(18) 交錯する探り
「そうだな。人は前を向いて生きていくものだ。」
カインは微笑しながら、何気ない口調で呟く。
だが、その軽やかな声音の奥には、微かに響く別の意図があった。
「……とはいえ、昔のことや懐かしい人を探し回る者もいる。そう思わないか?」
さらりとした言葉。
だが、それはまるで彼女の核心を試すような問いかけだった。
カインはカップを持ち上げ、ゆっくりと視線を落とす。
琥珀色の液体に揺れる光の反射を眺めながら、静かに告げる。
「エスティリアで政変が起こったと聞いた時、すぐに調べさせたよ。」
エレの心臓が、一瞬だけ強く打つ。
指先が微かに緊張し、カップの縁をなぞる動作に力がこもる。
——父王と母上の消息を、彼は知っているのか?
——いや、これは私を試している……
考えが巡る中、エレはすぐに平静を装った。
ゆっくりと顔を上げ、作り慣れた微笑を浮かべる。
だが、その視線の先には、まるで彼女の仮面の下を見透かすかのように、じっと見つめるカインの瞳があった。
琥珀色の瞳孔は静かに揺らめきながら、彼女の一挙手一投足を逃さない。
思わず指先に力が入る。
それでも、表情は変えない。
「……へえ。」
彼女は淡々と微笑みながら、静かに口を開く。
「カイン様は、随分とエスティリアのことを気にかけているんですね。」
カインは、くつくつと喉の奥で笑う。
「昔、しばらく滞在していたからな。全くの無関心というわけにもいかないさ。」
その声音は飄々としている。
だが、その双眸は依然として冷静に彼女を見据えていた。
エレは僅かに息を整え、笑みを崩さないまま、柔らかく問い返す。
「そうですか……では、大人はどんな話を耳にされたのでしょう?」
——私は、今ここで、何も悟られないようにしなければ。
カインはふと間を置き、それから静かに告げた。
「国王は——王城が陥落した際に、死亡した。」
その瞬間、エレの指がわずかに震えた。
握りしめたフォークの先端が、微かに皿を擦る音を立てる。
——父上が、もう……。
だが、彼女はすぐに呼吸を整え、感情を抑え込んだ。
ここで動揺を見せるわけにはいかない。
ましてや、彼の前で。
静かに息を吸い込み、努めて平静な声を作る。
「……そうですか。」
それだけを言い、エレはカップを手に取った。
湯気の向こうに揺れる彼の顔を見つめる。
——まだだ。
——まだ、母上のことを聞いていない。
「……では、蒼月の聖女様は?」
彼女の声は穏やかだった。
だが、その指先は、わずかにカップを握る力を増していた。
カインは、そんな彼女の細かな仕草を見逃さなかった。
琥珀色の瞳がわずかに細められる。
「わからない。」
彼は、静かに告げた。
「少なくとも、今のところ俺の部下は、彼女の消息を掴めていない。」
エレの胸に、冷たい感覚が広がる。
——母上が……行方不明?
答えを聞いた瞬間、彼女は無意識に唇を噛んだ。
だが、その動作すらもすぐに制し、何事もなかったかのように茶をかき混ぜる。
スプーンの先がカップの内側を静かに撫でる。
「……そうですか。」
茶の表面に映る自分の顔。
そこに映るのは、微動だにしない仮面のような微笑み。
しかし——
カインの視線は、彼女のわずかな指のこわばり、言葉の端に滲んだ震えを、見逃してはいなかった。
琥珀の瞳が微かに揺れる。
そして、静かにカップを傾けながら、何気ない声で問いかけた。
「……ところで。」
彼の声音は変わらず穏やかだった。
けれど、そこには確かに何かが潜んでいた。
「エレは、エスティリアの王女のことを聞かないんだな?」
エレの呼吸が、一瞬止まった。
「祖国の姫の安否を気にしないのか?」
彼は微笑していた。
だが、その言葉は、まるで刀のように鋭く、静かに彼女の核心に切っ先を向けていた。
エレの指先は、わずかに強張る。
しかし——それ以上の動揺は見せなかった。
静かに息を整え、自然な微笑みを浮かべながら、カインの琥珀色の瞳を見つめる。
「そうですね……確か、王女殿下は無事に国外へ逃れたと聞いていますよ?」
穏やかな声色。
まるで何の感情も持たない第三者のような、淡々とした語り口。
さらには、どこか感慨深げな表情さえも添えて——
「王族ですもの。忠誠を誓う者は多かったでしょうし、そう簡単に命を落とすはずがないでしょう?」
そう言いながら、彼女はゆったりと茶杯を持ち上げる。
ごく自然な仕草で、一口、ゆっくりと口に含んだ。
まるで——この会話が、単なる他国の政変に関する無関心な雑談であるかのように。
カインはすぐには返事をしなかった。
ただ、じっと彼女を見つめる。
琥珀色の瞳孔は、夜の闇のように深く、何も映さないまま静かに揺れる。
「——ほう?」
低く、小さく笑う。
「国外に逃れた、か。」
くすっと楽しげに笑いながら、カップを指先で転がすように弄ぶ。
「それは、興味深い話だな。」
「というのも——」
彼はそこで一瞬、言葉を切った。
まるでわざと間を作るように、エレの反応を探るように。
そして、さらりと言い放つ。
「俺のところに入ってきた情報には、王女の行方は記されていなかったからな。」
エレの心臓が、一瞬だけ跳ね上がる。
——でも、顔には出さない。
変わらぬ穏やかな微笑を保ちつつ、カップを置く手の力だけを、ごくわずかに緩める。
カインの視線は鋭い。
その動きの一つ一つを、余すことなく観察しているかのようだった。
「もしかすると——」
彼は軽く肩をすくめる。
「君の聞いた話は、誤報だったのかもしれない。……あるいは、誰かが意図的に流した情報か。」
彼の言葉が落ちる。
空気が、ふっと張り詰める。
エレの手のひらに、じんわりと汗が滲むのを感じた。
だが、それでも彼女は表情を崩さない。
「噂というものは、真偽が曖昧なものですからね。」
にこり、と微笑む。
だが、その声は、静かに対峙する刃のように研ぎ澄まされていた。
これはただの会話ではない。
互いに一歩も引かない、探り合いの戦いだ。
カインはそんな彼女の様子を見て、ふっと小さく笑った。
指先でカップの縁をなぞるように撫でながら、どこか気楽そうに言う。
「確かに。噂というものは、真実よりもよく広がるからな。」
彼の笑みは変わらない。
だが、その言葉の奥にある何かは——まるで、彼女の正体を既に知っているかのような、そんな深みを帯びていた。
エレの心は、静かに沈んでいく。
——この男は、私を疑っている。
だが、決して認めるわけにはいかない。
彼の本当の目的が見えるまでは——。




