(48) 誓約の開宴
宴の熱気は、最高潮へと達しつつあった。
給仕たちが行き交い、貴族たちは杯を交わしながら談笑する。
誓約祭の祝宴は、煌めく燭火と華やかな音楽が織り成す儀式的な雰囲気の中で、より一層の輝きを増していた。
しかし——
その時、音楽がわずかに途切れた。
会場を包んでいたざわめきも、自然と静まりゆく。
王太子殿下、エドリック・ノヴァルディア、ご到着である。
扉が押し開かれ、堂々たる声が響き渡る。
その名を耳にした瞬間、すべての視線が入口へと向けられた。
まるで最初から決められていたかのように、人々は無言のまま道を開け、彼の歩むべき道を作り出す。
エドリックは、ゆるやかな足取りで大広間へと歩みを進めた。
輝く黄金の髪。
それはまるで陽光そのもののように鮮やかで、帝国王族の証たる深紅の瞳と見事に映え合っている。
肩に掛かる深紅のマントは彼の漆黒の礼服を際立たせ、金糸の装飾がさりげなく繊細な煌めきを放つ。
何一つ過剰な装飾を施していないにもかかわらず——
彼という存在そのものが、すでに威厳と覇気に満ちていた。
エドリックは焦ることなく、ゆっくりと大広間を見渡す。
その深紅の瞳が、貴族たちの姿を次々と捉える。
誰かが恭しく礼を取れば、彼もまたわずかに頷いて応じる。
その所作は洗練され、まるで王のために作られたかのような完璧さだった。
「王太子殿下のご臨席、ロイゼルの誇りでございますわ。」
微笑を湛えながら、カミラが歩み寄る。
エドリックは淡々と頷き、低く響く声で応じた。
「誓約祭は帝国の伝統——それを見届けるのは、王族の責務だ。」
その言葉に、カミラは優雅に一礼し、そっと視線を向ける。
「ところで、殿下。」
彼女の声は柔らかいが、その目はすでに次の話題へと移ろっていた。
「本日の宴には、もう一人ご紹介すべき貴賓がおります。」
そう言うと、彼女は大広間の奥へと視線を向ける。
そこに、白い影があった。
サルダン神聖国の大司祭、ラファエット・エーベルラン。
純白の法衣に、繊細な金糸の刺繍が施されている。
彼の周囲には、数名の神聖国の高位聖職者が控えていた。
白金の髪を後ろで束ね、落ち着いた微笑を湛えているその姿は、一見すればどこにでもいる外交使節のようにも見える。
だが——
彼の佇まいには、一切の無駄がない。
それは、すべてを掌握しながらも、余裕のある観察者のような静けさだった。
「サルダン神聖国の大司祭、ラファエット・エーベルラン様。」
カミラが優雅に紹介する。
「遥々、隣国よりこの誓約祭にお越しいただきました。貴方のご臨席により、この宴はさらに華やかなものとなりますわ。」
ラファエットは、にこやかに微笑み、ゆるやかに会釈する。
「このように美しい祝宴にて、帝国貴族の皆様とご一緒できること、まことに光栄でございます。」
エドリックの紅い瞳が、彼を捉える。
その眼差しには、かすかな思索の影が宿っていた。
一瞬の沈黙——
そして、エドリックはゆっくりと口を開く。
「誓約祭に、神聖国の使節までもが足を運ぶとは……」
「少々、意外ではあるな。」
ラファエットは、その言葉にも微笑みを崩さない。
むしろ、さらに余裕を感じさせるような穏やかな声音で応じた。
「誓約祭は『魂の誓約』を象徴する神聖なる祭典。」
「我々、サルダン神聖国は……魂の繋がりというものに、常日頃から深い関心を抱いておりますので。」
その瞬間、大広間の空気がわずかに変わった。
「魂の繋がり」——
その言葉に、場の貴族たちは思わず互いの顔を見合わせる。
エドリックは、すぐには返事をしなかった。
だが、やがて——
彼の唇に、意味深な微笑が浮かぶ。
そして、低く、抑えた声でひと言。
「……そうか?」
——そして、宴の反対側。
サイラスはその光景をじっと見つめながら、指先でそっと杯の縁をなぞった。
琥珀色の瞳がわずかに細められる。
「魂の繋がり」……か。
一見すれば、ただの神聖な理念のように聞こえるその言葉——だが、裏に隠された意図は、もっと深く複雑なものなのだろう。
彼の視線が、一瞬だけ王太子へと移る。
これが、今「エドリック」として存在する男。
黄金の髪に、深紅の瞳。
帝国が誇る正統なる後継者——未来の皇帝。
サイラスは、ふっと浅く息を吐いた。
杯を軽く傾け、酒を一口含む。
香り高い液体が喉を滑り落ちるのを感じながら、彼の眼差しには、一抹の読めない色が浮かんだ。
この宴は、ただの誓約祭では終わらない。
エドリックの登場は、単なる儀礼ではない。
もっと大きな盤上で、すでに新たな駒が動き始めている——。
しかし——
彼が今、一番気にかかるのは……
エレが、まだ側室で何も知らずに、ただ「舞台の出番」を待っていることだった。
◆ ◆ ◆
エレは側室の中で、静かに自らの姿を鏡に映した。
藍と銀白を基調とした衣が、流れるように体に沿っている。
腰元には精緻な銀糸の刺繍が施され、まるで夜空に広がる星河のようだった。
これまで酒場や興行で踊る際に纏っていた衣装とは、明らかに異なる。
これは貴族の宴に相応しい舞姫のための装束——華やかでありながら、過度に肌を曝け出すことはなく、彼女の気品を損なわない絶妙な仕立てになっている。
エレはそっと俯き、指先を琥珀のピアスに触れた。
かつて、ある「王太子」から贈られたもの。
当時は、ただの美しい贈り物としか思わなかった。
だが今ならわかる——琥珀は皇権を象徴するもの。
あの王太子が、それを軽々しく他者に渡すはずがない。
「……エドリック。」
彼女は小さく呟いた。
彼は、今も自分を覚えているのだろうか?
彼は、自分の存在をどう思うのだろうか?
だが、迷うことはない。
今夜——必ずエドリックに、この身を見せる。
扉の向こうから、控えめなノックが響いた。
「舞姫様、ご準備はいかがでしょうか?」
従者の声が、彼女の思考を中断させる。
エレは静かに息を吸い込み、確かめるように耳飾りを指でなぞった。
「……すぐに参ります。」




