表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
第二章:帝都へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/194

(32) 予兆の夢

 エレは部屋に戻ると、扉を閉め、ふっと力を抜いた。

 深く息を吸い込みながら、静かにベッドの縁に腰を下ろす。


 窓の外では月の光が静かに降り注ぎ、薄闇に淡い輝きを落としていた。

 けれど、その光は、彼女の胸中に渦巻く疑念を消し去ることはできない。


 この旅路の波乱は、まだ終わりではない。


 そして――

 カイン・ブレストという男は、決してすべてを明かすことはないだろう。

 そう確信しながらも、彼の真意がどこにあるのか、エレには分からなかった。


 考え込んでいたその時。

 扉が、そっと開かれる。


 エレが振り向くと、リタが静かに足を踏み入れた。

 手には水差しを持ち、そのままテーブルへと置く。


「姫様、お加減はいかがですか?」

 簡潔な言葉だが、その声音には気遣いが滲んでいた。


 エレは微かに眉を寄せながら、テーブルの上に置かれた小さな箱に目を落とす。

 ――王家の紋章が彫り込まれた、精巧な細工の装飾箱。


 燭光に照らされ、淡い輝きを放っている。

 彼女はそっと息を吐くと、小さく呟いた。


「カインという人は、本当に掴みどころがないわね……」

 独り言のように零した言葉だったが、そこには僅かな苛立ちが混じっていた。


「彼は……いったい何を考えているのかしら?」


 リタは小さく笑い、どこか軽い調子で応じる。

「まあ、確かに厄介な男ですね。」


 そして、エレを見つめながら、少しだけ意味深な笑みを浮かべる。

「でも……少なくとも帝都には連れて行ってくれるみたいですし?」


 リタの言葉は、表面的には何気ないものだった。

 だが、その言葉には「それ以外の意図があるかどうかは分からない」という含みもあった。


 エレは沈黙し、再び窓の外に視線を向けた。

 広がる夜空は、どこまでも静謐で、深く、どこか遠かった。


 だが――そこに答えはなかった。


「……彼との関わりは、もう増やしたくないの。」

 疲れたように呟く。


「けれど、今は……彼に頼るしかない。」


 それが、今の自分の立場なのだ。

 彼女は悔しさを噛み締めながらも、その現実を受け入れるしかなかった。

 リタはそんなエレを見つめ、穏やかに微笑む。


「姫様、今はゆっくりお休みください。お疲れでしょう?」

 その声には、まるで母親のような優しさがあった。


 エレはテーブルの装飾箱に手を伸ばし、そっと撫でる。

 その感触は、幼き日々の記憶を微かに呼び起こすものだった。

 少しだけ、心が落ち着いた気がする。


「ありがとう、リタ。」

 彼女は微笑み、静かに言葉を返す。


「あなたも、早く休んでね。」

 そう言い終えると、エレはそっとベッドへ横たわる。


 深く息を吸い込みながら、ゆっくりと目を閉じた。

 今はただ、この旅路の先に待つものを考えすぎないように――。


 すべてを取り戻せるその時まで。


 今はただ、カインのペースに従うしかない。

 ――それが、彼女に残された唯一の選択肢だった。


 ◆ ◆ ◆ 


 エレは深い眠りに落ちた。

 だが、その夢はあまりにも混沌としていた。


 彼女は夢の中で「見て」いた――。

 激しい伏撃の光景を。


 夜闇に包まれた森の中を、必死に駆けている自分。

 月光が枝葉の隙間から漏れ、わずかに道を照らす。


 しかし、その光はあまりに頼りなく、あたりには張り詰めた緊張感が漂っていた。


 馬の悲鳴。

 鋼鉄がぶつかり合う音。

 そして、カインの部下たちが次々と倒れる姿。

 そのすべてが、恐ろしく鮮明だった。


 息が乱れ、足がもつれ、どれだけ逃げようとしても、その光景から抜け出すことができない――。

 まるで、何かに囚われたかのように。

 突然、激しい揺れが襲った。


「……っ!」


 エレは弾かれるように目を覚ました。


 心臓が激しく鼓動し、全身が冷たい汗に濡れていた。

 息がうまく整わず、喉が詰まるような感覚に襲われる。


 夢の感覚が、まだ彼女の中に焼き付いていた。

 シーツをぎゅっと握りしめながら、必死に現実へと意識を引き戻す。


 暗闇に包まれた室内。


 しかし、頭の奥にはなおも、夢の中の光景が残っている。

 わずかな物音に気づいて顔を上げると、リタがそばに立っていた。

 彼女は無言でエレを見つめている。

 不安げではあるが、冷静な視線。


「姫様、大丈夫ですか?」

 静かだが、確かな気遣いが込められた声だった。


 エレは大きく息を吸い込み、気を落ち着かせながらゆっくりと起き上がる。


 そして、窓の外へ視線を向けた。

 ――夜空は、夢の中と同じように深く、どこまでも静かだった。


「……夢を見たの。」


 エレは低く呟く。

「伏撃の夢。森の中、夜の闇の下で……。馬の嘶き、剣の交差する音……そして、騎士たちが次々と倒れる光景。」


 言葉を紡ぐたびに、胸の奥がざわつく。

 あまりにも鮮明で、あまりにもリアルだった。


 ――ただの夢にしては、現実味がありすぎる。


 リタは眉をひそめ、考え込むように黙り込む。

 そして、慎重に言葉を選びながら囁く。


「……旅が続いてお疲れなのでは?

 そのせいで、こんな夢を見たのかもしれません。」


 だが、エレは静かに首を振った。


「違うわ。」

 否定の言葉は、はっきりとしていた。


「これは……ただの夢じゃない。

私は、あの中にいた。

恐怖も、焦燥も……すべてが、あまりにもリアルだった。」


 そして、彼女は確信する。

 ――これは、いつか訪れる光景なのではないか、と。


「……カインは、きっとこんな話を信じないでしょうね。」


 エレは苦笑する。

「だけど、私は無視できない。」


 リタは彼女をじっと見つめた。

 その瞳の奥には、微かに複雑な感情が宿る。


「もし、これが予兆だとしたら……?」


 彼女の問いかけに、エレは答えず、ただ窓の外を見つめたまま思考を巡らせる。

 そして、やがて、決意を固めるようにゆっくりと口を開く。


「確かめるしかないわ。」

 自分の直感が間違いだったとしても、それを知るためには行動するしかない。


 リタは静かに息を吐き、そして小さく微笑む。

「それなら……カイン様に話してみますか?」


「……ええ。」


 たとえ彼が信じなくても、それでも伝える必要がある。

 そう思った瞬間、エレはすっと立ち上がった。


 ――もし、この夢が未来の一片ならば。

 その未来が訪れる前に、何かを変えなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ