(119) 皇統の秘史
エドムンドは指先でテーブルを軽く叩きながら、思考を整理するように間を置いてから静かに口を開いた。
「武装派が君を担ぎたいというのは、もはや公然の事実だ。
君の血筋、そして異世界の系譜――それは彼らにとって、現状を覆す“旗印”としては理想的すぎる。
だが問題は、本当に帝国の未来を案じているのか、それとも……ただ権力の奪い合いをしたいだけなのか、ということだ。」
サイラスの目がわずかに冷たくなり、口調は淡々としていた。
「……それが、俺が彼らを信用できない理由でもある。」
エドムンドは薄く笑い、視線をエレへと移した。
「君は彼らを信じていない。しかし関与しなければ、武装派は遅かれ早かれ別の手を打つ。そして……エレを利用することもありうる。」
エレの肩がわずかに震え、サイラスの指が微かに止まるのを感じた。
「君がそれを許すとは思っていない。」エドムンドは静かに首を振った。
「だが、どうやって止める? ずっと傍観者でいられるのか?
連中が盤上の駒を並べ終えた後で、拳一つでひっくり返すつもりか?」
沈黙。
サイラスは黙したまま、その意味を深く理解していた。――駒でいたくなければ、自ら盤を握る者になれ、と。
エドムンドは続けた。
「君が決断を躊躇っている間に……狂気に身を委ねた者が、王の椅子に座るかもしれない。」
そして、ほんのわずかに言葉の重みを強めながら告げる。
「それとも君自身が、“変革の担い手”になるかだ。」
サイラスは赤ワインの入った杯を見つめながら黙り込む。
その液面に揺れる紅が、瞳の奥に渦巻く思考を映し出すかのようだった。
エレは彼を見つめながら、胸の内に複雑な感情が広がっていく。
――これは、彼がずっと背を向けてきた選択肢。だが、今はもう……逃げられないのかもしれない。
揺れる燭火の下、晩餐の空気は次第に静まり、重く沈んでいく。
そしてようやく、サイラスは杯を置き、指でテーブルをトンと叩いた。
「……侯爵、では訊こう。あんたの立場はどこにある?」
ストレートな問いに、エドムンドはわずかに眉を上げた。
だがそれを楽しむように口角を持ち上げると、姿勢を正し、穏やかに答える。
「……難しい問いだな。」
「武装派と近しいが、全面的に肩入れしているわけではない――そう見える。」
サイラスの声は平静だが、その目は鋭く本質を見据えていた。
エドムンドは短く笑い、燭光の中で静かに語り始めた。
「さすがは殿下。洞察は鈍っていないようだ。」
彼は両手を組み、目に微かな光を宿らせながら続ける。
「私は武装派と接点を持っている。
なぜなら、彼らを無視しては帝都の力学を語れないからだ。
皇帝陛下は病に伏し、王太子はその手腕に限界がある。そこにサルダンが干渉を進めている。
この状況では、武装派が影響力を拡大しようとするのは当然だ。」
「だが、それでも全面支持ではないと?」
サイラスが軽く眉を上げる。
「……理念よりも、現実を見る。」
エドムンドは静かに言った。
「もし彼らが本気で帝国を強くするつもりなら、手を組むのもやぶさかではない。
だが、もし中身がただの利権争いでしかないなら――腐敗貴族と変わらない。」
サイラスの視線が鋭くなった。
「……帝国を強くしたいだけなら、王太子を支援するなり、貴族が好む傀儡を用意すればいい。
なぜ俺のような“異世界の血”を選ぶ?」
エドムンドは一瞬だけ沈黙した。
そして、ぽつりと呟くように口を開いた。
「――“異世界の血”と皇統。それは、単なる歴史上の問題ではない。」
「……どういう意味だ?」
サイラスが目を細めると、エドムンドは真っ直ぐに彼を見つめ返す。
「君自身……その意味を、まだ深く考えたことがないだろう?」
「……」
サイラスは沈黙したまま、瞳を伏せる。
エドムンドは続けた。
「皇統、神より授けられし力、そして封印された歴史。
……それが、武装派が君に賭ける理由だとしたら?」
エレは黙って聞いていたが、たまらず口を開いた。
「でも……もし本当に“異世界の血”が皇位に影響するのなら、どうして今まで誰も動かなかったの?」
エドムンドは彼女を一瞥し、低く重い声で答えた。
「皇帝・ラインハルトが……すべてを隠したからだ。」
サイラスの目が鋭くなり、指先がテーブルを軽く叩いた。
「……じゃあ、なぜあんたを“養父”に選んだ?」
エドムンドはその問いを待っていたかのように笑みを浮かべ、杯を持ち上げた。
赤い液体を軽く揺らしながら、静かに語り出す。
「君の母……ハナが君を産んだあと、その事実は徹底的に封じられた。
知っていたのは――陛下、数名の側近、そして……私。」
サイラスは黙ってその言葉に耳を傾けていた。
「だが、噂というのは隠し通せるものではない。
やがて不穏な勢力が動き出し、“異世界の血”の存在を探り始めた。」
エドムンドの視線が強くなる。
「皇帝は決断を迫られた。……無為に情報が漏れるくらいなら、“私生児”として半ば公にし、そして帝都から遠ざけた方がよいと。」
エレの眉がわずかに寄る。
「それでも……どうして、宮廷に置いて育てなかったの?」
エドムンドは首を横に振る。
「不可能だった。
“異世界の血”は、一部の者にとっては“異端”ではなく、“脅威”だった。
宮廷に置けば、君はただの駒。……いや、未成年のうちに暗殺されていた可能性すらある。」
サイラスの声が低く、冷たくなった。
「……だから、エスティリアへ送ったのか。」




