(114) 火花と剣
バーンは特に驚いた様子もなく頷いた。
「それが火縄銃と弓の最大の違いです。雷鳴砂の爆発力は決して安定しているとは言えませんし、反動の影響もあって命中精度は低くなります。」
アレックは痺れ気味の手首をぶらぶらさせながら、少し不満げに言った。
「威力はあるけど、命中率はひどすぎるな。こんなもん戦場で使ったら、当たるかどうか分かったもんじゃない。」
「命中率だけじゃない。」
サイラスは淡々とそう言いながら前に出て、火縄銃を受け取ってじっと観察する。
「連射性能、発射速度、装填時間——問題だらけだ。」
銃身を軽く回しながら、彼の瞳は深く沈んでいた。
「……でも、もしこれらの問題を克服できれば、戦争の形を一変させる兵器になる。」
エレは先ほどの試射の様子を見つめながら、しばらく思案していたが、ふと口を開いた。
「殿下、少しよろしいですか?」
サイラスは視線を向け、眉をわずかに上げる。
「言ってみろ、何か思いついたか?」
エレは火縄銃の火口に近づき、燃えさしの火縄を指先でそっとなぞりながら、考え込んだ様子で言った。
「この火縄による点火方式、確かに使えますけど……欠点が多すぎます。たとえば雨の日や、激しい戦闘中に火が消えたら、再点火に手間がかかって危険です。」
そしてバーンを見つめながら続けた。
「もし、火打ち石を使えたらどうでしょう? 火縄の弱点を補えて、点火も早くなります。」
その一言に、バーンの目がぱっと見開かれた。数秒考え込んだのち、まるで閃いたように額を叩く。
「……そうか! 火打ち石を使えば、火花で即座に雷鳴砂に着火できる……装填から発射までの時間を大幅に短縮できる!」
彼はすぐに助手へ向き直り、声を張った。
「火打ち石をいくつか持ってこい! それと、金属部品もだ。点火機構を改造する!」
助手たちは即座に動き出し、バーンは工房内を興奮気味に行き来しながら新たな構造を頭の中で組み立てていた。
その様子を見て、サイラスは小さく笑い、目を細めながらエレに言った。
「やるな、エレ。いい頭をしてる。」
エレは微笑みながら答えた。
「ただ、少しでも目標に早く近づける気がしただけ。」
ノイッシュとアレックは顔を見合わせ、ノイッシュが頭をかきながら呟いた。
「ってことは、これ……そのうち本当にすごい武器になるんじゃ……?」
「改良が成功すればな。」
アレックは腕を組み、真剣な表情で言った。
「本当に戦の形が変わるかもしれない……」
その時まで黙って見守っていたヴェロニカが、ついに口を開いた。
「兵器を改良するのは確かに優位性をもたらしますが……気を付けるべきです。こういう発想は、我々だけが持っているとは限らない。」
彼女の声は平静だが、瞳には警告の色が宿っていた。
「もしサルダン軍も同様に火縄銃の改良を進めているのなら、この戦争は一方的な優勢にはなりません。」
サイラスはその言葉に目を細めたが、すぐに肩をすくめて微笑む。
「だからこそ、我々は奴らより先に進まないとな。」
工房ではバーンと職人たちが武器の改造に取りかかっていた。その様子を見ながら、サイラスは静かに言った。
「ただの武器じゃ足りない。訓練と戦術も必要だ。扱い方が分からなければ、どんな兵器もただの鉄くずだ。」
その時、場に響いたのは、重厚で落ち着いた、だがどこか余裕を含んだ男の声だった。
「……まったく、その通りだな、若者よ。」
皆が声の方へ目を向けると、黒い軍装を纏った男が堂々と射撃場へと足を踏み入れていた。落ち着いた歩調、鋭く冷静な灰色の眼光、そして腰に携えた剣が彼の正体を示していた
——レオン・アルジェロ。
帝国の武装派中枢のひとりにして、ヴェロニカの父。
「またすぐに会えるとは思っていなかったよ、サイラス殿下。」
レオンはサイラスをしっかりと見据え、意味ありげに微笑んだ。
「赤獅堡はどうだ? 気に入ったか?」
サイラスは緩く笑いながら、肩を竦める。
「予想より面白かったよ。」
その言葉に、レオンは一瞬だけ間を置いたが、すぐに豪快に笑い出す。
「はは、さすがに帝国で生き残る器だな。」
だが、次の瞬間、眼差しは一転して鋭くなる。
「ちょうどいい。少し話したいことがある。」
ヴェロニカが一歩前に出て、冷静に言った。
「アルジェロ伯爵、面会の申請がないままでは——」
彼女の言葉に、レオンは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに皮肉を交えた笑みを浮かべた。
「……まったく、お前はヒルベルトに似てきたな。」
「帝国貴族として当然の対応です。誰に似ているかは関係ありません。」
ヴェロニカの声色は変わらず、感情を表に出すことはなかった。
サイラスは二人の無言の火花を感じ取り、やや楽しげに口を開いた。
「構わないさ、ヴェロニカ。時間もあるし、わざわざ書類を通すまでもない。」
ヴェロニカは一瞬だけ視線を向け、短くため息をついた。
「……分かりました。では、部屋を準備させます。」
彼女は部下に合図を送り、応接室の準備を命じた。
その様子を見届けたサイラスは、ノイッシュとアレックに視線を向ける。
「お前らはここに残って手伝え。」
ノイッシュは腕を組み、不満げに口を開いた。
「え? 俺たちは見物役だったはずじゃ?」
「今は作業補助だ。」
サイラスは気だるげに言う。
「それとも、標的に戻りたいか?」
「……殿下、それは選択肢じゃないですよね?」
アレックは苦笑いを浮かべる。
「ないな。」
サイラスは薄く笑い、バーンが「安心しろ、殿下。しっかり手伝ってもらうさ」と冗談交じりに言うと、二人は観念したようにため息をついた。
サイラスはエレの手を取ると、軽く引き寄せた。
「行こうか。伯爵殿が何を言いたいのか、聞いてやらないとな。」
エレは頷き、そしてちらりとレオンを見やる。
彼の放つ雰囲気は、他の帝国貴族とは明らかに違っていた。
エドリックのような優雅さと計算高さでもなければ、サイラスのような飄々とした自在さでもない。
それは戦場と政治の両方を歩んできた者が持つ、沈黙の重みだった。
ヴェロニカの手配により、サイラスとエレはレオンの後に続き、赤獅堡の奥、応接室へと向かっていった。




