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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
焰に響くの終焉

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183/194

(183) 銃火に刻むの突撃

 夜の帳が次第に深まり、戦場には霧が潮のように広がっていた。

  前線の仮設指揮所は、なだらかな土塁の裏に設けられ、泥に突き立てられた松明が不安定な赤い光を揺らしている。

  その灯りに照らされるのは、疲れと覚悟を湛えた数人の顔。


「……ここ、か?」

  アレックが低く尋ねる。


 サイラスはしゃがみ込み、粗く描かれた地図を指差しながら、低い声で答えた。


「敵の中軍は、最近この辺に集結している。この防衛線は薄い。レオンは正面で奴らを削っている。俺たちは、側面から陣を崩す」


 アレックは前方の闇を見据え、わずかに眉をひそめる。

「主力は半里ほど後退した。敵を誘うためだ。こっちがさらに深く入れば、撤退に時間がかかるぞ」


「時間は交渉の切り札だ」

  サイラスの声は静かだった。

  琥珀色の瞳に、火の光が揺らめく。

「一度、穴を開ければいい。あとはレオンが刈り取るだけだ」


 傍らにいた火銃隊の小隊長が前に出て報告する。

「殿下、霧がまた濃くなってきました。視界が極端に狭いです」


 サイラスは顔を上げ、闇の中をじっと見渡した。

「銃火の光を目印にさせろ。二射したら、すぐ撤収だ」


 「はっ!」


 アレックは銃床を握りしめながら、サイラスを横目で見る。

「……殿下は、覚悟はできてるのか?」


 サイラスはすぐには答えず、沈黙のまま、親指で剣の柄をなぞった。

   陰のような表情の奥に、彼は一つの記憶を辿っていた。


 ──異世界の公園。

  ──エレの顔。

  ──そして、最後に握られた手の温もり。


「……終わらせる」

  ぽつりと呟く。

「この戦、これ以上は引き延ばせない」


 アレックはその横顔を見て、一瞬複雑な感情を瞳に浮かべたが、結局小さく「……ああ」とだけ返した。


 次の瞬間、松明が低く伏せられ、戦鼓が微かに鳴る。

  低く短い号令が、静かに広がった。


 帝国の側面突撃部隊が、ぬかるんだ丘陵を静かに進軍していく。


 火薬袋が銃身に擦れる音。

  兵士たちは息を殺し、顔には恐怖と決意が入り混じっていた。

  夜風は頬を裂くように冷たい。


 サイラスは後ろの若い火銃兵たちを一瞥し、静かに言った。


「ついてこい」


 そして剣を握り、彼らを導いて、黒き闇の中へと溶けていった。


 ◆


 霧はさらに濃くなっていた。


 夜の闇の中、火銃の火光がかすかに瞬き、第二射が冷静に行われる。

  短く鋭い炸裂音が響き、敵陣からは混乱と怒号が返ってきた。


「──あっちだ! あそこにいる!」

 叫びは霧の中で方向感を失い、敵の隊列は明らかに乱れている。


 アレックはそれを見て、声を抑えたまま呟く。

「──うまくいったな」


 サイラスは無表情のまま、手を上げて撤退の合図を送った。

「銃を収めろ、撤退する」


 火銃隊は一言も発せず、分隊長の合図で迅速に動き出す。

  霧が、彼らの退路を完璧に隠していた。


 遠くから、かすれた角笛の音が聞こえる。

 ──サルダン軍の指揮が異常に気づいたのだ。再編命令が飛んでいる。


 サイラスはその混乱する火光の塊を一度だけ振り返り、その瞳に、鋼のような冷たい光を浮かべた。


「──あとは任せたぞ、レオン」


 そう言い残して、彼はアレックと火銃隊を率いて、霧の奥へと消えていった。


 ◆


 しばらくして、別の方角から、戦線が激しく動き始めた音が届いてくる。

  主軍が、反撃に転じたのだ。


 サイラスは足を止め、耳を澄ませた。


 アレックも耳を傾け、やがて言った。

「主軍が動いた。ヴェロニカ率いる側面部隊も、そろそろ押し始める頃だ」


「……」


「殿下、前線へ出ないのですか?」


 サイラスは剣の柄を強く握りしめ、深い目をして答える。

「まだだ」


「……何を待ってる?」


「奴を、だ」


 アレックは一瞬だけ目を見開いたが、それ以上は訊かなかった。


 濃霧の中、サイラスは見えぬ空を仰ぎ見た。

 その喉が固く鳴る。

  脳裏に、帳の中でエレが言ったあの言葉がよみがえる。


 ──もし……彼女があなたを人質にしようとしたら……

  ──どうか……自分を最優先にして。


 彼は目を伏せ、ほんの一瞬、苦痛の色が瞳に浮かんだ。


「……わかってる」

 その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。


 そして、大きく息を吸う。

「だが……俺自身の手で、終わらせたい」

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