(187) 抗う志の対峙
森林の中での戦いは、短くも苛烈な膠着状態に陥っていた。
火銃兵たちは林道の両脇に身を伏せ、交代で射撃を繰り返す。
硝煙は狭い茂みに充満し、呼吸すら苦しくなるほど。
煙の中から時折、短槍や刃の閃きが現れ、銃床、銃剣、剣と衝突する金属音が錯綜する。
「殿下、左翼が包囲されます!」
「退路を塞がれました!」
「火薬包、間に合いません!」
サイラスは迫り来る敵兵を剣で斬り払い、血飛沫が灰褐色の樹皮を染めた。
額には冷や汗が滲み、呼吸も荒い。
左腕の傷はすでに血に濡れ、じくじくと痺れを伴っている。
「陣形を崩すな、冷静に!」
鋭く叱咤する声が混乱を断ち切るように響いた。
「二歩後退、火薬を交換——撃て!」
火花が閃き、目前まで迫ったサルダン伏兵の数人が悲鳴を上げて倒れる。
だが、なおも側面から続々と現れる敵影に、銃兵たちは銃を横に構え、銃剣で必死に応戦するしかなかった。
「……くそっ」
サイラスは荒い息をつきながら、冷静に状況を分析する。
彼ら伏兵は重装でも騎兵でもない。ただ数が多く、ここを「肉挽き場」に変えるには十分。
目的は殲滅ではない。——足止めだ。
「ラファエット……!」
奥歯を食いしばり、剣を構えた手が震える。
護拳を伝って血が滴り落ちる。
その時だった。
前方の林間に、不意に火の光が灯る。
火縄銃の閃光ではない。
——松明だ。
湿った空気の中、十数本の松明が高々と掲げられ、細い林道を照らす。
その炎の奥には、整列したサルダン軍の新手が現れた。
全員が火縄銃を構え、照準をこちらに定めている。
サイラスの瞳孔が一瞬で縮まる。命令を出すよりも早く——
「——撃て」
低く、しわがれた男の声が響いた。
その声には、どこか冷ややかな笑みすら滲んでいた。
林を割くように火光が一斉に炸裂し、銃弾が頭上と胸元を掠めて飛ぶ。
数名の火銃兵が悲鳴を上げて倒れ、湿った地面に血が飛び散った。
馬が驚いて暴れ、綱を引きちぎって逃げる。
残った者たちは一斉に散り、陣形が崩れていく。
硝煙が少し晴れたその時、松明の影から、ひとりの細身の男が姿を現した。
暗赤に染まった鎧。
礼儀正しさすら漂う、冷ややかな笑み。
そして、炎に照らされて青く光る瞳。
「ずいぶんと無様だな、王子殿下」
ラファエットの声は穏やかで、それでいて胸の内を切り裂くような鋭さがあった。
「俺がここでお前を待っていたのは、わかっていたんだろう?」
サイラスは剣を握り直し、肩で息をしながら睨みつける。
左腕から血が地面へと滴る。
「……お前は俺を足止めして、主軍を立て直す時間を稼ぎたかった」
「そして、俺が戻る頃には……すべてが手遅れになると」
ラファエットは口角を上げて答えた。
「正解だ」
彼が軽く手を挙げると、背後の銃兵たちも銃口を再び構える。
だが、すぐには撃たない。
「もっとも、足止めは……ほんの小手調べにすぎない」
ラファエットの視線が、サイラスの左目に向けられた。
その青い瞳に宿る光が、ぞっとするほど冷たかった。
「本当に欲しいのは、その目だ」
周囲は再び静まり返る。
聞こえるのは、焚かれた火が爆ぜる音だけ。
サイラスは深く息を吸い、鋭く光る眼差しを向けた。
「つまり……ここで俺を殺して、その目を奪うために、これだけの仕掛けを……」
ラファエットは否定せず、むしろ楽しげに一歩下がり、まるで宝物を愛でるように言った。
「殺す? いや、それじゃ意味がない」
「俺が欲しいのは、“お前が生きたまま”門を開くことだ」
彼は手をゆっくりと持ち上げる。
掌を開く仕草。
まるで「門を開けろ」と命じるかのように。
「わかってるだろう、お前の目が“鍵”なんだ」
「奇跡への門を開く……唯一の鍵だよ、サイラス殿下」
炎の明かりが、汗と血に濡れたサイラスの顔を照らしていた。
左腕からは血がじわじわと滴り落ち、剣を握る指は白く強張っている。
彼は息を荒くしながらも、鋭い視線でラファエットを睨みつけた。
まるで、次の一手を読もうとするように。
ラファエットは低く、かすれた声で笑った。
その声は、まるで砂利が喉を通るようにざらついている。
「……異世界」
口元が僅かに吊り上がる。だがその目には冷え切った光が宿っていた。
「お前……行ってきたんだろう?」
その言葉に、サイラスの瞳が一瞬だけ細まる。
何も答えなかったが、その反応をラファエットは見逃さない。
笑みが、より冷ややかなものへと変わっていく。
「あの日……光柱が立ち、お前はその中に消えた。あの忌々しい紋章も、一緒に消えたな」
サイラスは唇を引き結び、冷たい光を瞳に宿す。
荒い呼吸の中で、口元に僅かな笑みを浮かべた。
その声音は、まるで焼き入れた鋼のように冷たく硬い。
「……ああ、行ってきたよ」
「夜でも昼のように明るい“街灯”があり」
「熱い湯が自動で出てくる“管”がある。清潔で、便利で、誰でも使える」
「街を走る箱のような“車”、それに“電気製品”とやらもあったな」
その声は大きくはなかったが、夜風を切る刃のように鋭く響いた。
「たしかに便利だ」
「だがな……」
サイラスはじっとラファエットを見据え、その視線はまるで相手を地に縫い付けるようだった。
「それらは、人々が生きるために、互いを思いやるために、家族のために……そうやって築き上げたものだ」
「だがお前は?」
嘲笑するように吐き捨て、顎から血がひとしずく落ちた。
「それを“殺すため”の道具にしようとしている。征服するために」
「すべてを支配して、自分が“神”だとでも証明する気か」
「……冗談じゃない」
サイラスは剣先をラファエットに向け、低く身を構える。まるで今にも飛びかかろうとする狼のように。
「そんなものは……あの世界に置いておくべきだ」
「俺は、お前なんかに触れさせはしない」
ラファエットの笑みが徐々に消え、瞳に鋭い光が差した。
「……いいだろう、殿下。」
その声は低くかすれており、まるで蛇が舌を這わせるような冷たさを含んでいた。
「そこまで自分の理念を信じているのなら――見せてもらおうか。」
「その“神聖”な手で、どこまで人を殺せるのかを。」
ラファエットは手首を軽く回し、火の明かりの中で剣をゆらりと構える。
だが一気に詰め寄ることはせず、代わりに一歩だけ後ろへ引いた。
その視線は周囲を探るように動き――
「殺れ。」




