(34) 森に響く剣
翌朝、隊伍はいつも通り出発した。
しかし――
エレの胸中には、昨夜の怒りと不安がまだ燻り続けていた。
夢のことをもう一度カインに話そうと考えていたが、
彼はまるで意図的に彼女を避けているようだった。
目が合うことはなく、彼は終始騎士たちと低く言葉を交わし、
こちらに隙を見せることはなかった。
「……また、はぐらかされるつもり?」
苛立ちを抑えながら、エレは唇を噛む。
そんな彼女に気づいたのか、ノイッシュが静かに近づいてきた。
「エレさん、どうぞ。」
優しく促しながら、彼はエレとリタを馬車へと乗せる。
そして、すぐさま号令をかけ、隊列は整然と前進を再開した。
――日が傾き始める頃。
隊列は森へと入った。
木々は高く生い茂り、濃い影を落としている。
薄暗く、どこか重苦しい空気。
エレは馬車の窓から景色を見つめながら、胸の奥の不安を振り払うことができずにいた。
カインの方をちらりと見る。
しかし、彼は一度も視線を向けようとしなかった。
何も起こらないと言わんばかりに――。
その瞬間だった。
ザザッ――!
左右の茂みが不自然に揺れる。
次の瞬間――。
「伏撃だ!!」
アレックの叫びが静寂を切り裂いた。
ドッ――!
影が、無数に飛び出す。
全身を黒く覆い隠した十数人の男たちが、一斉に隊列へと襲いかかってきた。
――だが、サイラスは動じなかった。
その琥珀色の瞳に、一瞬だけ冷たい光が宿る。
そして――
「来るのが遅い。」
低く呟いた。
彼は、すでにこの伏撃を予測していた。
「陣形を維持し、迎撃しろ!」
鋭い指示に、騎士たちは一瞬で動き出す。
完全な統率。完璧な布陣。
この伏撃は、もはや伏撃ではなかった。
むしろ、待ち構えた獲物が牙を剥く瞬間――。
「やれ。」
その一言で、戦場が切り裂かれた。
騎士たちの剣閃が閃き、敵の刃と激しく交錯する。
アレックとノイッシュはそれぞれ小隊を率い、素早く包囲しながら反撃を開始。
敵の動きは速く、統率が取れている。
だが――
サイラスたちは、それ以上だった。
「……雑魚どもが。」
彼は嘲るように呟き、瞬時に剣を抜く。
鋭い軌跡を描きながら、その刃は確実に敵の急所を貫いていく。
迷いも、無駄もない。
剣が振られるたび、命が散っていく。
彼の立ち回りはまるで舞のようで――
――そして、死神のようだった。
そんな中、サイラスの視線が鋭く動いた。
敵の中でも、異質な存在――
周囲とは違う威圧感を持つ、大柄な男が一人。
明らかに、こいつが首領だ。
「……見つけた。」
獲物を捕らえた獅子のように、サイラスはその男へと向かう。
対峙した瞬間、敵の首領もまた、こちらを狙っていた。
だが、その時点で勝負は決していた。
サイラスは、一歩。
そして、もう一歩――
次の瞬間、彼の剣は敵の喉元へと届いていた。
「……終わりだ。」
刃が閃き、血が舞う。
首領が崩れ落ちるのと同時に、敵の士気が一気に瓦解した。
その場に残ったのは、サイラスがもたらした勝利と、壊滅した伏兵たちだけだった。
――戦いは、決した。
エレは戦場の混乱に圧倒され、ただ呆然としていた。
轟く怒号。
金属がぶつかり合う鋭い音。
悲鳴、そして、血の匂い――。
馬車の外から押し寄せる不穏な気配に、心臓が強く締め付けられる。
「……何が起こっているの?」
不安に駆られ、戸を開けようとした瞬間――
「出るな!」
アレックの叫びが響いた。
彼が駆け寄るも、次の瞬間――
――ヒュンッ!
「……っ!」
アレックの動きが、止まった。
その胸元に、黒い矢が深々と突き刺さっている。
「アレック!」
エレの声が悲鳴に変わる。
次の瞬間、彼の体は重力に引かれるように地面へと崩れ落ちた。
赤い液体が、彼の鎧の隙間からじわりと滲み出す。
大地に広がる、暗紅の痕――。
「ダメ……!」
エレは反射的に彼へ駆け寄る。
馬車から飛び降り、震える手で彼を支えようとする。
しかし、その時――。
「いい加減にしろ!」
怒りの声とともに、強い力が腕を引き戻した。
「……っ!」
腕に衝撃が走る。
無理やり引き起こされた拍子に、痛みが走った。
――サイラスだった。
彼の琥珀色の瞳が、鋭く光る。
その表情は、これまで見たことがないほど苛立ちを帯びていた。
「言ったはずだ――俺に任せろ、と。」
低く、しかし強い口調。
怒りを隠そうともせず、彼はエレを睨みつける。
彼の指はまだ彼女の腕を掴んでおり、その力の強さが痛みとなって伝わる。
「……痛い。」
エレは思わず顔をしかめる。
彼の目が、一瞬揺れた。
だが、すぐに彼は手を緩めず、冷静さを取り戻したかのように短く息を吐く。
「姫様!」
その時、リタが駆け寄り、エレの前に立ちはだかった。
鋭い視線でサイラスを睨みつけながら、彼の手を強引に振り払う。
「放してください。」
短く、しかしはっきりとした声だった。
サイラスは、少しだけ眉をひそめる。
だが、無理に抵抗はしなかった。
ゆっくりと手を離し、面倒そうに肩をすくめる。




