表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
舞踏の光と闇の刻

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/194

(140) 庭園での再会

 サイラスは静かに庭園の小道を踏みしめながら歩を進めた。

  白い小石が敷き詰められたその道の両側には、手入れの行き届いた薔薇や低木が並び、夜風に乗ってほのかな花の香りが漂っている。

  宴の喧騒は、彼がその場を離れるにつれて徐々に遠のき、代わりに夜の静寂が辺りを包み込んでいった。


 しばらく歩いたところで、彼の視界に、見覚えのある姿が映る。

  石造りのテーブルのそば、長椅子にもたれかかるようにして、一人の少女が座っていた。


 エレだった。


 彼女は片手で額を支え、長衣の裾を無造作に広げながら、疲れたような様子で遠くの夜空を見つめていた。

  彼が近づいていることには、まだ気づいていないようだった。


 サイラスの口元がわずかに緩む。ゆっくりと歩み寄り、茶化すように声をかけた。

「どうした? もう疲れたのか? あの貴婦人たちは、帝国の老貴族よりも手強かったか?」


 その声に、エレは一瞬驚いたように肩を震わせ、そして振り向く。

  月明かりの下、彼の姿を確認すると、彼女は目を瞬かせた後、ふっと笑みを浮かべた。


「確かに……彼女たちの会話の多さは、あの老貴族たち以上ね。」

 その声にはわずかな疲労と、しかしどこか楽しげな軽さがあった。


 サイラスは眉をひそめながら、隣の石のテーブルに寄りかかり、興味深げに彼女の顔を見つめる。

「それで? 彼女たち、君に何を言っていた?」


 エレはため息混じりに微笑んだ。


「まあ……『帝国の貴族女性としての心得』とか、『殿下の舞伴としてどう振る舞うべきか』とか、そんな話ばかりよ。

  それに、今後の舞踏会では“貴婦人同士の付き合い方”も覚える必要があるとか……」


 サイラスは小さく笑った。

「君なら、うまくやれるだろう?」


「何とかね。」

  エレは優雅に両腕を伸ばし、まるで夜に咲く花のように静かに息を吐く。

  「でも、あまりにも熱心だったから……ちょっと抜け出してきたの。」


 サイラスは彼女をじっと見つめながら、口元に薄く笑みを浮かべた。

「つまり……君は帝国の庭園で“迷子”になったってわけか?」


 その言葉に、エレは一瞬だけ驚いた顔をし、すぐに吹き出す。

「その言い方……何か、含みがあるように聞こえるんだけど?」


 サイラスは答えず、代わりに少し顔を伏せて、意味ありげな視線を送る。

「思い出さないか? どこかで見たような光景だって。」


 エレはそっと息を吸い、思い出す――三年前の夜。

  エスティリア王宮の庭園で、彼女は一人の男と出会った。

  その男はフードをかぶり、名を名乗らず、「迷子になった使節」だと語った。


 当時の彼女は、まだエスティリアの姫。

  そしてあの男――今まさに目の前にいるこの男が、サイラスだった。


 今、同じような庭園の夜。

  今度は“迷子”になったのは、自分のほうだった。


「……そうね。」

  エレは懐かしげに微笑む。

  「“迷子の使節”は、今や帝国の王子。そして私は……“迷子の舞姫”かしら?」


「いや。」

  サイラスは静かに頭を振り、琥珀色の瞳がやわらかく光を湛える。

  「今の君は、迷っているんじゃない。ようやく、道を見つけたんだ。」


 エレの視線が、ふと庭の一角へと向かう。

  そこには、色とりどりの三色スミレが咲き誇っていた。

  夜灯に照らされ、紫・赤・白の花びらが風に揺れている。


「……色が混ざり合って、すごく綺麗ね。誰か、王族の好みだったのかしら?」


 サイラスはその視線を追い、静かに答える。

「サンシキスミレだよ。」


「サンシキスミレ……」

  エレはその名前を口にし、花をじっと見つめる。どこかで聞いたような、懐かしい響きがあった。


「花言葉、知ってる?」

 サイラスの声は穏やかだったが、その裏に何かを秘めたような響きがあった。


「いいえ……知らないわ。」


 サイラスは、赤いスミレにそっと指先を伸ばす。

  その柔らかな花びらを撫でながら、静かに言葉を紡ぐ。


「赤いスミレの花言葉は――“想い”だ。」


 エレは目を見開き、彼の表情をそっと伺う。

  サイラスはそのまま、静かに花を見つめていた。


「じゃあ……紫は?」


 彼女が問うと、サイラスは一瞬だけ目を細め、そして答えた。


「“無償の愛”だよ。」


 エレの心がわずかに震える。

  彼女は花を見つめながら、しばらく黙り込んだ。


「花に詳しいのね?」

 なんとか気まずさを和らげようと、彼女は軽口を叩く。


「いや、それほどでもない。」

  サイラスは小さく笑い、視線を花壇に戻した。

  「これは……母の好きな花だった。」


 エレは、はっと息を呑んだ。


 夜風が吹き、花が揺れる。

  まるで過去の記憶が、そっと囁くように。


「……そうだったの。」

 彼女は静かに呟く。だが、それ以上は聞かなかった。


 やがてサイラスは手を差し出し、エレを立たせた。

  彼女は自然とその手に手を重ねたが――その瞬間、手の温もりに微かに指先が震える。


 その震えに気づいた彼は、特に何も言わず、そっと彼女の手を引いた。


「どうかしたか?」


 エレは首を振る。

「……さっき、あなたの母の話をしてたから。」


 その問いに、サイラスは少しだけ目を伏せる。

  どこか遠くを見るように、花壇を眺めながら語る。


「母は、いつもこの花が咲くと春が来たと言っていた。

  窓辺で僕を抱きながら、世界の美しさを教えてくれた……」


 彼の声は穏やかだったが、どこか空虚で――作られたように完璧すぎた。


 エレは、彼の表情から何かを読み取ろうとしたが、次の瞬間――

 夜風が強く吹き抜け、彼女の肩が小さく震えた。

 それに気づいたサイラスは、ためらうことなくマントを脱ぎ、そっと彼女の肩にかけた。


「エスティリアより寒いからな。早く慣れた方がいい。」

 その口調は淡々としていたが、どこか優しさに満ちていた。


 エレはその様子に、ふっと微笑む。

「随分と気が利くのね。」


「これくらい、貴族として当然の礼儀だ。」

 その返答は、まるで照れ隠しのようだった。


 だが――その瞬間。

 静寂を裂くように、鋭い“殺気”が風に乗って忍び寄る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ