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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
血の海に咲く白薔薇

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(176) 夜芒に宿る絆

 リナは二人を連れて、夜の街を抜けていった。


 両脇には背の高い建物がそびえ立ち、ガラス張りの壁面がネオンや車のライトを反射している。

  道端の金属の柱には路線図や案内表示が吊り下げられ、書かれている文字はどれも見慣れない。


 たまにすれ違う通行人が、異国風の衣装を身にまとい、顔色の優れない男女に一瞥を送ることもあった。

  だがリナはにこっと笑って軽く会釈し、自然な態度で二人の前に立ちはだかる。

  その堂々とした雰囲気に気圧されたのか、視線を投げた人々も、何事もなかったようにすぐ目を逸らした。


 エレは道端にある透明な箱に目を留めた。

  中には炎のように揺れる光──なんだろう、それ?と尋ねたくなったが、今は大声で話せる場ではないと気づき、疑問を胸にしまい込んだ。


 手は、しっかりと握られていた。


 サイラスは無言のまま。けれど、その指先には確かな力がこもっていた。

  彼の視線は常に周囲を警戒し続け、まるで逃げ道を探しているようでもあり、ここが本当に現実なのかを確かめているようでもあった。


 エレはそっとその手を握り返す。

  指を絡めて、小さく伝える──「私はここにいるよ」と。


 やがて、十数分ほど歩いたところで、少し古びた三階建ての住宅の前に着いた。


 リナが玄関の鍵に数字を打ち込みながら言う。

  「ウチ、すぐそこなの。公園の近くだったのはラッキーなことに、ってやつだね」


 扉を開けるなり、靴を蹴り脱ぎながら中に入る。

「いらっしゃ~い! 無事に到着できてよかったー!」


 部屋の中は想像よりもずっと狭く、リビング兼ベッドスペースの床には木目調のフローリング。

  隅には積まれた本や箱、ビニール袋、倒れた飲料缶が三本ほど。

  中央には低いテーブル、その上には開きっぱなしのノートパソコンと書類の山。

  片隅には小さな流し台、もう一方には引き戸式のトイレが見える。


 サイラスとエレは玄関に立ち尽くし、異世界の匂い漂うその空間を見渡した。

  王都の整然さや荘厳さとは程遠いが、ここには「こちら側の人間」の生活があった。

  それがまた、彼らの知らない現実の姿でもあった。


「うわー、ほんとは今日掃除する予定だったのに! まさか急に来るとは思わなかったもん!」

 リナは慌ててテーブルの上のゴミを紙袋に詰め、紙箱を蹴飛ばして絨毯を叩き、クッションを整える。

  「よし、ここ座って!」


 ぱんっと手を叩き、にっこり笑う。

  「ひとまず無事ならオッケー! 聞きたいこと山ほどあるけど、きっとそっちも疲れてるでしょ?」


 二人は顔を見合わせ、大人しく靴を脱いで並べ、指示どおりにカーペットの上に座った。

  まるで人間の住処に迷い込んだ小動物のようだった。


 リナは壁際の白い棚から、三本の缶飲料を取り出す。

  冷たい水滴が金属の表面を伝っていた。

  そのうちの一本を開け、「ぷしゅっ」という音とともに中の炭酸が弾ける。

  「はいはい、とりあえず一杯どうぞ〜!」


 自分でぐびぐび飲んだ後、大きく息を吐く。

  「はぁ~~~……これこれ、これが“生きてる”って実感だよね~」


 サイラスとエレは戸惑いつつも、彼女の豪快なもてなしを無下にすることはできなかった。


 サイラスは彼女の動きを真似て、プルタブを引く。

  瞬間、缶の中から泡が噴き出し、彼は驚いて手を止める。

  冷たい金属の感触。まるで錬金術師の作った未知の道具のようだった。


 ひとくち飲む──

  喉を駆け抜けるのは、苦みと炭酸の衝撃。


「……っ!」

 未体験の味覚。

  刺激の強さに眉をひそめながらも、なぜか止まらない。

  半分ほど飲んだところでようやく手を止め、彼女に倣って息を吐き──慌てて口を手で覆った。


「……無礼を」


 リナは笑い出す。

  「いいっていいって! 初めての人はみんなビビるんだから! でもその泡の刺激がビールの醍醐味ってやつよ!」

 缶を得意げに振ってみせた。


 エレはというと、両手で缶を大事そうに持ち、そろそろと口をつける。


「……んぅ……?」

 顔をしかめて、そっと舌を出す。

  「……に、苦い……」


「やっぱダメか~? でも冷たくて気持ちよくない?」


「……うん……雪解け水みたいに冷たい……」


「そのうち慣れるよ! 今度は果物のやつにしよっか。女の子にはあっちのが人気だし!」


 そのやり取りを見つめながら、サイラスはふと、懐かしい違和感を覚えた。

  髪の色も、服装も変わった。けれど、彼女の笑い方は──昔のままだった。


「……リナ様……」

 低く、呟くように言った。


「……ここが、あなたの“元の世界”ですか?」

 彼の目は部屋の中の理解不能な物体たちを見回していたが、声は落ち着いていた。


 リナは肩をすくめて笑う。


  「うん。こっちが私にとっての本来の世界。まあ……エレたちにとっては異世界だよね。でも私からすれば、あっちの世界の方が異世界なの」


「まったく、別の世界……ですね……」エレが小さく補った。


「ま、全然別ってわけでもないかな。共通点もあるし。説明すると長くなるけど、ざっくり言えば、こっちは“技術が進んでる”ってとこかな」


「確かに、我々も一度議論したことがあります。異世界人が知識を持ち込めば、文明は飛躍的に発展する。エスティリアが帝国より進んでいるのも──」


「え? 他の国より進んでるの?」リナが首をかしげて遮った。

  「私から見ると、それって“新しいものを受け入れる勇気”があったからじゃない?」


 サイラスは言葉を止め、黙って彼女を見る。続きを待っているようだった。


 リナは指で彼をつついて笑う。

  「サイラスも、エスティリアからいろんなモノを持ち帰ったじゃん?」


 エレが思わず目を見開く。

  ──あの時、帝都で見かけた見慣れた料理……あれも、サイラスのおかげ?


「それより、」リナが急に真顔になる。

  「どうやってここに来たの?」


 サイラスは森での出来事を簡潔に語った。

  語られなかった危険の気配を、リナは察してか、表情を曇らせた。


「じゃあ、マミーは……どうやって戻ってきたの?」

 エレの問いに、リナは長く息をついて語り始めた。


「あの時、王都はほぼ全焼でさ。私は旦那を探してた。けど……たぶんもう……ダメだったんだと思う」

 俯いたリナは、自分の茶髪の毛先を指で弄びながら話を続ける。


「その時はね……もう周りも見えなくて、頭もぐちゃぐちゃで──気がついたら戻ってたの。場所は、さっきの公園。あそこでも光の柱が出てたって聞いたよ」


 彼女は一瞬間を置いて、苦笑した。


「面白いのがさ、私があっちの世界に初めて召喚されたのも、あの公園からだったの。まるで夢みたいに、目が覚めたら全て元通りで、髪の色も戻ってた」


「じゃあ……あの公園が、二つの世界を繋ぐ“門”なんじゃ……?」サイラスが低く言った。


「かもね。でも確証はないよ」リナは肩をすくめた。

  「もし今こうして目の前に二人がいなかったら、あれ全部、ただの夢だったって思ってたかも」


 エレが不安げに声を上げた。

「私たち以外にも……誰か来てる可能性はあるのかな……?」


 サイラスの顔が強張る。ひとつの名を呟いた。

「ラファエット……?」


「さっきは見なかったよ~」リナが彼を一瞥して言う。

  「そんな怖い顔しないでよ~。イケメンがもったいないって」


 そして急に手を叩き、立ち上がった。


「ささっ、時間も時間だし、シャワー浴びて休もう!」

 そう言いながら、部屋の隅の衣類の山を漁り始める。

  「エレは私の服で大丈夫そうだね~。サイラスは……でかいTシャツ、どこだっけ……?」


 彼女が勝手気ままに動き回る姿を見て、

  その自由さと温かさに、ようやく二人の緊張がふっと和らいだ。


 ──疲労は、確実に蓄積していた。

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