(79) 瞳に映る真実
サイラスが客間に足を踏み入れた瞬間、エレはすぐに駆け寄ってきた。
後ろにはリタがぴったりと付き従っている。
二人はただ、向かい合って立っていた。
余計な挨拶もなく、言葉を交わさずとも、お互いの存在を確認できるほどに、その距離はすでに近くなっていた。
エレはサイラスを見つめ、そっと口を開く。
呼び方に一瞬迷いがあったようだが、ついに言葉を紡ぐ。
「……サイラス殿下。」
その呼び名に、サイラスは眉をひそめ、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「へえ……もう知ってたんだ?」
エレは答えず、ただ静かにうなずく。その瞳には真摯な想いが浮かんでいた。
「大丈夫だったの? 何日も……意識がなかったって。」
本当は軽く流すつもりだったサイラスだったが、彼女の眼差しにふと口調を変えてしまう。
「……生きてるよ。」
その一言に、エレはほっとしたように微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、サイラスの胸にふと奇妙な感覚が生まれた。
彼女は、少し変わった。
以前よりもどこか自然体で、気負いのない穏やかさがあった。
そのまま、エレは静かに言った。
「もう……わかったの。」
「何が?」サイラスが戸惑ったように問い返す。
「どうして私の中に“エドリック”の記憶がほとんど残っていなかったのか……ずっと不思議だったの。」
エレはそっと顔を上げ、サイラスの琥珀色の瞳を見つめた。
「でも、今ならわかる。あの頃の私はまだ幼くて、“エドリック”と一緒に過ごした時間には、深い感情の結びつきがなかった。
ただ、それだけだったのよ。」
その声は落ち着いていて、どこか納得したような響きを帯びていた。
まるで長く続いた疑問が、ようやく腑に落ちたかのように。
「でもね……」
彼女は少し笑って、肩をすくめるように言った。
「この旅で、はっきり気づいたの。」
サイラスはただ、言葉を失ったまま、彼女の言葉を待った。
エレの瞳は柔らかく、それでいて凛とした光を宿していた。
「あなたはずっと私のそばにいてくれた。
私の好きなものを一緒に食べて、旅の道を共に歩いてくれた。そして何より……」
彼女は少しだけ言葉を止めて、微笑んだ。
「あなたの目は、決して私を“亡国の姫”として見ていなかった。
哀れみも、義務もない。ただ“エレ”という一人の人間として見てくれてた。」
「来てくれて、ありがとう。」
そう言って、彼女は静かにサイラスを見つめた。
返事を待っていた。
サイラスはしばらく沈黙したまま、妙に胸が高鳴るのを感じていた。
理性では冷静を保つべきとわかっていながら、この言葉は、彼の中の何かを確かに揺さぶっていた。
……これはいかなる言葉か?
しかも、この場面で?




