(135) 舞踏会での選択
すべての視線がなおもサイラスに注がれている中、彼は長居することなく、すっと身を翻した。
その瞳は、舞踏会場の端に佇む一人の女性を捉える。
エレノア。
彼女は少し離れた場所で静かにその劇的な登場を見守っていた。驚きもためらいもない、落ち着いた佇まい。
今宵身に纏った純白の長衣と相まって、その姿はまるで夜の闇に咲く白薔薇のように凛としていた。
サイラスは微かに笑みを浮かべ、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄る。
人々の視線を一身に受けながら、彼は彼女の前で静かに頭を下げ、右手を差し出した。
声は低く、しかし確かな響きをもって紡がれる。
「エレノア嬢。――私と一曲、踊っていただけますか?」
エレの心が、ひとつ跳ねた。
彼がこのように正式な呼び方をするのは、極めて稀なことだった。
しかも、それは単なるダンスの誘いなどではない。
彼女を帝国の中心、すべての視線の交差点に立たせる――極めて象徴的な行動だった。
エレは彼の琥珀の瞳を見上げ、静かに微笑む。
もしここで躊躇すれば、自らの選択を否定することになる。
彼女はためらわず、そっと手を重ねる。
指先が触れ合った瞬間、サイラスの指がほんのわずかに力を込める。それは彼女の返答を確かめるような、確かな反応だった。
「光栄です。」
彼女は静かに応じた。
サイラスは口元に柔らかな笑みを浮かべ、彼女の手を引いて舞踏の輪の中へと導いた。
二人が舞踏の中央に進み出たとたん、周囲のささやきが一層大きくなる。
「エレノア嬢……誰かしら?」
「確かエスティリア出身の……でも、舞姫だったんじゃないの?」
「あり得ない! そんな女が王子の隣に立つなんて!」
エレはほんの少し顎を上げ、穏やかな微笑を崩さなかった。
この声たちは、始まりに過ぎない。
けれど――彼女は、恐れてなどいなかった。
サイラスは彼女の手をしっかりと握り、舞踏の中央で足を止める。
彼女の瞳を見つめながら、軽く身を寄せる。
「……この登場、どうだった?」
彼は小さく囁くように言い、唇にかすかな笑みを浮かべた。
エレは首をかしげ、周囲の探るような視線を一瞥したのち、軽やかに微笑んで応じる。
「そうね……普段のあなたにしては、ずいぶん目立つ登場だったわ。」
手に力を込め、ややからかうように言葉を続けた。
「でも、こういう派手な場のほうが、案外似合うのかもしれない。」
サイラスは片眉を上げ、興味深そうに問い返す。
「ほう? それはどういう意味だ?」
エレは優雅に一回転し、白い長衣の裾が燭火に照らされて絹のように揺れる。
そして再びサイラスの目を見据え、言葉に含みをもたせて言った。
「あなたって、人前では仮面をかぶるのが得意でしょう? 今夜のあなた――自信に満ちて、余裕があって、まるで最初からこの舞台の主役だったみたい。」
そしてウィンクを一つ、唇にいたずらな笑みを浮かべる。
「あるいは……注目されるの、実は好きだったりして?」
サイラスは一瞬目を見開き、それから小さく笑い声を漏らす。
その瞳には夜のような深い光が揺れていた。
「そう言われてみると……確かに、そうかもしれないな。」
その口調は軽やかだったが、握る手は微かに強さを増していた。
彼は理解していた。これはただの舞踏ではなく、一つの「宣言」だった。
エレは首をかしげ、考えるように言葉を継ぐ。
「でも……ちょっと意外だったの。」
「何が?」とサイラス。
彼女は唇の端に笑みを浮かべ、声を落とす。
「あなたの表情。思ったより……ずっと、落ち着いていたから。」
サイラスの瞳がわずかに揺れた。
次の瞬間、彼はそっと顔を近づけ、耳元で囁く。
「……俺が、怯えていると思ったか?」
エレはくすりと笑った。
「まさか。でも、もし少しでも緊張していたら――少しは可愛いと思ったかもね。」
その声音には、冗談のような、しかしどこか愛しさを含んだ優しさがあった。
まるで、意図的にサイラスをからかっているかのように。
サイラスは目を細め、唇の笑みを深める。
「エレ……自分からこの世界に足を踏み入れたんだ。もう逃がすつもりはないよ。」
エレはその視線を真っ直ぐに受け止め、微笑を返す。
「それなら、どっちが先に退場するか……試してみる?」
二人は、互いに手を取り、旋律に合わせて優雅に歩を進める。
舞踏の中心で交差する視線。
それは、言葉のいらない駆け引きであり、共に立つと決めた者同士の、静かな誓いでもあった。




