(71) 絶望の包囲
一人の護衛が火種を銅管に近づけた——
その瞬間、サイラスが動いた。
砂を蹴り上げ、一気に間合いを詰める!
誰もが目を見張るほどの瞬発力。ラファエットですら、思わず瞳孔を拡げた。
火口から火花が閃き、轟音が響いた。 弾丸がうなりを上げて飛ぶ。
しかし、反動により狙いがずれ、弾はサイラスの足元の石を砕くだけに終わった。
「遅い!」
叫びと共に、サイラスは敵の手首を掴み、武器を奪い取る!
「クソッ!」
別の護衛がすかさず引き金を引く!
火口から火花が閃き、轟音が耳を裂く。
だが、サイラスは自らが倒した護衛の体を盾にして——
「ッ!」
肉が裂け、血が舞う。
弾丸は護衛の胸を貫き、同時にサイラスの脚をかすめ、鋭い痛みが走る!
火煙が血の臭いと混じり。
だが、彼の瞳は揺るがない。
——これが、“人間の身体を容易に貫く”威力か。
そして、彼は見極めた。
——これらの武器は、近接戦闘には向かない。
他の護衛たちは銃口を向けるも、味方に被害が出ることを恐れて撃てない。
サイラスは火器の構造を素早く確認する。
装填が複雑、しかも単発式——連射はできない。
これは、致命的な欠点。
「ノイッシュ、アレック!下がれ!」
その声に即座に反応し、二人は後方へと退く。
サイラスは奪った銃を無造作に地面へ投げ捨てた。
金属音が響く中、彼は唇を歪め、冷たく笑った。
「……さすが帝国の狩人。」
ラファエットが目を細め、皮肉混じりに言う。
「思った以上にしぶといですね。」
だがその笑顔は、徐々に冷たさを帯びていく。
「しかし、どれほど腕が立とうと……たった一人で守れるものに限界はある。」
彼の視線がゆっくりと、エレとリタの方へ向けられた。
その意味するところは、あまりにも明白だった。
「陣を組め。」
その一声で、護衛たちは即座に動く。
前列は跪き銃を構え、後列は剣を構えして立ち上がる。
煙と血の匂いが戦場に充満し、空気が凍りつくような重さに包まれる。
「もう、遊びは終わりにしましょうか。」
サイラスは、静かに戦場の中央に立っていた。
その背には、エレとリタ。
そして彼の前方には、再編成されたサルダンの護衛部隊が、鉄のような陣形を敷いていた。
もはや先ほどの混乱とは違う。
今や隊列は整然とし、肩を並べる兵士たちが、冷徹に銃口をサイラス一人に向けている。
——明確な、処刑体勢。
どんなに回避に長けた彼でも、この封鎖を突破し、後ろの者たちを無傷で連れ出すことは不可能に近い。
たとえ彼が初弾を直感で躱せても——エレとリタは、容赦ない弾雨の中に晒される。
脳裏に稲妻のような思考が走り続ける。
だが、状況を覆す“鍵”は、見つからない。
彼は深く息を吸い、無意識に左目へと手を添えた。
その指先に、冷たく沈んだ絶望が這い上がってくる。
「……はははは……」
澄んだ笑い声が、静寂を裂いた。
ラファエットが、護衛たちの後方で悠然と佇み、勝者の余裕を顔に浮かべながら口を開く。
「どうした?もう諦めたのかい?」
彼はくすくすと笑い、軽薄な調子で言った。
「やっぱり君は賢いな、カイン様——いや、サイラス・ノヴァルディア殿下、と呼ぶべきかな?」
サイラスの指先がわずかに震えた。
だが、彼は一言も返さなかった。
ラファエットはまるで旧友と会話でもしているかのように、緩やかに語り続ける。
「私ね、昔から“選択肢”を与えるのが好きなんだ。」
そう言って、一呼吸置き、にやりと嗜虐的な笑みを浮かべた。
「今ここで、君が私に『頼めば』——私は君の“仲間たち”を見逃してあげてもいい。」
「そうすれば、この小さな事故も、本来の計画通りに戻せるかもしれない。」
その声は穏やかで丁寧、けれど明確に「嘲笑」と「命令」の温度を孕んでいる。
「エレ嬢にはサルダンに戻っていただく。彼女には、母親の“偉大なる遺志”を継いでもらわなければならない。」
「真の聖女として——神より賜われし力を、この世界に捧げる存在として。」
「その尊い血は、一人のものに留めておくには、もったいない。」
ラファエットはゆっくりと顔を上げ、言葉の最後に氷のような宣告を落とす。
「そして君は——この地で死ぬ。」
「君の存在は危険だ。帝国に戻られても困る。混乱の種になる前に、消えてもらうのが一番だよ。」
その一言一言が、刃のようにサイラスを切り裂いていく。
サイラスは沈黙を貫いた。
左目にかけた手の指は、白くなるほどに力を込められていた。
外見こそ冷静を装っていたが、胸の奥には重くのしかかる圧迫感が広がっていく。
風は止まり、大地すら息を潜める。
——世界が、静かに緊張で凍りついた。




