光と影が交差し、その境界に彼は立っていた。
エドリックは軽く手を振り、侍従に指示を出した。
重厚な扉が音を立てて開かれ、宮殿のさらに奥、帝王の玉座へと続く道が現れる。
「父上が、お前を待っている。」
その声は命令ではなく、静かな許可のようだった。
「覚えておけ。これはただの謁見ではない。」
サイラスは小さく頷き、何も言わずに、帝国の中心へと歩みを進めた。




