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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
焰に響くの終焉

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186/194

(186) 焰に抗う志

 午後の光が徐々に傾き、空は白から淡い黄昏色へと染まりつつあった。

 砂地の足跡は風に削られ、騎兵たちの影は夕陽に引き伸ばされている。


「隊列を崩すな」


 サイラスは先頭で馬を駆り、低く鋭い声を放った。

 後方には火銃隊が二列に並び、馬の背には短銃と予備の火薬包が括られている。


 この道は、ヴェロニカが地図を指し示しながら説明していた通りだ。

『南から丘陵を迂回し、林道へ。二つの信号地点を通過すること』


 一行は川沿いの河床を進み、水音が乾いた石の隙間からぐるぐると響く。

 木々の影が交錯し、湿った腐葉の臭いが鼻を刺す。

 蹄はぬかるみに沈み、鈍い音を立てた。


 サイラスが手を挙げ、全隊に停止を命じる。


 前方の道は、両脇を棘の茂みと雑木が覆い、人の手で削られたような土の斜面が見える。

 一見して放棄された監視哨の跡のようだ。


 彼はしばらく耳を澄ませた。


 風の音のほかには、角笛も、叫び声もない。

 ただ、草葉が擦れる微かな音がするのみ。


「……信号地点だ」


 彼は静かに呟き、頭に刻み込まれた地形線を思い浮かべながら視線を巡らせた。

 ここは、第一の目印。


 ヴェロニカの声が脳裏を過る。

『第二の信号地点に日没までに到達すること。主軍との挟撃のタイミングが崩れるわ』


 サイラスは手を挙げ、左前方の細道を指し示した。


「二列に分かれろ」

 低く応じる声とともに、部隊は素早く再編された。

 火が灯され、細く煙を上げるが、林の陰では目立たない。


 サイラスは傾き始めた太陽を見上げ、手綱の上で指先を軽く叩いた。

 時間は、まだある。


 だが彼は理解していた。

 ──ラファエットも、きっと同じ夕陽を見ている。


 その時、風が微かに香りを運んできた。

 血でも火薬でもない。

 ──薬草が燻されたような、淡く甘い煙の匂い。


 眉をひそめ、彼は無意識に剣の柄に手を置いた。


「……歩調を落とせ」

 低く絞り出すような命令に、兵たちは息を潜めるように従う。

 馬の蹄音が一層鈍く湿った音へと変わった。


 サイラスは、林の奥の暗がりを睨みつける。

 ──ラファエット、お前はどこに潜んでいる……?


 馬の足音が湿った土を叩く音が重く響く。

 火銃兵たちは息を潜め、小道の先に広がる影は、まるで獣の口のように不気味な沈黙を湛えていた。


 ──風が止まる。

 木の葉すら音を立てず、夜鳥の鳴き声もぴたりと止まる。


 サイラスは左手を挙げて停止を指示し、前方の茂みを睨みつけた。

 ……様子がおかしい。


 あの土、周囲よりも濃く、湿っている。

 ──まるで、誰かが最近掘り返したように。


 「全員、五歩後退、準備」

 氷のように冷たい声が、静寂を裂く。


 兵が「了解!」と叫ぶや否や、茂みの中から微かな「カチ」という音が響いた。

 サイラスは反射的に剣を構える。


 次の瞬間、罠が跳ねた。

 削られた木槍が複数、引かれて空を裂き、二本が彼の肩をかすめ、背後の木に深々と突き刺さる。

 馬が驚いて嘶き、火銃兵が必死に銃を抱え直す。中には馬から落ちかける者もいた。


「落ち着け! 陣形を崩すな!」

 サイラスの声は剣の如く鋭く、混乱の中に響き渡る。


 彼は自分の左腕に目をやる。木槍に裂かれ、深い傷口から血が鎧を伝って滴る。

 だが、それを気にする暇はない。


 ──茂みの奥から、無数の黒い影が現れる。


 サルダン軍の軽装歩兵。

 頭には灰布、手には粗雑だが致命的な槍と刀。


「撃てっ!」


 火の閃光が林の暗がりを裂き、第一列の射撃で二人の敵兵が吹き飛ばされた。

 だが敵は怯まない。むしろ次々と仲間の屍を越えて突進してくる。


「後退しろ、迎撃準備!」


 サイラスは斬りかかってきた敵を一太刀で薙ぎ払い、返り血がその頬を濡らす。


 この地形では、火銃の力は半減する。

 狭い林道での接近戦こそ、最も分が悪い戦い方。


 ──これは殲滅戦ではない。


 サイラスは冷静に見極めた。


 ──ラファエットの目的は、俺をここで足止めすることだ。


「ラファエット……!」


 奥歯を噛み締め、剣を風の如く振るい続ける。

 林には叫び声、火の爆音、命令の怒号が交錯する。


 その中、彼は微かな音を聞いた。

 ──風に乗る、微笑のような声。


 暗がりの奥。

 ちらりと、鮮やかな蒼い目が閃いた。


 ──ラファエット。


 サイラスは息を吸い、胸中の熱い血潮を鎮める。目には鋼の冷徹が宿る。


「陣形を崩すな!」

「側面を死守! 後列は装填、準備が整い次第撃て!」

「坂に退くな! 囲まれるぞ!」


 その声は雷鳴のように戦場に響き渡り、兵の混乱を一喝で押し留める。

 だが、彼の胸の奥にはわかっていた。


 ──本当の脅威は、まだこの先にいる。

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