(41) 鋭い瞳の警告
空気が微かに沈黙する。
どちらも 最初に言葉を発するべきかを探るように。
エレは気づいていた。
――いや、カインは最初からこの結果を見越していたのではないか?
エレは、静かに彼を見た。
そして――
わずかに首を傾げ、淡々と口を開く。
「……結局、貴方も参加することになったのね。」
サイラスは、軽くため息をつく。
指先で眉間を揉みながら、ぼそりと呟いた。
「あの女……思ったより手強いな。」
だが――
彼の琥珀色の瞳が、一瞬だけ微かに揺れる。
さも最初から分かっていたかのような揺らぎだった。
エレは、それを見逃さなかった。
「……この宴、私が思っていた以上に厄介なものになりそうね。」
彼女は、静かにそう確信する。
サイラスは、目を伏せる。
そして、再び顔を上げた時――
その瞳の色は、鋭さを増していた。
先ほどまでの 気だるげな態度は、一瞬で消え去る。
「……それより問題は、お前の方だ。」
彼の声が、わずかに低くなる。
「俺以上に、お前こそ“簡単に人前に出るべきじゃない”んだよ。」
エレは、一瞬だけ 眉を寄せる。
「私はただの舞姫よ? 隠すようなものなんて――」
「……本気でそう思ってるのか?」
サイラスはわずかに鼻で笑い、表情は穏やかだが目に鋭い光が宿る。
「さっきの仕草、動作、話し方……どれも“ただの舞姫”にしては、堂に入りすぎてる。」
「お前は自分では完璧に隠せてるつもりかもしれないが……世の中、鋭い目を持つ人間は意外と多い。」
エレの胸の奥に、冷たい感覚が走る。
「それに、この宴にはカミラみたいな貴族嬢だけじゃない。」
「帝国の上層にいる者たちも来る。……その中には、“エスティリアの遺物”に未だ興味を持つ奴もいるかもしれない。」
――心臓が、一瞬だけ強く跳ねた。
彼の言葉が、まるで 鋭い刃のように胸に突き刺さる。
エレは、分かっていた。
分かっていたけれど――
「そうならないことを願っていた」 だけだった。
誓約祭には 多くの貴族や要人が集う。
ましてや、王太子エドリックが訪れる となれば、その影響は計り知れない。
彼女の存在が、誤った相手の目に留まれば――
その瞬間、全てが 終わるかもしれない。
だが――。
エレは唇を強く噛みしめた。
そして、迷いなく言葉を紡ぐ。
「それでも、私はこの機会を逃せない。」
「……だったら、もっと慎重に使え。」
サイラスの声が、冷静に響く。
「ここはエスティリアじゃない。お前には護衛も後ろ盾もない。……もし正体が知られたら、どうするつもりだ?」
エレの指が無意識に強く締め付けられた。
彼の言うことは 正しい。
だが――
それでも 後戻りはできなかった。
「……私なら、なんとかする。」
彼女は深く息を吸い、サイラスの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「貴方を巻き込むことはしないわ。」
サイラスの琥珀色の瞳が、夕陽に照らされる。
その光の奥に、何かが沈んでいくような 微かな揺らぎがあった。
そして――
彼は、ふっと笑った。
ひどく、軽やかに。
「……お前、勘違いしてるな。」
エレの瞳が、一瞬だけ揺れる。
サイラスは、片手をポケットに突っ込みながら、わずかに 後ろへ退いた。
「俺が気にしてるのは……“お前を巻き込むこと”じゃない。」
「俺はな、面倒ごとが嫌いなんだよ。……特に、本来なら避けられるはずの厄介ごとがな。」
エレの喉元が、少しだけ 詰まる。
――「本当に、それだけ?」
彼の言葉の奥に、何か もっと深い意味 が隠れているように思えた。
だが、サイラスは それ以上何も言わなかった。
彼は、ただ肩をすくめ――
「……まぁ、祈っておくよ。お互い、余計な面倒に巻き込まれないことをな。」
そう 気怠げに呟く。
エレの横顔をちらりと一瞥し、彼はそのまま馬車へと向かった。
その背中を見送りながら、エレはゆっくりと目を閉じた。彼の言葉が何度も脳裏をよぎり、胸の奥に言い知れぬ不安が静かに広がっていった。
◆ ◆ ◆
夜が更けるにつれ、ロイゼルの街は誓約祭の賑わいに包まれていた。
輝く灯火の下、人々は祝祭の興奮に酔いしれ、通りには歓声と笑い声が溢れている。
しかし――
カミラが用意した邸宅の中では、まるで別世界のように、冷たい静寂が広がっていた。
エレは部屋に足を踏み入れたばかりだった。
まだ室内をよく見渡す暇もなく、背後で扉が閉ざされる。
パタン――
その音に反射的に振り返ると、サイラスの深い琥珀色の瞳と視線がぶつかった。
「エレ、そろそろはっきりさせてもらおうか。お前の本当の目的は何だ?」
彼の声には、いつもの軽薄な響きはなかった。
その代わりに、珍しく 真剣な色 が滲んでいた。
エレは一瞬、動きを止める。
だが、すぐには答えなかった。
「帝都へ行く目的は、ただ手紙を渡すだけ……じゃないよな?」
サイラスは一歩、彼女へと近づく。
声は冷静で、だがどこか核心を突くような鋭さを帯びていた。
「それとも、エドリックに会えば、何かが変わると本気で思っているのか?」
心臓が、わずかに速く脈打つ。
サイラスの眼差しは、まるで彼女の浅い言い訳を見抜いているかのようだった。
この男は、いつだって容赦なく本質を突いてくる。
「彼に会わなければならない。」
エレは声を低くしながらも、決して引かぬように言い放つ。
「ただの使者ではなく、支援を求めるために。」
サイラスは、ふっと鼻で笑う。
「支援?」
彼は腕を組み、僅かに首を傾げた。
「つまり……お前が求めているのは政治的な庇護か?それとも、エスティリア王国の復興か?」
エレの指が、無意識に拳を握る。
この問いが出ることは、分かっていた。
だが、まさかこんなにも 率直に投げかけられるとは思わなかった。
「もし帝国が支援してくれるなら……私はエスティリアへ戻る。」
声は大きくなかった。
だが、その言葉には確かな意志が宿っていた。
サイラスは、それを聞いた途端 小さく嗤う。
「戻って、どうする?」
「帝国の軍を率いて、王位を奪い返すのか?」
「それとも……ただ、生き延びるためか?」
彼の声は 冷静 だったが、どこか 皮肉を含んでいた。
「本気でエドリックが、滅びた王国の姫を助けるとでも思ってるのか?」
エレは、唇を噛む。
目の奥に、一瞬 怒りの光 が宿る。
「……私を馬鹿にしているの?」
「いや。」
サイラスは 実にゆったりとした動作で 机にもたれかかる。
「ただ、確認したいだけだ。お前はどこまで現実的に考えているのかってな。」
「エスティリアの旧臣は、まだどれほど残っている?」
「今もなお、王族を支持する者はどれくらいいる?」
「そして――」
サイラスの声が、一段低くなる。
「お前はエドリックに何を与えられる?彼が“お前を助ける理由”は何だ?」
エレは――
言葉を詰まらせた。




