(175) 星芒に導く再会
空気には見知らぬ花の香りが混じっていた。
エレはゆっくりと目を開ける。
月光に照らされた草地が目の前に広がっていた。周囲には整然と並んだ木々。まるで人の手で整備された庭園のようだった。
──いや、それだけじゃない。
彼女ははっとして身を起こす。
目の前には広い石畳の道が走り、脇には金属の柱が立っている。
その上にぶら下がっているのは、柔らかな霧のような光を放つガラスの球体。ろうそくではない。見たことのない「灯り」だった。静かに、だが確かに光っている。
頭上には夜空。けれど──明るすぎた。
星は見えないのに、闇でもない。
あたりにはいくつもの巨大な建物が立ち並び、まるで積み上げられた箱のようだった。
一部の窓はまだ光を灯しており、それがまるで「無言の目」でこちらをじっと見つめているようだった。
「……ここは……?」
彼女は慌てて隣を見た。
サイラスが倒れていた。呼吸は乱れ、額には血が滲んでいる。
手にはまだ剣を握っており、体中に戦いの痕が残っていた。
エレはすぐに手を伸ばし、治癒の力を呼び出そうとする。
目を閉じ、これまで幾度となく繰り返してきた祈りを口にする──
……けれど、光は現れなかった。
まるで魂が手を伸ばしても、透明な壁に阻まれてしまうような感覚。
「……ダメ、なの……?」
もう一度。もう一度試す。でも、何も起きない。
あの優しい光。自分を何度も救ってくれたその力は、まるでこの世界から消えてしまったかのようだった。
その感覚は、どんな失敗よりも不安だった。
けれどエレはすぐに感情を飲み込み、奥歯を噛んでサイラスの身体を支え起こした。
──力を失っても、この手はまだ使える。
この「箱のような建物」──どこかで、見たことがある気がする。
目の前にそびえるビル群の灯りを見つめながら、エレの脳裏にある夢の断片が浮かび上がる。
あの夜、莉奈と再会した夢。
見知らぬ香りが空を漂っていたあの場所……今目の前の光景と、あまりにもよく似ていた。
彼女は無意識に呟いた。
「……あの夢……?」
「エレ──!」
馴染み深い声が雷のように耳に響いた。
彼女は反射的に顔を上げた。
──草地の向こうから、人影が走ってくる。
肩までの茶色い短髪、どこか軽やかな足取り。
ゆったりした薄い青色の上着にズボン、音のしない不思議な靴。
手には薄くて光る板状の何かを持っている──まさに、夢で見たあの姿。
彼女が手を振り、笑顔を浮かべた瞬間。
エレの胸が何かに掴まれたように跳ねた。
その時、彼女の意識は幼い頃へと飛ぶ。
風鈴の音、午後の陽射し、肩にかかる銀髪の背中。
優しく話しかける時にできる、あの口元のカーブ──
髪色も服も、手にしているものも違うのに……
その声、その空気感、その存在は、変わっていなかった。
「……マミー……?」
言葉がこぼれる。信じられない想いで、声が震える。
こんなことがあるはずない。けれど、彼女はそこにいた。
リナは笑顔のまま走り寄り、手を広げた。
「やっと会えたね、エレ。」
エレはその場から動けなかった。呼吸すら忘れていた。
「やっぱりあなただったんだ!空に光の柱が走ったから、絶対何かあったと思ってね──ほら、ビンゴ!」
まるで昔のように、気の抜けるような軽い声で笑いながら近づいてきて、エレをぎゅっと抱きしめる。
「よかった、ちゃんと無事じゃん。腕も脚も揃ってる、よしよし!」
動けない。喋れない。
リナの声、匂い、笑い方──全部変わってない。
けれど彼女の姿だけが、まるで異世界の人間のようだった。
リナは嬉しそうにエレの顔を見つめてから、頬を軽くつまんだ。
「んー、ちょっと丸くなった?可愛いじゃん」
そして彼女の後ろに目をやって、ふと驚いたように言った。
「えっ?サイラスまで一緒?二人旅?それとも召喚の儀?」
エレは何も答えられなかった。
胸の鼓動がうるさくて、夢なのか現実なのかすらわからなかった。
リナはさっとサイラスのもとへ駆け寄り、しゃがみ込む。
「うわぁ、ひどいことになってるね……」
肩から提げた布バッグから白い紙のようなものを数枚取り出し、彼の額や顔についた血と埃を拭い始めた。
サイラスが微かに身じろぎ、目を開ける。
視界がぼやける中、見覚えのある、けれどどこか違う顔が見えた。
その表情と瞳に、心臓が跳ねる。
上半身を急に起こし、彼はその人影をじっと見つめた。
「リナ様……?いや、髪の色が……」
周囲を見回す。
見慣れない空気、光、建物。
頭上からは銀白色の灯りが照らし、遠くから車の走行音と警笛のような音が響いてくる。
「……ここは、俺たちの世界ではない……?」
サイラスは低く呟いた。
リナは肩をすくめ、紙ごみをまとめながら言った。
「やっと目覚めた?じゃあ、さっさとここを離れよっか。」
まるで深夜の散歩で拾った子猫でも世話するかのような調子だった。
「剣、早く仕舞って。こんなもん持ってたら、下手したら警察沙汰だよ。ってかリアルなレプリカだな、これ。」
眉をしかめる彼女の表情は、本気で心配していた。
「服はまあ……最近の若者、何でもアリだしね!」
と、急にピースサインをして笑ってみせた。
「コスプレ、ってことで!」
「……コス、プレ?」
エレとサイラスが同時に目を見合わせ、小さく呟く。
リナは得意げに頷いた。
「うん、やっぱりね。──まあ、説明は後!ここに長くいたらマズイから、先に移動しよう!」




