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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
傷と血の誓い

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128/194

(128) 背中の信頼

 馬車の車窓から見える帝都の街並みは、昼下がりの陽光に包まれ、活気に満ちていた。

  石畳の道に土埃が舞い、焦げたパンの香りと石炭の匂いが入り混じる。蹄の音と露店商人の呼び声が交差し、遠くにはゴシック様式の尖塔が薄雲を突き刺していた。塔が落とす影は長く、街全体に静かな重厚さを与えていた。


 御者台ではノイッシュが手綱を握り、隣にはアレックが鋭い目つきで周囲を警戒していた。


 馬車は太陽街区へと入り、やがて目的の黒薔薇劇場の近くへと辿り着いた。

  陽に照らされた灰色の外壁と繊細な彫刻窓が、劇場の年季と重みを感じさせる。


 ノイッシュは馬を止め、肩越しに声をかけた。

「劇場までは歩いて十分ほどだ。ここで降りるといい。」


「ちょうどいいわね。」

  エレは微笑み、マントを整えながら答えた。

  「この辺の空気を感じてみたいし、少し歩きたいと思ってたの。」


 ノイッシュは少し眉をひそめ、半ば呆れたように呟いた。

「さすが貴族様だな……芝居を観に行くだけでも雰囲気重視かよ。これじゃあ観劇じゃなくて、優雅な散歩って感じだ。」


「任務に集中。」

  アレックが簡潔に言い放つ。


 ノイッシュは肩をすくめ、ぼそりと続けた。

「騎士団が解散する前に、貴族の付き人になっちまったか……」


 エレは彼らの会話を聞きながら微笑を浮かべ、ふと後ろを振り返った。


  ——リタの姿はなかった。


 本来なら侍女として同行するべきだが、今回は屋敷に残ることを選んだ。

 出発前、リタはこう言った。


『今日は屋敷で整理しておきたいものがあります。観劇は性に合わないですし、私が同行すれば、あの二人も余計に気を遣うでしょう?』


 その口調はあくまであっさりとしていたが、エレには分かっていた。

  リタとの関係はもはや「主人と侍女」では収まらない。


  亡命の日々を共に生きたあの時間が、言葉以上の絆を築いていたのだ。


「そういえば、サイラス殿下は言ってたわよね?」

  エレは二人に向き直り、くすっと笑う。

  「伝令兵とか護衛に転職すればいいって。」


 アレックは一瞬驚き、苦笑しながら答えた。

「覚えてたか、それ。」


「ねえ、あなたたちはどうしてサイラスに付くことにしたの?」

  エレは少し首を傾げ、素直な興味を込めて尋ねた。


 ノイッシュとアレックは目を合わせ、どちらが話すかを無言で確認し合う。

  そして、アレックが口を開いた。


「話せば長くなるけど……俺たちは軍学校で知り合ったんだ。あそこは試験でしか入れないから、貴族学院とは違って、貧乏人でも努力すれば入れる。年齢も出身もバラバラさ。」


 彼は自分を指さしながら続けた。


「俺は平民出身。入学だけでも一苦労だったし、ノイッシュは没落貴族で、自力で上を目指すしかなかった。」


「じゃあ、サイラスは?」

  エレが尋ねると、アレックは肩をすくめる。


「俺たちよりずっと若かった。当時は『どうせコネで入ったんだろ』って言う奴も多かったな。だけど——」


「本人はそんな噂、全然気にしてなかった。」

  ノイッシュが淡々と補足する。

  「誰にも媚びず、群れず、必要最低限しか話さない。完全な一匹狼だった。」


「でも、演習ではバケモノだった。」

  アレックが笑みを浮かべながら言う。

  「新兵の頃、俺とノイッシュは模擬戦で危うく脱落するところだったんだ。敵が側面から奇襲してきて、万事休すってとき、サイラスが単身で突っ込んできて時間を稼いでくれた。」


「助けてくれたの?」

  エレは驚きを隠せずに訊いた。


「正確には、俺たちを助けたんじゃなくて、作戦を成立させるために必要だっただけさ。」

  アレックが苦笑する。


「つまり、合理的な判断ってこと?」

  エレが眉をひそめると、ノイッシュが静かに答える。


「そう。ただ……あいつは感情がないわけじゃない。深く、隠してるだけだ。」

 アレックが頷く。


「話しかければ返してくれるし、戦術のアドバイスもくれる。でも、決して自分からは近づかない。それでも俺たちは自然と、彼の周りに集まっていた。」


「軍校では皆、将来のために派閥を作り、権力者に取り入ろうとする。でも、サイラスは誰の傘にも入らず、ただ実力だけで頭角を現した。」


「言葉じゃなくて、背中で示すタイプだな。」

  ノイッシュがぽつりと呟く。


 アレックの表情が少しだけ真剣になる。

「俺たちが彼を選んだっていうより……気がつけば、彼についていく道しか見えなくなってた。信頼されるには時間がかかるけど、信頼されたら、絶対に裏切らない男だ。」


「信頼って……彼にとって、きっとすごく大事なものなんだろうね。」


  エレはそっとつぶやいた。

  彼の不器用な優しさを知っているからこそ、その言葉には重みがあった。


「簡単には渡さないよ、あいつの信頼は。」

  アレックが軽く笑いながらも、どこか誇らしげに言った。


「でも、一度信じてくれたら、全力で守ってくれる。」

  ノイッシュも、静かにその言葉に頷いた。


 中空から差し込む日差しが石畳の上にまだら模様を描く。

  エレは微笑みながら、心の中でそっと誓った。


 ——サイラスに伝えなければならない。


  「あなたが私を信じても、もう傷つくことはない」


  と。


 それは、彼女自身の決意だった。

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