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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
第四章:終焉の戦焰と絆

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(139) 敵と味方の杯

 サイラスは、イザベル夫人の案内で貴婦人たちに囲まれていくエレの姿を目で追いながら、無理に止めることはせず、ただ手にしたワイン杯を軽く揺らした。

  その視線がふと逸れた先には、見慣れた二つの影があった。


 レオン伯爵と、彼の側近であるヴェロニカがこちらに歩み寄ってくる。


 レオンはいつものように曖昧な笑みを浮かべつつ、杯を掲げて軽く挨拶した。

  「まさか、皇帝陛下がこんな場であなたの存在を公にするとはね。」


 彼は赤ワインの入った杯を回しながら、どこか含みのある口調で続けた。

  「皇太子の影がすっかり霞んでしまった。この華々しい登場、無事に舞台を降りられる自信はあるのかい?」


 サイラスはそれを聞いて、ふっと笑った。すぐには答えず、指先で杯の縁をトントンと叩くように触れながら、しばし思案するような素振りを見せた。


「予想より少し早かったですね。」

  彼の声は穏やかで、落ち着いた調子だった。

  「でも、これ以上遅ければ――サルダン神聖国に追いつけなくなります。」


 レオンの目が一瞬だけ鋭く細められた。そこには、確かな興味が宿っていた。


「ほう……サルダンとの戦争は避けられないと、そう見ているのか?」


「伯爵なら、もう察しているはずでしょう?」

  サイラスは静かに言葉を返した。その瞳には深い色が宿っていた。

  「サルダンの軍事行動は、もはや後戻りできないところまで来ている。帝国がいかに慎重であろうと――この衝突を無視することはできません。」


 その声は決して大きくなかったが、言葉の端々に潜む鋭さに、近くまで寄っていた数人の貴族が自然と距離を取った。


「しかも、彼らは“異世界”の軍事技術を取り込んでいる。対する我が帝国は――」

 彼は杯を軽く回し、視線を逸らした。

  「……このままでは、負けるでしょうね。」


 レオンの唇が微かに上がった。その目には鋭利な光が宿る。

  「さすが殿下。てっきりこの話題には触れまいと思っていたが……」


 彼はゆっくりとワインを口に運びながら、言葉に含ませるように続けた。

  「もしあなたが軍権に影響を及ぼせるようになれば――我々にとっても、悪くない話だ。」


 その隣に立つヴェロニカは黙ったまま、サイラスの反応を鋭く観察していた。

  彼女の目線は一瞬たりとも油断せず、わずかな表情の変化も見逃さない。


「皆さん、私を買い被りすぎですよ。」

  サイラスは淡く笑いながら言った。

  「私は、王位を狙うつもりはありません。」


 レオンはくすりと笑った。

  「その言い回し、どこか エドムンド侯爵に似てるな。」


 その言葉に、少し離れたところで会話を聞いていた エドムンド侯爵がわずかに眉を動かす。

  だが、彼は口を挟まず、ただ静かに様子を伺っていた。


 すると、レオンが何気ない風を装いながら一つの話題を放り込む。


  「ところで、殿下……あなたの“母君”の件について、本当に興味はないのかい?

  ――誰が、あの暗殺を指示したのか。」


 この言葉に、ヴェロニカの視線が微かに動いた。

  エドムンドもまた、杯を指先でなぞりながら、サイラスを横目に見やった。


 サイラスは、持っていた杯を一瞬だけ止めたが、その表情に動揺はなく、むしろ口元には皮肉めいた笑みが浮かんでいた。


「伯爵は、随分とはっきり“暗殺”と断定されるんですね。」


 レオンの目が一瞬だけ光を帯びた後、ゆるく微笑を返した。


「当時、真相を知る者は少なかった。ただ、実際に手を下せた勢力は、そう多くない。」

 その言葉に、サイラスは何も言わず、杯の縁を指で軽く叩きながら沈黙を保った。


 そこで エドムンドが、初めて静かに口を開く。

  「伯爵は、当時の件に随分と関心をお持ちのようだが……差し支えなければ、その“特定の勢力”というのは、どこを指しているのか?」


 レオンは、意味深な視線を二人の間に投げかけ、静かに笑った。

「侯爵のその聞き方……まさか、ご自身は“暗殺”ではなかったと?」


  エドムンドは淡々とした口調で答える。

「私はただ、伯爵の“判断基準”に興味があるだけですよ。そう確信されるからには、確たる証拠があるのでしょうね?」


 レオンは肩をすくめ、杯の中の赤い液体を眺めながら言った。

  「……昔の話さ。当時、陛下が追及しなかった以上、真実は闇に葬られる運命だった。だが――」


 その言葉の先を、わざと間を置いてから続けた。

「今こうして、殿下が表舞台に立たれたのなら……再び精算すべき時が来るのかもしれません。」


 その声音はどこか飄々としていたが、目には鋭い意図が隠れていた。

  彼は杯を軽く傾けながら、わずかに身を寄せるようにして囁いた。


「――殿下、あなたもそろそろ見極めるべきだ。

  誰が味方で、誰が“敵”なのかを。」


 その瞬間、サイラスの耳に遠い記憶の中の声が響いた。


『サイラス……人を、簡単に信じてはなりません。』


 それは――母の声だった。

  彼女との記憶は、常に温かいものではなかった。

  時に優しく頭を撫でてくれたあの手。

  そしてまた、狂気を宿した瞳で、自分を見つめていたあの夜。


 サイラスは思考を振り切るように目を細め、レオンをまっすぐ見つめた。


「……ご心配なく、伯爵。」

  その口元には、どこか挑むような笑みが浮かぶ。

  「私は、誰も信じていませんから。」


 その言葉に、レオンは一瞬笑みを止めたが、すぐに面白そうに口元を上げた。

「――それでこそ、殿下だ。」


  エドムンドは何も言わず、レオンとサイラスのやり取りを見つめていた。

  その眼差しは静かだが、その内心ではレオンの真意を測ろうと、思考を巡らせていた。


 そして、サイラスが静かに結論を下すように言った。

「この件については――いずれ、改めて話しましょう。」


 レオンは杯を掲げ、口元に笑みを浮かべた。

「ようこそ、権力の中心へ……殿下。」


 サイラスもまた、静かに杯を掲げた。

  琥珀色の瞳が、燭光の下で静かに輝いていた。



 レオン伯爵とエドムンド侯爵がその場を去った後、サイラスはふと顔を上げ、会場内を見渡した。

  だが、彼の視線が探していた人物――エレの姿は、どこにも見当たらなかった。

  先ほどまで彼女の周囲に集まっていた貴婦人たちの姿も、いつの間にか跡形もなく消えていた。


「……貴婦人たち、彼女をどこへ連れて行ったんだ?」

 サイラスは眉をひそめ、視線で会場を一通り掃いたが、エレの姿は見つからない。


 そんな彼の様子を見ていたヴェロニカが、淡々とした口調で告げた。

「少し前に、彼女たちが庭園の方へ向かうのを見たわ。」


 彼女はわずかに顔を傾け、視線を会場入り口のほうへ移した。そこには、まだ数名の貴族たちがこちらに歩み寄ってくるのが見える。彼らの目的がサイラスであることは明白だった。


 ヴェロニカは小さく笑みを浮かべ、どこかからかうような視線をサイラスに送った。

  「殿下がエレのところへ行きたいなら、代わりに“応対”してあげましょうか?」


 サイラスは片方の口角を軽く上げ、手に持っていた杯を彼女に預けた。

  その声は気だるげながらも、どこか愉快そうだった。


「君がいると、実に心強い。」


 ヴェロニカは受け取った杯を眺めながら、サイラスが背を向けて歩き出す姿を見送った。

  その背中に向かって、小さく首を振り、ぽつりと呟く。


「……その調子じゃ、いつか“女のために友を捨てた”って言われるわよ。」

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