(118) 侯爵の試探
馬車が侯爵邸に到着した頃には、すでに夜の帳が下りていた。
灯火に照らされた古典的で重厚な建築は、華美さこそないものの、由緒ある貴族の屋敷らしい威厳を感じさせる。
サイラスとエレが馬車から降りると、屋敷の前にはすでに執事たちが整列し、丁重に出迎えた。二人は案内に従い、広々とした晩餐室へと足を運ぶ。
長いテーブルの上には揺れる燭光が照らされ、銀の食器が淡い光を反射していた。
すでにテーブルの奥には、エドムンド侯爵が待っていた。
「殿下、エレノア様。ようこそお越しくださいました。」
エドムンドは穏やかな笑みを浮かべながら立ち上がる。
彼は派手すぎず、それでいて品格を損なわない礼服に身を包み、立ち居振る舞いには常に一貫した落ち着きがあった。
サイラスは気楽な様子で椅子を引き、腰を下ろすと口元を緩める。
「エドムンド侯爵、てっきり今夜は家族での食事かと思っていましたが……お一人とは意外ですね。」
エドムンドは軽く首を振りながら微笑んだ。
「妻のイザベルと娘のフレイアは、舞踏会に招かれておりましてね。本日は静かに、殿下とお話しできる機会を設けさせていただいた次第です。」
その視線はエレに向けられ、温かな声で続ける。
「エレノア様、どうか今夜はご自宅のように、肩の力を抜いてお過ごしください。」
エレは控えめに微笑み、丁寧に一礼した。
「ご配慮、感謝いたします。侯爵様。」
侍者が前菜を運び始める中、エドムンドはあくまで雑談のように語りかける。
「そういえば……イザベルたちが帝都に来たのも、あの婚約舞踏会への出席が主な目的でしてね。」
それを聞いたサイラスの手が一瞬止まり、だがすぐに軽く眉を上げて笑った。
「そうだったんですか……」
エレは少し驚いたように彼に視線を向ける。
「あなた、そのこと知らなかったの?」
サイラスは気にする様子もなく肩をすくめた。
「招待状は届いてたけど、ただの舞踏会かと思って断ったよ。……ロイゼルに着いてから、ようやく事情を聞いた。」
「昔から、こういった貴族の催しごとには興味がない方でしたからね。」
エドムンドは苦笑交じりに言い、サイラスはそれに否定せず目を伏せた。
王太子の婚約。それがどんな政治的意味を持とうと、表面的には彼に関係のない話だ。だが、もし背後に策略があるのなら、無関心ではいられない。
エレは黙ってそのやり取りを見つめていた。
この晩餐会がただの歓談ではないことは、空気の端々から察せられる。
料理が一通り並んだところで、エドムンドの表情が徐々に真剣なものに変わっていく。
彼はナイフとフォークをそっと置き、口を開いた。
「さて……。宴の話はこの辺にしましょうか。今宵お招きしたのは、他でもない。もっと重要な話をするためです。」
サイラスは杯を指で回しながら、エドムンドを見つめる。
その表情には変わらぬ微笑が浮かんでいるが、内心の警戒は解かれていない。
「お聞きしましょうか、侯爵殿。」
エドムンドは穏やかなまま、しかしその語調には明確な意志が宿っていた。
「――君の未来について、だよ。サイラス。」
サイラスは一度、杯を置き、静かに視線を戻した。
エドムンドはためらうことなく言葉を続ける。
「……レオンが君と接触したと聞いた。」
サイラスは片眉を上げる。
「さすが侯爵様、噂には敏い。」
「帝都では、隠し事などそう長くはもたないよ。」
エドムンドは柔らかく笑みを浮かべたが、その目は冴え渡っていた。
「彼の狙いは明白だ。武装派の“顔”として、君を据えることだろう。」
テーブルの向こうで、エレの手がわずかに止まり、サイラスに視線を投げかけた。
だが彼の表情は、やはり揺らがない。
「……では、侯爵様はそれをどうお考えで?」
サイラスの問いに、エドムンドは微笑のまま、次の言葉を選ぶように一瞬だけ黙した。




