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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
白薔薇が導く出征の刻

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(158) 潜む影の目

 タルンナ城は、帝国東部から前線へ向かう最後の大都市だった。

  ここは軍備の中継基地であると同時に、貴族たちの権力境界でもある。

  城壁は高くはないが分厚く、随所に矢楼を備え、その歴史が防衛拠点としての役割を物語っていた。


 広場には人々の声が集まっていたが、歓声ではなく、抑えた好奇のざわめきだった。

  彼らが目にしたのは――突如姿を現した第二王子、サイラス殿下だった。

  黒いマントを羽織った赤髪の青年は馬上で先頭に立ち、その表情は沈着。

  隊列が到着すると、副官が前に出て城主に伝令を送った。



  侯爵邸の応接室には、城主ヘロド侯爵が正面に座して待っていた。

  老齢の貴族でありながら、半礼装に軍服を合わせた姿は、今もなお軍人の鋭さを残していた。

  サイラスと副官が入ると、彼はすぐに立ち上がり、一礼した。


「サイラス殿下、タルンナは補給の準備をすべて整えております。」


  「ヘロド侯爵。」

  サイラスは礼を返し、そのまま本題に入った。

  「本隊は半日滞在して整備を行う。乾糧、薬材、馬匹、鉄器の補給を手配願う。」


 ヘロドは頷き、そしてサイラスの隣に控える銀髪の若い女性へ目を移した。

  エレは深く頭を下げたが、名を名乗ることはなかった。


  ヘロドは問い詰めはせず、ただ言った。

  「我が子サニールも前線へ向けて進軍中です。殿下がラセレンで見かけられた際は、どうかご指導を。」


  サイラスは頷く。


  「彼女は癒傷隊だ。城下の薬舗で人員や備薬があれば、併せて協力を。」

  その口調は平静だが、有無を言わせぬ響きがあった。


  ヘロドは一瞬意外そうにしたが、すぐに承諾した。

  「承知いたしました。」




  短い交渉ののち、エレとリタは副官に連れられて市中の薬舗を確認して回った。


  途中、町の人々の視線を感じた。

  それはサイラス率いる王家の軍勢への好奇もあったが、エレ自身の美貌への視線も含まれていた。


 ある薬舗の前を通り過ぎるとき、見習いらしき若者たちが囁く声が聞こえた。


  「王子のお供って……あれ、旅回りの舞姫だって話だろ?」

  「貴族の令嬢かと思ったら、急に癒傷支援? 変わった経歴だな。」


  エレは振り向かず、リタがそっと彼女の腕を取った。

  「気にしないで。」リタが低くささやく。


  エレは小さく頷き、群衆を避けるように歩を進めた。


 だが、すれ違いざま、視界の端に映った。

  街角の陰に立つ、灰色のマントを羽織った人影。

  その顔は半分隠れていたが、唯一露出した片目が冷たく、無感情に、ただ真っ直ぐにエレを見ていた。


  驚きも、善意もなかった。

  ただ「見定める」ような、鋭く冷たい視線だった。


 エレの足が一瞬止まった。

  だが何でもないふりで歩き続け、振り返った時には、その人影はもう消えていた。


「リタ……」

  低く呼ぶと、

  「うん、見た。」

  リタの声も低くなり、周囲を警戒する目が鋭くなる。

  「隊列全体を見てたんじゃない。あれは、姫様だけを見てた。」


  エレは黙って唇を噛みしめ、薬包を握る手に力がこもった。


 あの視線。

  あの夜会の影に潜んでいた、あの目と同じ。

  冷たく、正確に、何かを見極めようとする意図を持った目。


 エレは自分を落ち着かせるように息を整え、できるだけ平静な声で言った。

  「戻りましょう。……薬舗でもらった包み、絶対手放さないで。」

  リタは深く頷いた。その表情は、先ほどよりもずっと張りつめていた。


 エレはもう何も言わなかった。

  だが心の中は冷水を浴びたように冷えきっていた。

  「見張られている」という感覚が、決して離れなかった。


 夕暮れ時、部隊はタルンナ城外の林地に一時的に野営を張った。

  補給はすでに完了しており、本隊は明朝早くに出立する予定だ。

  幕舎の間には灯火がまたたき、炊煙や馬のいななきが初秋の風に混じっていた。


 サイラスは高台に立ち、営地の防備を巡視していたが、視線の端でエレとリタが帳へ戻る姿を捉えた。

  彼女たちの足取りは普段より速く、その表情もどこか張り詰めていた。

  サイラスの目がわずかに細められる。




  夜が深まった頃、後方支援区画にヴェロニカが現れ、エレを呼び止めた。

  「……さっき、何かに気づいた?」


  エレはすぐには答えず、一瞬ヴェロニカを見つめてから、静かに頷いた。

  「誰かにつけられてた。私もリタも気づいた。フードで顔を隠してたけど、視線がはっきりしてた……普通の市民じゃない。あれ、舞踏会の夜の刺客と同じ目だった。」


 ヴェロニカは短く沈黙し、その瞳が鋭さを増した。

  「……あの時、東部の出自までは突き止めたけど、それ以上は貿易路で途切れた。背景が不自然なくらい綺麗だった。あれは誰かが意図的に痕跡を消してる。」


  「つまり、あいつらが紛れ込んでる可能性があるの?」


  ヴェロニカは頷き、低い声で続けた。

  「ここは軍隊と言っても、補給商や徴兵された補充兵も混じってる。潜伏するなら今が一番やりやすい。」


 エレは思わず背筋を冷たいものが走った。

  ヴェロニカは彼女を見据え、声を落とした。


  「……ノイッシュとアレックには警戒を強化させる。ただし他の人には軽々しく言わないで。今信用できるのは、ごく限られた人間だけだ。」


  その口調は平静だが、その奥に潜む緊張感は隠しきれなかった。

  「もしあいつらの狙いがあんたなら……城だけで終わる話じゃない。」


 エレは手を握りしめた。

  「……敵は……サルダンの連中?」


  ヴェロニカは肯定も否定もしなかった。ただ静かに告げた。

  「かもしれない。あるいは……私たちが考えるよりもっと厄介な相手かも。」



 

  夜が深まるにつれ、遠くの林から低い鳥の鳴き声が響いた。

  風は火の粉の匂いと鉄の擦れる音を運んでくる。

  見た目はいつもの軍営の夜。

  だが、その静寂には、何かが破れそうな緊張が潜んでいた。


 この行軍は、ただ前線を目指すだけの旅ではなくなった。

  ——それは、見えない「狩る者」と「狩られる者」の戦いの始まりでもあった。

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