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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
誓約祭

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(43) 晶石の誓約

 朝陽が、回廊のアーチ越しに降り注ぐ。

 その光は、踊る少女の姿を静かに照らし出していた。


 エレは裸足のまま、滑らかな石畳の上を舞う。

 衣装の裾が、彼女の動きに合わせて優雅に揺れ、

 ターンするたびに、風に舞う羽のように裾が広がった。


 しかし、彼女の心は、舞のように軽やかではなかった。


 ――「戻って、何をする?」

 昨夜のカインの声が、未だに耳に残っている。


「帝国の軍を率いて王位を奪うつもりか? それとも、生き延びるためか? エドリックが、亡国の姫を助けると、本気で思っているのか?」


 彼の問いかけは、鋭い刃のように彼女の心を貫いた。


 エレは、自分の目的を理解しているつもりだった。

 彼女は王位のために戻るわけではない。


 ただ、祖国の現状を知りたかった。

 エスティリアを信じる者たちは、無事なのか。


 そして――マミーは、どこにいるのか。

 ずっと、エドリックに会えば、全ての答えが見つかると信じていた。


 しかし――

 もし、彼が手を差し伸べてくれなかったら?


 彼女がたった一人だったら、どうする?

 思考がわずかに乱れたその瞬間、動きに一瞬の迷いが生じた。


 だが、それもすぐに修正される。

 エレは舞い続け、最後のステップを踏み終えた。


 そして、そっと息を整えながら、静かに庭の中央に立ち止まる。


「姬様、とても素晴らしい踊りでした。」

 リタが歩み寄り、彼女にタオルを差し出す。


 エレはそれを受け取り、額の汗を軽く拭うと、

 ほんの少し、口元に微笑を浮かべた。


「鈍っていなければいいのだけれど。」


 彼女は自らの指先を見つめる。

 細くしなやかな指は、長年の鍛錬によって研ぎ澄まされ、

 舞い続けるための力を宿していた。


「……今回の舞台は、絶対に失敗できない。」


 エレの瞳には、決意の光が宿っていた。

 これは、ただの舞ではない。


 ――彼女が、帝国の社交界へと踏み出す、最初の一歩なのだから。


 ◆


 屋内の空気は、庭の活気とは対照的に、どこか穏やかな静けさに包まれていた。


 エレとリタが館の広間に戻ると、陽光が大きな窓から差し込み、ふわりとした長椅子やテーブルを柔らかく照らしていた。


 その温かな光の下、ノイッシュとアレックがくつろぎながら談笑している。

 テーブルの上には、淹れたばかりの紅茶と、素朴な焼き菓子が置かれていた。


 二人はエレたちに気づくと、アレックがすぐに姿勢を正し、軽く笑みを浮かべながら言った。


「エレさん……正式にお礼を言わないといけませんね。」

 彼は少し言葉を選びながら、ぎこちない口調で続ける。


「あなたの治癒がなければ、俺は命を落としていたでしょう。」


 エレは一瞬驚いたが、すぐに首を横に振った。


「もしあなたが私を庇ってくれなかったら、傷を負っていたのは私だったかもしれません。」

 彼女の言葉には、一切の飾り気がなかった。


 あの混乱の中、深く考える余裕などなかったが、今振り返ると、アレックの行動が彼女の命を救ってくれたのは間違いない。


「ですが、あなたの力がなければ、俺はこうしてここに座っていることはなかったでしょう。」

 アレックは冗談めかした口調で言うと、苦笑しながら続けた。


「……とはいえ、カイン様はこの件をあまり話題にしてほしくないようですね。」


 エレは少し眉を上げた。

「彼、あなたたちに口止めでもしたの?」


「まぁ……“この出来事は忘れろ”と言われましたよ。」

 ノイッシュが肩をすくめる。


「とはいえ、そんなことができるわけがないですけどね。」


「そうですね、実際にあの治癒を体験しておいて、忘れろなんて無理な話です。」

 アレックは軽く笑ったが、エレは黙って視線を落とした。


 彼女には、カインの意図が痛いほどわかっていた。

 彼は、彼女の力が余計な者たちの目に触れることを何よりも恐れていた。


 それは単なる「安全」の問題ではない。

 本来、彼女のような存在が持つはずのない“聖女の力”だからこそ、尚更だった。


「……たしかに、話題にすべきことではないかもしれませんね。」

 エレは小さく、だが重みのある声で呟いた。


 アレックはそれ以上は何も言わず、そっと紅茶に口をつける。

 ノイッシュがそれとなく話題を変えるように、穏やかに言った。


「それより、エレさん。本当に宴で踊るつもりですか? あの場は、ただの社交会とは違いますよ。」

 彼の言葉には、慎重な響きが含まれていた。


 誓約祭の宴は、単なる華やかな催しではない。

 帝国の上流貴族たちが集まり、政治的な駆け引きが交わされる重要な場だ。


 そこで踊るということは、注目を浴びるということ。

 そしてそれは、彼女にとって危険な意味を持つかもしれない。


 エレは視線を上げ、ふっと微笑んだ。

「……失敗は許されないでしょう?」


 その言葉に、ノイッシュとアレックは一瞬、言葉を失った。


「さすが、舞姫殿ですね。」

 アレックが苦笑混じりに呟く。


 だが、エレは微笑みながらも、彼の言葉には応じなかった。

 彼女にとって、これはただの踊りではない。


 ――この舞こそが、彼女の未来を決める一歩なのだから。


 ノイッシュは手にしたティーカップをくるりと回し、どこか楽しげな表情を浮かべた。


「でもその前に、せっかくの誓約祭を楽しまない手はないでしょう? せっかくロイゼルまで来たんだ。祭りを満喫しないと損じゃないか?」


 エレは一瞬、戸惑ったように瞬きをした。


「誓約祭……?」


「そうさ。」

 アレックも軽く笑い、腕を伸ばして軽く体をほぐす。


「まさか、名前だけ知ってて、その由来は知らないってわけじゃないよな?」


 エレは彼らを静かに見つめた。

 誓約祭の詳細は、正直なところ今の彼女にとって最優先事項ではなかった。

 だが、せっかく話題に上がったのなら、聞いておいて損はないだろう。


「誓約祭の起源は、何百年も前に遡る。」

 ノイッシュは杯を置き、穏やかな口調で話し始めた。


「当時、帝国はまだ異世界とのつながりを持っていて、召喚された異世界の者たちは、何らかの“祝福”を授かることが多かった。

 彼らはそれぞれの価値観や能力を持ち込み、その中には帝国の歴史に影響を与えた者もいたんだ。」


 エレは僅かに眉を寄せた。

 この話には聞き覚えがあった。


 彼女の母――蒼月の聖女も、異世界からの来訪者だった。


「そんな異世界の旅人のひとりが、帝国の王族と恋に落ちたという伝説がある。」

 アレックが続ける。


「だが、旅人には果たすべき使命があった。いつか彼は異世界へと帰らねばならない――そう運命づけられていたんだ。」


 エレは黙って彼の言葉に耳を傾けた。


 旅人と王族――。

 どこか、自分の母に重なるような気がしてならなかった。


「別れを目前にした二人は、それぞれの瞳の色を象徴する**“晶石”**を交換し、誓いを立てた。」


「晶石は、互いの視界と魂を託し合う証。たとえ離れ離れになっても、心は繋がっている――そう信じられている。」

 ノイッシュが補足する。


 エレは視線を落とし、テーブルの縁に指先をそっと滑らせた。

 静かに語られるこの物語が、どこか懐かしい響きとなって胸に響いた。


「この伝承が広まり、“晶石の誓約”は帝国の風習となった。」

 アレックが微笑む。


「だが、今では恋人同士だけのものではない。軍の中では戦士同士が晶石を交わし、“互いの背を預ける”意味を持つこともあるし、貴族社会では婚約の象徴として用いられることもある。誓約祭の宴で晶石を贈ることは、公の場での婚約宣言と同じ意味を持つんだ。」


「だからこそ、貴族間の晶石のやり取りは慎重にならざるを得ない。」

 ノイッシュが肩をすくめ、茶化すように言った。


「不用意に贈れば、“婚約の誓い”と受け取られかねないからな。」


「……なるほど。」


 エレは静かに呟く。

 そのまま目線を落とし、指先をカップの縁に沿わせた。


 ――カミラの、あの意味深な笑み。


 ――そして、カインのあまり乗り気ではない態度。


 誓約祭。


 それは貴族にとって、ただの祝祭ではない。

 権力、絆、そして駆け引きが交錯する舞台。


 彼女は改めて、これから自分が踏み込もうとしている世界の重みを実感した。

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