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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
誓約祭

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(42) 賭けの向こう側

 エレは分かっていた。


 この問いが、いつか投げかけられることを。

 そして、彼女自身も答えを考えたことがある。


 だが――

 だが、サイラスにこうして真正面から突きつけられた時、彼女は気づいてしまった。


 自分は、今までこの問いを本当の意味で直視していなかったのだと。


 帝国の王太子……

 エドリックは、本当に彼女を助けてくれるのか?

 それとも、これは ただの独りよがりな期待 に過ぎないのか?


 エレの指が、無意識にきつく拳を握った。

 だが、その瞬間――


 サイラスの声が、さらに追い打ちをかけるように続いた。

「それとも、お前はただの賭けに出たいだけか?」


 エレは息を呑んだ。

「エドリックがまだお前を覚えているかどうか。」


「昔の情を理由に、手を差し伸べてくれるかどうか……それを試したいだけなのか?」


 心臓が、跳ねるように脈打つ。

 エレは、まるで胸の奥を抉られたかのような衝撃を覚えた。


 彼女の瞳が大きく見開かれる。

 サイラスを睨むように見つめる。


 さも隠したい感情の核心を暴かれたかのような視線だった。

 確かに――彼女は期待していた。


 エドリックが、かつての彼のままであることを。

 彼が、今でも彼女を大切に思っていることを。


 だが、同時に分かっている。

 そんな考えは、あまりにも幼稚で、あまりにも危うい。


 エレは、静かに目を伏せる。

「……そう思うなら、それでいいわ。」


 声は低く、

 もうこれ以上、この話を続ける気はないという意思が込められていた。


 サイラスは彼女をじっと見つめた。

 沈黙が落ちる。


 そして――

 突然、サイラスの唇が僅かに持ち上がった。

「エレ、お前は単なる理想主義者じゃない。」


「それは、俺が一番よく知っている。」


 エレは何も言わず、背を向ける。

 部屋の奥へと歩みを進める。


 まるで、これ以上この話題に触れたくないとでも言うように。

 だが、彼女が扉をくぐろうとしたその時。


 背後から、サイラスの声が届いた。

 軽い調子だった。


 だが、その奥にある感情を読み取るのは難しかった。

「ただな――賭けるなら、少しでも長く生きることだな。」


 エレの足が、一瞬だけ止まる。

 彼女は目を閉じ、静かに息を整えた。


 だが、振り返ることはしなかった。


 パタン――


 静かに扉が閉じられる。

 サイラスは、しばらく扉の向こうを見つめていた。


 そして、ふっと視線を落とし、

 琥珀色の瞳に、燭火の揺らぎが映り込む。


 その光は、まるで彼の内に渦巻く感情を映し出しているかのようだった。

 扉が閉まる音が響いた。


 サイラスは動かなかった。

 彼女が去った扉の向こうを見つめ、ゆっくりと目を細める。


 そして――

 視線を落とし、指先が無意識に腰の剣へと触れる。

 そのまま柄を握りかけたが、次の瞬間、そっと手を引いた。


 予想通りの反応だった。


 彼女はいつもそうだ。

 冷静な顔を装っているくせに、誰よりも頑固で、誰よりもまっすぐで。


 サイラスは静かに息を吐くと、

 ゆるやかに歩を進め、部屋の椅へと腰を下ろした。


 手近な杯に酒を注ぐ。

 杯を軽く揺らせば、暗赤色の液体がゆらりと小さな波を立てた。


 誓約祭の喧騒は、窓の外に遠く響いている。

 祭りの熱気とは対照的に、この部屋には、静寂だけが広がっていた。


 エレの賭け――いや、計画は、すでに見えている。


 彼女はエドリックに会おうとしている。

 彼の支援を求め、帝国の庇護を得るために。

 その目的は、彼にはあまりに分かりやすかった。


 だが――

 サイラスの目がわずかに細くなる。


 問題は、彼女の「期待」だ。


 彼女自身は気づいていないのかもしれない。

 だが、彼には分かる。


 ――あの瞳が、何を映していたのか。


 エレは、賭けている。

「エドリック」が今も彼女を覚えているか。


 かつてのように、彼女を大切に思っているか。

 だが、それが無駄な賭けだと、彼女はまだ知らない。


 サイラスの指先が、静かに酒杯を叩く。

 カチ、と小さな音が響いた。


 彼の瞳に、一瞬だけ 晦暗な光 が宿る。


 エレはまだ知らない。


 かつて「エドリック」としてエスティリアにいた男は――

 サイラス、つまり"この俺"だったということを。


 その事実こそが、何よりも滑稽だった。

 彼女が求める「エドリック」は、最初から存在しない。


 サイラスは、ふっと息を吐いた。


 つまらない。


 どこか退屈そうに前腕をさすり、無意識に袖を引き下げる。

 皮膚の奥に、微かに 鈍い痛み が走った。


 彼女は、期待すべきではない。

 そんなものに、すがるべきではない。


 なぜなら――彼女が求める"エドリック"は、とうの昔に消えた幻想だから。


 サイラスは、ふっと鼻で笑った。

 杯の中に揺れる赤紅色の液体を、一息で飲み干す。


「……もし、エドリックなら、彼女をどう助ける?」


 ふと、そんな疑問が脳裏をよぎる。


「いや――もし、この俺だったら?」


 考えた瞬間、サイラスは 軽く舌打ちをした。

 指先が酒杯を無造作に置き、硬質な音が静寂を切り裂く。


 なんでこんなことを考えている?

 これは、自分には関係のない話のはずだ。


 もともと、彼がエレを帝都へ連れて行こうとしたのは、

 彼女が 最低限の庇護を受けられるようにするためだった。

 それなら、彼女は 無謀な流浪生活を続けずに済む。


 ただ、それだけの話だった。

 ……だが、彼女はそれ以上を望んでいる。


 生き延びることではなく、国を取り戻すことを。

 それこそが、この賭けの本質だ。


 彼女の野心と、彼女の覚悟。


 サイラスは ゆっくりと目を閉じ、 背もたれに身を預ける。

 そして数秒後、再び 静かな嗤い を漏らした。


「バカバカしい。」


 彼は何を思い悩んでいる?


 本来なら、この問題は彼には関係ないはずだ。

 ……関係ない、はずなのに。


 瞳を開けると、視線は自然と窓の外へと向かう。


 誓約祭の灯火が夜の闇を染め上げ、

 街全体が一つの舞台のように輝いていた。


 この祭りは、ただの華やかな祝宴では終わらない。


 これは――

「力」と「野心」が交錯する場だ。


 そして――

 サイラスは、ふっと目を細めた。


 エレはどこまで進めるのか。

 それを、見届けてやるのも悪くない。


 彼女の賭け。


 ――この俺が、見届けてやる。

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