(26) 琥珀のピアスの価値
カインは静かにエレを見つめ、琥珀色の瞳にどこか揶揄めいた光を宿しながら、唇の端をわずかに持ち上げた。
「……しかし、そんなに帝都に行きたいのなら——」
彼は淡々とした口調で言いながら、馬へと向かって歩き出す。その背中からは、拒むことを許さないような圧が感じられた。
「俺が直接、連れて行ってやるのも悪くない。」
エレの瞳がわずかに揺らぎ、心臓が一瞬止まる。
——彼はもう、何も隠していない。
彼はすべてを知っている。
自分の正体も、目的も、そして行き先も。
ここで否定することなど、もはや意味がなかった。
エレは小さく息を吸い込み、できる限り平静を装いながら、慎重に問いかける。
「……そんなに親切な人だったかしら?」
カインはふっと振り返り、その琥珀色の瞳でじっくりとエレを見つめた。まるで鷹が獲物を見据えるような、鋭く深い眼差し。
そして、唇にうっすらと笑みを浮かべながら、からかうような口調で言った。
「俺の舞姫が、ろくでもない連中に攫われるのを見過ごすほど、薄情じゃないさ。」
その言葉には、どこか冗談めいた響きがあった。
だが同時に、妙な誠実さも含まれているように感じられた。
エレの心に警鐘が鳴る。
——この申し出は、果たして罠なのか?
だが、今の彼女には選択肢がなかった。
目の前の男は、間違いなく本物のノヴァルディア貴族。
少なくとも、正体の知れない商人たちよりは、賭ける価値がある。
彼女はゆっくりと息を吐き、静かに決断する。
「……いいわ。乗せてもらいましょう。」
最後の「琥珀商人」が地に伏した時、カインの部下たちは素早く動き出し、倒れた者たちの荷物を調べ始めた。
それは戦場での略奪ではない。証拠の確保——それが彼らの役目だ。
やがて、一人の黒衣の騎士がカインの前に進み出る。
彼は恭しく片膝をつき、小さなベルベットの袋を両手に捧げた。袋の口はわずかに開いており、中から見覚えのある色彩が覗いていた。
「カイン様、彼らの荷物の中から、これを発見しました。」
騎士は低い声で告げる。その声には、一抹の慎重さが滲んでいた。
カインは無言のまま手を伸ばし、その袋を受け取る。そして、指先で軽く傾けると——
琥珀色のピアスが、月光の下へとこぼれ落ちた。
エレの心臓が一瞬、強く脈打つ。
——私のピアス!
彼女の視線は、その小さな宝石に釘付けになった。指先が冷たくなるのを感じる。
これは、かつてエスティリアを離れたエドリックが彼女に送ってきた信物。
そして、今の彼女にとって——数少ない、大切な宝物の一つだった。
帝都へと繋がる唯一の証——それを、危うく失うところだった。
夜風がそよぎ、微かな冷気を運んでくる。
カインはゆっくりと視線を落とし、指先で琥珀のピアスをなぞる。
なめらかな表面を撫でるたび、微かな光が宿る。琥珀の奥深い輝きは、しかし——彼の目の奥までは映さない。
沈黙が、二人の間に広がった。
やがて、彼は静かに顔を上げる。
視線が絡み合い——
そして、一歩踏み出し、何の前触れもなく身を屈めた。
——近い。
エレは息を止めた。
夜の冷気と、彼独特の落ち着いた気配がふわりと肌に触れる。
想像以上に、近い——
「……お前は、このピアスの本当の価値をわかっていない。」
カインの低く響く声が、夜の静寂に溶ける。
落ち着いた口調のはずなのに、妙に圧迫感がある。
それはまるで、耳元で囁かれた警告のようでもあり——あるいは、挑発のようにも聞こえた。
エレは思わず動きを止める。指先が、かすかに震えた。
この言葉……どういう意味?
エレの心臓が、不規則に跳ねた。
喉が僅かに詰まり、息が浅くなる。
今まで人に近づかれることはあったが——
彼の気配だけは、なぜか抗いがたい違和感を抱かせる。
無意識に後ずさる。
けれど、あまりにも露骨な反応を見せるのは危険だと、本能が告げていた。
それでも——
カインの視線は、獲物を捉えた狩人のように逃さない。
焦らず、ゆっくりと、だが確実に捕らえようとする冷ややかな眼差し。
エレは平静を装い、かすかに息を整えた。
そして、低い声で問いかける。
「……これは、ただの琥珀のピアスでしょう?」
試すように言った。
しかし——
カインは何も答えない。
ただ静かに彼女を見つめ、唇の端に淡い笑みを浮かべるだけだった。
やがて、彼はゆっくりと手を伸ばし、ピアスをそっと差し出した。
「お前のものだ。大事にしろ。」
穏やかな声色。
だが、その言葉の奥には、この琥珀のピアスが持つ「本当の意味」を、彼女はまだ理解していない——そんな暗示が込められているように思えた。
エレの視線が、彼の掌に落ちる。
そして、ゆっくりと顔を上げ、彼の目を見た。
——琥珀色の瞳。
夜闇の中で、それは宝石のように深く、まるで光を飲み込むかのように神秘的な輝きを放っていた。
しかし、次の瞬間——
彼の両目の色が、わずかに違って見えた。
左の瞳だけが、ほんの少し深い色を帯びているような気がした。
いや、それだけではない。
——わずかに、金色の光が滲んでいる?
エレは思わず瞬きをした。
しかし、その瞬間に月明かりが揺らぎ、視界が微かに滲む。
疲れているせいか、それともただの夜の錯覚か——
彼女は深く考え込む前に、自然と視線を逸らした。
目の端に映ったのは、彼の左耳に揺れる月長石のピアス。
闇夜に浮かぶその石は、淡い青紫の光を帯びており、彼女の記憶にあるものよりも、さらに透き通っているように感じた。
エレはゆっくりと手を伸ばし、指先で琥珀のピアスにそっと触れる。
指腹に伝わるのは、冷たい石の感触——
だが、その微かな冷たさが、まるで彼女の心の奥深くに、知らぬ間に沈めていた何かをそっと揺さぶるような、そんな奇妙な感覚をもたらした。
しかし、その瞬間——エレはあることに気がついた。
——なぜ彼は、この琥珀のピアスが私のものだと知っているの?
心臓が、わずかに跳ねる。
……彼は、このピアスの来歴を知っている?
彼に見せたのは、片方だけだった。
もう一つの存在は、意図的に隠していたはず。
なのに、彼はあたかも当然のように、それが**「私のもの」**だと断言した——
——この男、一体どこまで知っているの?
エレは胸の奥で押し寄せる動揺を必死に押し込み、何事もなかったように顔を上げた。
そして、試すように問いかける。
「本当に……私を帝都へ連れて行ってくれるの?」
疑い、迷い——
その声には、微かに揺らぎが混じっていた。
だが、はっきりとした拒絶の言葉は、どこにもなかった。




