(49) 視線の交錯
エレが宴の大広間の入口に立つ頃、すでに会場は華やかな熱気に包まれていた。
煌めく吊り燭台が天井に輝き、金色の燭光が大理石の床に反射し、貴族たちは優雅に杯を交わしながら談笑している。
優雅な音楽が会場を包み込み、まるでこの祝宴を彩る壮麗な序曲のようだった。
高壇の上で、カミラがゆっくりと杯を掲げる。
「皆様——これより、誓約祭の宴を正式に開きます。」
彼女の宣言とともに、貴族たちは杯を掲げ、祝宴の幕開けを高らかに称えた。
歓声が響き、華やかな雰囲気が最高潮へと向かう——
その瞬間、
大広間の扉が再び開かれた。
一人の舞姫が、静かに足を踏み入れる。
銀藍色の衣装が微かに揺れ、淡い光を纏う。
歩みは軽やかでありながら、どこか凛とした威厳があった。
その存在は、ただの舞姫とは思えぬほど、目を惹きつけるものがあった。
揺れる琥珀のピアスが、煌めく光を反射しカミラは微笑みながら、優雅に紹介する。
「皆様、今宵の宴に彩りを添える特別な贈り物——異国の舞姫、エレ様です。」
貴族たちの視線を集める。
音楽が流れ出す。
エレはゆっくりと舞踏の中心へ向かう。
深く息を吸い、目を閉じる。
——すべての視線を、この身に集めるために。
音楽が突如として切り替わる。
エレの足が、軽やかに床を蹴った。
彼女の身体は旋律に呼応し、流れるように舞い始める。
長衣の裾が空気を切り、宙に咲いた一輪の花のように優雅に揺れる。
その動きは、軽やかでありながらも異国の情感を宿していた。
一歩一歩が、まるで異郷の風が夜を撫でるように。
旋回するたびに、観る者を引き込む魔性の美しさを放つ。
これはただの舞ではない。
彼女の存在を示す宣告。
——私はここにいる。
エドリックは必ず、この姿を見る。
エレは流れるような動きの中で、広間を見渡した。
そして——
彼女の視線は、一対の鋭い紅い瞳と交錯する。
エドリック・ノヴァルディア。
王太子。
彼は、静かにエレを見つめていた。
広間に響く楽の音。
エレは燭光の下で回り続ける。
そのすべての動きが、洗練された優雅さを帯びていた。
銀白の髪が、微かな光を帯びながら夜気を舞う月光のごとく揺れる。
耳元で煌めく琥珀石のピアスは、まるで燭火に映える一等星。
誰の目にも焼きつくように、そこにあった。
この瞬間、
三つの視線が、交錯する。
王太子は、静かに紅の液体を満たした杯を指で転がす。
その表情は変わらない。
ただ、紅の瞳がわずかに陰る。
彼は、この舞姫を知らない。
だが——
耳元で揺れる琥珀の輝きが、どうにも気にかかる。
琥珀。
それはノヴァルディアにおいて、皇権の象徴であり、皇族にしか許されぬ宝石。
なぜ、彼女はそれを身につけている?
偶然か?
それとも、何かを意図してのことか?
彼の指が、杯の縁をなぞる。
紅の瞳が、わずかに細められる。
その表情の奥には、冷静な審視とわずかな警戒が滲んでいた。
しかし、それと同時に——
彼は、彼女の纏う異国の気配に、微かな既視感を覚えていた。
静かに、ゆっくりと、エドリックは杯を持ち上げる。
そして、口元を軽く隠しながら——
わずかに微笑んだ。
宴会場の中、人々はみな舞姫の優雅な姿に酔いしれていた。
だが、一人だけ——群衆の中に立ち、全く異なる眼差しでこれらすべてを見つめていた。
銀白の長髪、氷のような青い瞳——
聖女の血を引く者にのみ宿る特徴。
ラファエット・エーベルランは、静かに手元の書物を閉じた。
その唇には、どこか意味深な笑みが浮かぶ。
彼の視線が、ゆっくりと宴の会場を横切る。
貴族たちは皆、ただの美しい舞と思っているのだろう。
だが——
彼の目には、それ以上のものが映っていた。
彼女は、失われたエスティリア王国の姫君——
エレノア・エスティリア。
ラファエットの瞳は冷ややかに光り、舞台の少女をじっくりと観察する。
なぜ彼女は、舞姫としてノヴァルディアの貴族の宴に現れたのか?
答えは明白だった。
彼女は、王太子エドリックに接触する機会を狙っている。
権力の中心へと歩み寄ろうとしている。
だが……
それは彼女が容易に操れるような盤上ではない。
ラファエットの指が、静かに書物の表紙を叩く。
彼女の舞は、確かに見事なものだった。
そして、観る者を魅了する力を持っていた。
だが、それは単なる芸術ではなく——警告。
この亡国の姫は、想像以上にしぶとい。
エスティリア王国が掲げた"聖女"の伝統は、すでに滅びたはずだった。
だが、彼女の存在は、今もなお「神の力」を巡る争いにおける最大の変数となる。
聖女の力とは、神より授かった奇跡などではない。
それは歴史を左右する"両刃の剣"であり、
王家はその剣を利用し、王権を維持してきた。
そして、サルダン神聖国の「教団」は、
"正統なる神の血"を持つ者こそが、"忘れられた真理"を開く鍵であると信じている。
過去の戦争も、今の政局も——
すべては、この「神聖な血」によって翻弄されてきた。
そして今、その"剣"が、舞台の中央に立っている。
ラファエットは目を閉じる。
唇に浮かぶ笑みが、わずかに深まる。
——思ったより、この宴は楽しめそうだ。
一方、
遠くから舞台を眺める男がいた。
賑やかな宴会の中、静かに杯の中の赤い液体を揺らしながら、
彼は、まるで何も興味がないように振る舞っていた。
だが——
サイラスの視線は、舞う少女から一度も離れていなかった。
耳元の琥珀のピアスが、微かに揺れ、
燭火の光を反射し、淡い輝きを放つ。
それは、ノヴァルディアにおいて"皇族"を象徴する色。
エレは、それを身につけた。
つまり、彼女自身がこの盤上に立つことを選んだのだ。
彼女は、"賭け"を打った。
王太子の目に留まるために。
生き延びる道を掴むために。
「……エレ、お前、命知らずだな。」
サイラスは、かすかに笑う。
琥珀色の瞳には、読めない光が宿る。
ふと、左腕に一瞬の違和感を覚えた。
幽かな影が、指先をかすめるような感覚。
一瞬の痺れのような痛みが走る。
彼は、無意識に左耳へと手を伸ばす。
月長石のピアス。
指がそれをなぞる。
まるで、心の波紋を静めるように。
さて、どうする?
彼の口元に、ふっと笑みが浮かぶ。
この先の一手を打つのは、彼女だけではない。
俺もまた、この盤上の駒の一つだ。




