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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
誓約祭

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(40) 舞姫の決意

 エレは、これが “機会”であることを直感した。


 そして――

 決して逃すつもりはなかった。


「ただの旅人だよ。帝都へ向かう同行者だ。」


 サイラスはエレに気だるげに言い、声の調子はいつも通りだ。

 ただし、その言葉選びは慎重で、話題をこれ以上広げない意図が感じられた。


 だが、エレはその先を待たなかった。

 彼女はしなやかに馬車を降り、流れるような動作で優雅にカミラへ一礼する。


「舞姫エレ、と申します。」


「諸国を巡り、芸を披露しております。カミラ様にお目にかかる光栄をいただきました。」


 その声は 柔らかく、落ち着いていた。

 わずかな迷いすらない。

 まるで、最初から本当に“舞姫”だったかのように。


 サイラスの表情がわずかに変わり、一瞬だけ眉を寄せた。

 次の瞬間、彼の指がエレの手首を軽く引く。


「……余計なことはするな。」


 サイラスの声が低く抑えられ、かすかな警告が滲んでいた。

 “下手に目立つな”という意味が込められているのは明白だった。


 それでも、エレは微笑んだ。

 まるでまったく意に介していないかのように優雅に顔を上げ、カミラへと向き直る。


「ほう……舞姫とは。」

 カミラの目が微かに輝き、

 指先で髪を軽く払いながら意味ありげに微笑む。


「それなら、ちょうどいいではありませんか。」

「誓約祭の宴では、各地から舞姫や楽師が集い、芸を披露いたします。」

「このような機会、ぜひエレ様にもその才を示していただきたいのですが?」


 エレの瞳が、微かに光を宿す。


 ――貴族の宴会。

 それは、最も効率的に社交界へ入り込める場。

 彼女が求めていたものが、今 “向こうから”やって来たのだ。


 しかし――


「却下だ。」

 鋭い声がすぐ傍らから飛び、サイラスの手首を引く指がほんの少し強くなった。


「そんな場にお前が出る必要はない。」

 サイラスの琥珀色の瞳が細まり、口元は微笑を保っているが、

 その奥には明確な“拒否”の色が滲んでいた。


 エレは、彼を見上げる。

 彼の反応は、予想していた。

 そして、これこそが本当の駆け引きの始まりだった。


 女の微笑みは揺るがず、穏やかな表情のままそっと首を傾げ、まっすぐサイラスの瞳を見つめた。

「――どうして、ダメなの?」


「ほう? どうして“不適切”なのでしょう?」

 カミラが、興味深そうに眉を上げる。

 微笑を浮かべたままだが、その瞳には明確な探るような光が宿っていた。


 サイラスはわずかに目を細め、気だるげに視線を逸らした。

「……何しろ、今回の宴の主賓は王太子殿下だからな。」


 何気なく放たれた言葉だが、その意味は明白だった。

 ――この場にエレが出るのは危険だ。


 エレはサイラスの意図を理解しながら、あえて“無邪気な不思議そうな表情”を作った。

「誓約祭の宴では、各地の舞姫が招かれると聞きましたが?」


「ならば、私がその一人になっても、おかしくはありませんよね?」

 彼女の声は、あくまで柔らかく。

 それでいて、微かに 「反論」の色 を含んでいた。


「ええ、もちろん。」

 カミラはすかさず言葉を重ね、笑みがわずかに深くなる。

 そして、サイラスとエレの間に流れる微妙な空気をじっくり観察するように続けた。


「誓約祭は年に一度の盛典。各国から集まる芸人たちが技を披露する、素晴らしい機会です。」

「エレ様、もしよろしければ、私が演目の手配をいたしましょうか?」


 エレは微笑を浮かべたまま、ゆっくり一歩カミラへと近づいた。

「光栄です。どうぞ、よろしくお願いいたします。」


 サイラスの眉が、わずかに動いた。

 けれど、その表情は崩れない。

 淡々とした姿勢を崩すことなく、ただ 静かにエレを見ていた。


「エレ。」


 サイラスの声が、一段低くなる。

 そこには、明らかに 「警告」の色 が混じっていた。


 しかし――

 エレは、それすら聞こえなかったかのように。

 優雅にカミラへ一礼する。


「ならば、宴の当日。エレ様は帝国貴族たちの視線を独占することになるでしょうね。」

 カミラは、微笑を深めたまま、じっくりとサイラスを見た。

「……カイン殿、これほど素晴らしい機会、異論はありませんわね?」


 サイラスは 薄く笑う。

 その琥珀色の瞳の奥にある感情は 容易には読めない。


「彼女がそこまで乗り気なら、俺が邪魔する理由はないさ。」

 彼の口調は軽やかだった。


 それでも、

 エレの心の奥にほんの少しだけ不安の影が落ちる。


(カインはそう簡単に折れる男ではない。

 それなのに、この場で争わずに引いたということは

 ――彼には別の考えがある。)


 今はそれを問い詰める時ではない。

 まずは宴の場に足を踏み入れること。

 それが最優先すべき目的だった。


 エレは薄く微笑んだまま静かにサイラスを見返し、

「――ありがとう、カイン様。」と告げた。


 その一言が、まるで戦の“合図”のように響いた。


「では、決まりですわね。宴の夜、私がエレ様を舞台へご紹介いたしましょう。」

 カミラは顎に指を添えて、その仕草に“この話はすでに決定した”という確信があった。

 ただし、彼女はふと何かを思い出したかのように首を傾げ、気遣うような声音で言った。


「そういえば、カイン殿。誓約祭の期間中、ロイゼルの宿はすでに満室なのでは?」


「帝国各地から貴族や商人が集まるこの時期……まさかとは思いますが、宿の予約をされていない、なんてことはございませんわよね?」

 その声は柔らかく、その奥底に明確な意図が潜む。


 サイラスの眉がわずかに動き、微かに笑った。

「宿の心配までしていただけるとは……」

「まさか、カミラ嬢が用意してくださると?」


 カミラは口元に手を添えて優雅に微笑み、瞳に狡猾な光を宿す。

「ご明察ですわ、カイン殿。」

「せっかくの貴客を、この街で野宿させるわけにはいきませんもの。」


 彼女が 軽く手を振ると、背後の従者が一歩前に進む。

「すでに、皆様に相応しい邸宅を用意しております。

 どうぞ、誓約祭の間はゆっくりとお過ごしくださいませ。」


 エレはやり取りを静かに聞きながら眉をわずかに寄せた。

 ――これは純粋な善意ではない。


 この誓約祭と宴は、カミラにとって極めて重要な意味を持ち、

 その計画にサイラスの存在が組み込まれているのは明白だった。


「さて、カイン殿。」

「“あなたの舞姫のご友人”はすでに宴への出演を承諾なさいましたわ。」


 カミラの微笑がさらに深くなり、まるで罠にかかった獲物を眺めるように輝いていた。

「となれば、もう貴方もお断りにはなりませんわよね?」


 サイラスは一瞬だけ軽く目を閉じ、

 再び開いた瞳に琥珀色の静かな光が揺れた。


「カミラ嬢のご厚意を無下にするのも、さすがに気が引ける。」

「これ以上断るのも、不躾というものだろうな。」

 彼は 気怠げな笑みを浮かべながら、ゆるく肩をすくめる。

 さも抵抗する気がないような態度だった。


「よろしい、カイン殿。」

 カミラの瞳が、満足げに細められる。

「そうでなくては。」


 カミラの瞳が満足げに細められ、彼女はひらりと舞うように背を向けた。

 ただ、最後の一言に明確な含みがあった。


「これほどの貴族が集う場に、普段は社交界に顔を出さぬカイン殿が現れるとなれば……」

「さぞ、面白い話題になりますわね?」


 サイラスは、ただ静かに微笑んでいた。

 その目の奥には 一切の感情が読めないまま。


 カミラは、満足げにその場を去る。

 背後には、彼女の従者たちが優雅に付き従う。


 彼女の背中が人ごみの向こうに消えるまで――

 エレとサイラスは、その場に残されたまま、言葉を交わさなかった。

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