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(39) 誓約祭の街 - ロイゼル

 ロイゼルの街に辿り着く頃には、空はすでに温かな金橙色に染まりつつあった。

 帝国中央に位置する商業と貴族の交差点。

 堅牢な城壁と整然とした街並み。

 そして、祭典の華やかさを纏った活気が溢れている。


「……賑やかね。」


 エレは馬車の窓から身を乗り出し、街の喧騒を眺めた。

 街の至るところに装飾が施され、色とりどりの旗が風に舞う。


 祭りの準備を進める屋台。

 楽しげに行き交う人々。

 それは、これまでの旅の荒涼とした空気とはまるで別世界のようだった。


「帝国誓約祭の主要開催地のひとつだからな。」

 サイラスは馬車の外で気怠げに腕を組み、琥珀色の瞳を細めた。


「まさか、この時期にぶつかるとは思わなかったが……。」


 エレは、黙って彼の言葉を聞きながら、「誓約祭」という単語を頭の中で反芻する。

 それがどういうものか、話には聞いたことがある。


 けれど――

 今の彼女には、それを考える余裕はなかった。

 それでも、思考を整理する間もなく、周囲の空気がふと変わった。


 視線を向けると、馬車の前に金髪の女性が優雅に立っていた。

 彼女の周囲には数名の侍従が付き従い、美しく品のある立ち振る舞いが際立つ。

 微笑みを浮かべながら、まっすぐこちらを見つめている。


「……めんどくさいな。」

 サイラスが小さくため息をつき、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。


 エレは、一瞬だけ彼を見た。

 いつもの気怠げな表情が浮かんでいるが、瞳の奥にはほんの僅かな面倒そうな色が滲んでいる。

 まるでこの場を予期していたかのようだ。

 そして、彼は何の迷いもなく馬車を降りた。


「ブレストのカイン殿。誓約祭の前にお会いできるとは、これはまた思いがけない喜びです。」


 金髪の女性が微笑を浮かべたまま口を開いた。

 彼女の声は優雅で美しく、淀みがない。


 熱を帯びすぎず、それでいて距離を感じさせない

 ――計算された完璧な“貴族の挨拶”だ。


 サイラスはわずかに眉を上げ、彼特有の無造作で飄々とした笑みを浮かべた。


「カミラ嬢。貴女自らお出迎えとは、これは光栄の至りだ。」

「まるで、この俺が特別な賓客であるかのように思えてしまうね?」


 エレは馬車の中でじっと視線を向け、

 この「カミラ嬢」を静かに、しかし慎重に見極めた。


 ただの貴族令嬢ではない。


 彼女の仕草、言葉遣い、目線

 ――そのどれもが上流貴族特有の自信と掌握力を纏っている。


 微笑みは優雅で穏やか、声は絹のように柔らかい。

 ただし、その瞳だけは違う。


 そこには温かな親しみではなく、わずかな“審査”の色がある。

 まるでカインの一挙手一投足を観察しているかのようだ。


(この女……只者じゃない。)


 エレは指をわずかに強く握った。

 この「カミラ嬢」は間違いなくこの街で影響力を持つ人物だ。


「今年の誓約祭は、例年以上に盛り上がりそうだな?」

 サイラスが何気なく言葉を投げ、声は淡々としているが、貴族の余裕が滲んでいる。


「ええ。」


 カミラは微かに口元を上げ、ほんの一瞬、視線をエレへと向けた。

 彼女の瞳が何かを探るように動く

 ――まるでエレの正体を見抜こうとしているかのようだ。


「何しろ、王太子殿下もお見えになるのですもの。」

「そう思いませんか? カイン殿。」


 エレの呼吸が、一瞬止まる。


 王太子……?


 心臓が大きく跳ねた。

 エスティリアを離れて以来、初めて王太子に関する“確かな情報”を聞いた瞬間だ。


 指先が無意識に強く握られ、頭の中で瞬時に可能性を計算する。

 もしエドリックがロイゼルに来るなら、この街で直接接触できるかもしれない。


 帝都へ向かうよりずっと早く――!

 誓約祭は帝国貴族にとって年に一度の華やかな祝宴かもしれないが、エレにとっては運命を変える好機なのだ。


 彼女の視線が無意識にカインへと向かう。

 彼は王太子が来ると聞いて何か反応を見せるだろうか?


 しかし、

 彼の表情は相変わらず気怠げで、まるで誓約祭も王太子の動向もどうでもいいと言わんばかりだ。


(そんなはずがない。彼がこれを知らないはずがない。むしろ、最初から分かっていたのではないか?)


 エレは静かに息を吸い込み、瞳の奥にかすかな光を宿した。

 ――もし王太子が来るなら、私は必ず接触する。どんな方法を使っても。


「それは確かに、楽しみだな。」

 サイラスはくつろいだ様子で微笑み、声は気怠げで興味なさげだった。


「……とはいえ、今回はただの通りすがりだ。こんな賑やかな催しに首を突っ込むつもりはないよ。」


「まあ、それは残念。」

 カミラは小さく息を吐き、あえて“残念そう”に微笑んだ。

「せっかくの機会なのに……。」


 エレは静かに二人のやり取りを観察していた。


 このカミラ嬢――

 ただの社交辞令で話しているのではない。

 彼女の言葉には、どこか含みがある。

 まるで、探るような “試すような”響きが。


「これほど素っ気ないのは、あまりに薄情ではなくて?」

 カミラは、冗談めかした口調で微笑む。


「殿下とご親交が深いと伺っていますが……せっかくの機会に、お顔を見たくはないのですか?」


 ――ご親交が深い?

 エレの心臓が、一瞬強く跳ねた。

 拳をぎゅっと握り込んだ。


 カインと王太子の関係が深い?

 彼女の知る限り、カインは辺境で気ままに動く貴族の養子にすぎず、帝国権力中枢とは関わりが薄い立場のはずだ。


 それでも、カミラの言い回しはそれが誤りであるかのようで、まるで彼が王太子の近しい存在であるかのように響いた。


 エレの視線が自然とカインへ向かう。

 彼の反応を、見極めるために。


 だが、彼は――

 相変わらずの 気怠げな態度 のままだった。

 さも意に介していないような態度だった。


「いずれ帝都へ行くつもりだ。会うのは急ぐことではない。」

 カインは淡々と答えた。


 エレの眉がかすかに寄せられる。

 この二人の関係は、一体……?


 彼女にとって、この誓約祭は王太子と接触するための好機だった。

 しかし今、彼女は 別の疑念にとらわれ始めていた。


 この「カイン」という男――

 ――思っていたより帝国の権力中枢に近い存在なのではないか?


 カミラは、微笑みを崩さないまま、サイラスの返答を受け流す。

 まるで 最初から彼の答えを予想していたかのように。


 彼女の瞳が、ふと意味ありげに細められる。

 その笑みの奥に潜む意図を、エレはまだ掴めずにいた。

 それでも、彼女の中で何かが確かに動き出した――。


 カミラの目がわずかに動き、馬車の中へ――

 そして、そこに座る エレへと向けられる。


「ところで……馬車の中におられる麗しき方は?」


 彼女の声に含みのある響きが混じり、エレの指がほんのわずかに強く握られた。


(来た――。)

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