表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
沈黙の誓い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/194

(61) 悪役の嘲笑

 エレが客間を出た直後、思考を整理する間もなく、前方から軽やかな足音が響いた。顔を上げると、華やかな長衣の裾が優雅に揺れ、カミラがにこやかに近づいてきた。


「まあ、これはこれは。エスティリアのエレノア姬殿下ではありませんか?」

  カミラは微笑みながら、軽い口調で言った。

  「どうしたの? あまり嬉しそうには見えませんけど?」


 エレは心の中で緊張を覚えつつも、冷静な表情を崩さずに答える。

  「カミラ嬢。」


「聞きましたわよ、」

  カミラの口元がわずかに吊り上がる。

  「エレノア姬殿下は“自分の身”を取引材料にして、帝国の支援を得ようとしたとか?」


 エレの表情がわずかに強張り、目を細めて冷たい声を返す。

  「……何のことかしら?」


「とぼけても無駄よ。」

  カミラは指先で髪を軽く払いながら言う。

  「この屋敷中、誰もがこそこそと噂してることよ。」


  彼女は一歩近づき、声に皮肉をにじませた。

  「でも残念ね、体を売っても成果ゼロ。無駄足だったんじゃないかしら?」


 エレの指が無意識に拳を握りしめ、爪が手のひらに食い込む。怒りを抑え、静かに言葉を選ぶ。

 ——カミラ。表では優雅な淑女を装っているくせに、実際は……


「……これがマミーの言っていた——“悪役令嬢”ってやつかしら?」

  エレの脳裏にそんな言葉がよぎった。


「……今、何か失礼なことを考えてたでしょう?」

  カミラは目を細め、エレの表情の変化を見逃さなかった。


 エレは深く息を吸い、口調を落ち着けて言った。

  「私は王太子殿下と正式な交渉のために来たのです。無駄な噂話に付き合うつもりはありません。」


「正式な交渉?」

  カミラは穏やかな笑みを浮かべたまま、まるで妹に説教するかのように言う。

  「姬、本気で“自分に選択肢がある”とでも思っているの?」


 エレの瞳がわずかに揺れた。


 カミラは顎に指を添えて冷たい微笑を浮かべる。

  「王太子妃も、王妃の座も、あなたの手には入らない。」


「どういう意味?」

  エレは声を低くして尋ねる。


「簡単なことよ。あなたは国を失った亡国の姫。政治的価値もまだ確立していない。今のあなたは“帝国を利用したいだけの小物”に過ぎないの。」


 カミラの目が鋭く光る。

  「だから、ごめんなさいね。私はあなたのような存在を見過ごすつもりはないの。」


 エレは冷静な表情を保ちながら、目の奥に氷のような光を宿した。

 ——彼女は自分を“未来の皇后”だと信じて疑っていない。


「……その言葉、まだ早すぎるんじゃないかしら?」

  エレは顎を少し上げ、怯まぬ声で応じた。


「では、楽しみにしていましょう。エレノア姬殿下。」

  カミラは冷笑を残し、くるりと背を向けて去っていった。長衣の裾が静かに揺れ、仄かな香りを残して。


 エレはその場にしばらく立ち尽くし、深呼吸して心を落ち着けた。


 ——交渉は、まだ終わっていない。


 ◆ ◆ ◆ 


 エレは案内役に従って歩きながら、どこか足取りが重くなっていた。

  自分は追い払われたと思っていたが、案内されたのは外ではなく、別の、より格式高い客間。


 扉が開かれた瞬間、眩い光が差し込む荘厳な空間が広がっていた。白と金を基調とした装飾、神聖さを感じさせる空気。そして、その空間の中心に座っていたのは——


 サルダン神聖国の大司教、ラファエット・エーベルラン。


 彼の存在はまるでこの部屋そのものだった。余計な装飾は一切なく、それでいて圧倒的な威厳を漂わせる。雪のように白く滑らかな髪、透き通るように白い肌、彫刻のように整った顔立ち。

 そして、感情を見せぬ氷のような蒼い瞳が、まっすぐにエレを見つめていた。


 エレは昨夜の宴を思い出す——この男はいた。

  だが、紹介されることなく、ただ遠巻きに周囲を観察していた。


 今、こうして二人きりで対面するということは──エドリックの差し金だ。


 エレは慎重に礼を取る。


 ラファエットはすぐには応じず、静かに彼女を見つめていた。

 その目は、まるで稀少な聖遺物でも見るかのようだった。そして、口元に静かな笑みを浮かべる。


「エスティリアの王女……いや、“蒼月の聖女の娘”と呼ぶべきでしょうか?」

 その穏やかで柔らかな声は、まるで古き福音の詠唱のように響いた。


 エレの背筋が緊張で固まる。

 その一言は、彼女の正体を暴いただけでなく、「聖女の血」に対する興味をあらわにした言葉でもあった。


 サルダン神聖国の教団が、長年エスティリア王族による“聖女召喚の独占”に反発していたことは、彼女も知っている。

 彼らは神の祝福を“信仰者”に返すべきだと唱え、今回の政変にも関わっているという噂さえある。


「私のことを、よくご存知のようですね。」

  エレは唇を引き締め、冷静に答える。


 ラファエットは静かに書物を閉じ、ほほ笑んだ。


「ええ。あなたの存在は……我々にとって、計り知れない価値があります。」


 エレの胸が強く締めつけられた。


 ——この対話こそが、本当の始まり。

  そして、自分は今、より深い“盤面”に踏み込んだのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ