(24) 帝都へ通ずる扉
夜の帳が下り、市場の喧騒は次第に静まり始めていた。
ぽつぽつと灯る店の明かりも、残されたわずかな客を待つばかり。
エレは静かに息を吸い込み、そっと手を握りしめた。
指先に触れる琥珀の冷たさが、彼女の覚悟を確かめるように伝わってくる。
——これが、彼女の最後の賭け。
エレとリタは、事前に決めていた場所へと向かった。
市場の奥深くに佇む、一軒の酒場。
外観こそ目立たないものの、出入りする客はどこか只者ではない雰囲気を纏っている。
店の扉をくぐった瞬間——
すぐに、視線を感じた。
ひとりの中年の男が、ゆっくりと彼女たちを見やる。
豪奢な衣服に身を包み、どこか余裕のある仕草を見せながら、傍らの仲間に何かを囁いた。
そして、にこやかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「こんな夜更けに、貴女たちは何の用で?」
飄々とした口調とは裏腹に、彼の瞳には鋭い知性が光っていた。
エレは何も言わず、ただ静かに手を伸ばす。
そして、そっと掌を開いた。
月の灯りに照らされた琥珀のピアスが、静かに輝きを放つ——。
灯の下、琥珀は静かに光を放っていた。
その輝きは温かみを帯びながらも、どこか奥深く、そして澄み切った色合いをしている——
これはただの琥珀ではない。
皇族のみが持つことを許された、最も純粋な琥珀。
男の表情が、一瞬で変わった。
背後にいたもう一人の商人も、彼の視線を追うように琥珀を見つめ、そして目を見開いた。
その瞳には、隠しきれない驚きが浮かんでいる。
「……その琥珀、どこで手に入れた?」
「もともとは私のものよ。」
エレは淡々と答える。
「でも今は——あなたたちのものになってもいいわ。ただし、私たちの手紙を帝都へ届けてくれるのなら。」
商人は数秒の沈黙の後、ふっと微笑んだ。
「手紙を運ぶだけでは、少しもったいないな。」
「どういう意味?」
エレは目を細める。
男はじっと彼女を見つめ、含みのある声で言った。
「こうしてはどうだ?**君たちも一緒に来るといい。**帝都まで同行すれば、直接返事を待つこともできる。そちらのほうが都合がいいだろう?」
エレの心臓が一瞬高鳴った。
——まさか、こんな形で帝都へ行く道が開かれるなんて。
ずっと帝都に入る手段を探していたというのに、まさか向こうから道を提示してくるとは。
「君たちは旅芸人として同行すればいい。」
男はさらりと言う。
「そうすれば、移動の際に目立つこともないし、検問も容易に通れる。悪くない話だろう?」
「明日の黄昏、俺たちは隊を出発させる。その時までに決めてくれ。」
エレは俯き、短く考える。
——この取引、悪くはない。
むしろ、彼女にとっては願ってもない機会だ。
やがて、彼女は小さく微笑み、静かに頷いた。
「……わかった。明日の黄昏、必ず行く。」
◆ ◆ ◆
荒野の夜は、闇に包まれていた。
ブレストの町の灯りが遠ざかるにつれ、辺境の静けさと危険がより際立っていく。
エレとリタは並んで、粗末な野営地の中央に立っていた。
周囲には、"琥珀商人"たちの姿——彼らは帝都へ向かうための橋渡しとなるはずだった。
だが今、この場では彼らは"看守"となっていた。
——空気が変わった。
「これは……帝都へ向かう道じゃないわね?」
エレは静かに問いかける。
その声は冷ややかで、どこか張り詰めていた。
男は薄く笑い、帳簿を懐に収めると、ゆっくりと立ち上がった。
その視線がエレに向けられる。——悪意を隠そうともしない、濁った目だった。
「確かに、違うな。」
「では、私たちをここへ連れてきた目的は?」
エレはマントの端を握りしめながら問いただす。
表情を変えずに、しかし、最悪の事態を想定していた。
「お姫様——」
男はふと、声色を変え、皮肉げな笑みを浮かべる。
「いや、違ったな……エスティリア出身の踊り子さん?」
——心臓が、重く沈んだ。
「まさか、本当に俺たちが"ただの琥珀商人"だとでも?」
男は鼻で笑い、エレの腰元に視線を落とす。
「お前が差し出したあの琥珀——確かに本物だ。だが、貴族風情が持てるような代物には見えなかった。」
「片方のピアスを見せられたら、普通はこう思うだろう?」
男の口元が歪む。
「——もう片方も、まだどこかに隠しているんじゃないかってな?」
エレは、沈黙した。
……分かっていたはずだった。
こんな辺境で商いをする連中が、彼女の"財"に興味を持たないわけがない。




