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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
孤剣の軌跡

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115/194

(115) 王位の誘惑

 応接室内の空気は、先ほどの射撃場よりも遥かに重苦しかった。

  深紅の絨毯と重厚な木製家具が空間に重々しさを与え、暖炉の揺れる炎が壁に影を落とし、この会談が容易なものでないことを暗示していた。


 レオン・アルジェロは主賓席に座り、鋭い視線でサイラスとエレを見据えた。口元にはわずかな笑みが浮かぶ。


「殿下。お会いするのはこれで二度目ですね。」

 その声音は穏やかでありながら、探るような響きを含んでいた。


 サイラスは気だるげに肘をついて座り、淡々と答える。

「ええ、ですが前回はろくに話もできなかった。」


 レオンは微笑を深めた。

「ですので、今回は時間を取ってじっくりと語らいに来ましたよ、殿下。」


 ヴェロニカはレオンの背後に立ち、腕を組んだまま沈黙を守っていた。彼女の目には、父とサイラスの応酬を冷静に見つめる光が宿っている。


 エレはサイラスの隣に静かに座り、口を挟むことはなかったが、その蒼い瞳はレオンをしっかりと見据えていた。——この男が、何を望んでいるのか。


 レオンは余計な前置きをせず、本題に切り込んだ。


「殿下は軍事分野に関心を持ち、自ら新兵器の研究にまで関わっておられる。つまり、将来のことを見据えておられるということでしょう?」


 サイラスは正面から返さず、軽く口元を緩める。

「どの『将来』を指しておられる? 帝国の? それとも……別の?」


「当然、帝国の未来です。」

 レオンは落ち着いた口調で答えるが、その目は鋭く光った。


「殿下は帝国皇族であり、《神授の力》を持つ者。いまや軍事でも影響力を示しておられる。この状況を受け、多くの者がこう考え始めています。——もし王太子殿下が帝位を継げぬ場合、他に相応しい王を立てるべきではないか、と。」


 その一言に、エレの指先がぴくりと震えた。

  ——やはり、話はそこに至るのか。


 だが、サイラスは小さく笑い、首を傾げる。

「物騒な話ですね、伯爵殿。となると、武装派は王太子を退けたいというお考えで?」


 レオンの目が一瞬細められるが、声の調子は変わらなかった。

「それは誤解です。我々は帝国に忠誠を誓っております。皇族を害する意思など、毛頭ありません。」


「へえ、ではこの会話も——」

 サイラスは興味深げに言葉を続ける。

「ただの『雑談』ということになりますか?」


 レオンは柔らかく笑いながら、ようやく真意を示す。

「いえ、これは——協力の申し出です。」


 サイラスの瞳が一瞬だけ深く沈んだが、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべていた。

「協力、ですか。あいにく、私は王位争いに興味はない。エドリックの権威に挑むつもりもありません。」


「ですが、帝国内の情勢は、殿下を無関係でいさせてはくれません。」

 レオンの口調は変わらぬまま、重みを増していく。


「王太子派と武装派の対立は日増しに激しくなっております。そして、殿下こそが我ら武装派にとって最大の希望なのです。」


 エレは眉をひそめる。サイラスが昨夜語っていた予測——武装派が彼を「旗印」として立てようとしている——それが現実となった瞬間だった。

 サイラスはすぐには応じず、ふと視線を横に向けた。


「ヴェロニカ。君の立場もそれに賛同しているのか?」


 彼の問いに、ヴェロニカは眉を動かすことなく、淡々と答える。

「私の立場は関係ありません。この会談は、伯爵と殿下の対話です。」


 曖昧でありながら、冷静な拒絶でもあった。

  それにサイラスは口元を緩め、静かに笑う。


 レオンはそこで言葉を続けた。

「殿下は軍事学院時代から、統率者としての才覚を見せておられた。今また軍事の現場に身を置かれているのは、偶然とは思えません。」


 彼の言葉には熱がこもりはじめていた。

「この帝国には、強き者が必要です。——殿下は、ただの傍観者であるべきではない。」


 その言葉に、サイラスはふっと笑った。

「魅力的な話ですが——残念ながら。」


 彼は身体をわずかに前に傾け、軽やかだがどこか挑むような口調で言った。

「あなた方が求める『王の器』は、最初から“王になる気”などないのですよ。」


 その瞬間、レオンの笑みがわずかに止まり、二人の視線が交差した。


 空気の張り詰めた沈黙。

  政治と軍事、誠意と計略。

  この応接室の中で、新たな駆け引きが静かに幕を開けていた。


「だが、それは一人の意思で決まることではありません、殿下。」


 レオンの声は低く、だが確信に満ちていた。

「たとえ殿下が王になることを望まなくとも、帝国内部の情勢が——殿下をその座へと押し上げるかもしれない。」


「つまり……俺を利用したいわけだ?」

 サイラスの口調は淡々としていたが、その眼差しには明らかな警戒の色が浮かんでいた。


 レオンはその視線を真っ直ぐ受け止め、ひるむことなく言った。

「利用ではなく——殿下を、帝国の“真の未来”に据えるということです。」


 美辞麗句に包まれたその言葉の裏に、誰もが気づいていた。

  これはレオンの提示する“取引”であり、同時に明確な“誘導”だった。


 エレは静かにサイラスを見つめ、彼の返答を待った。


 短い沈黙の後、サイラスはゆっくりと立ち上がり、軽く背伸びをしながら淡々と告げる。

「……それじゃあ、少し考えさせてもらおうか。」


 これは明確な返事ではなかった。

  ——肯定も否定もせず、中立の立場を保ち続ける。

  その一言で、レオンに確かな“約束”を与えず、主導権を手放さない。


 レオンはそれを聞き、少し口元を緩めた。

「殿下は慎重なお方だ……その点については、私もよく理解しておりますよ。」


 場の空気はわずかに和らいだが、この交渉が終わったわけではない。


  ——これはただの第一段階にすぎない。


 サイラスはそのまま踵を返し、扉の方へと歩き出す。

  エレがその後を静かに追いかける。


 ヴェロニカは動かずにその背中を見送っていた。

  彼女の目には、何とも言えない複雑な感情が浮かんでいた。


 そして——

  レオン・アルジェロの声音が、不意に部屋の静寂を破った。


「……サイラス殿下。

  貴方は、ハナ様が……どのようにして命を落とされたか、ご存じですか?」


 その言葉が落ちた瞬間、空間の空気が凍りついた。


 サイラスの足が、ぴたりと止まる。

  隣のエレもわずかに顔を向け、彼の表情をうかがった。

  彼女にも分かる。——この一言が放った衝撃は、並大抵のものではなかった。


 彼の表情は変わらない。

  だが、その体が一瞬だけ、ほんのわずかに緊張したのをヴェロニカは見逃さなかった。


 レオンは、明らかにサイラスの「急所」に触れたのだ。


 数秒の沈黙。

  やがて、サイラスは静かに、冷ややかな声で応じる。


「……その“切り札”で俺の心を動かせると、そう思っているのなら——」


 彼は言葉を切り、ゆっくりと口元に冷たい笑みを浮かべる。

「早めに引っ込めた方がいいぞ、伯爵殿。」


 振り返ることもなく、そう言い残してサイラスは歩き出す。

  その背に続くように、エレも一礼すらせずに扉を出た。


 部屋には再び静けさが戻る。

  だがその沈黙は、雷よりも重く、火よりも鋭い緊張を含んでいた——。

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