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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
孤剣の軌跡

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111/194

(111) 琥珀の闇

 ヴェロニカは、その時初めて目の当たりにしたのだ。


 自分より年若き少年の「本当の実力」を。


 敵が第一防衛線を突破した瞬間、彼は真っ先に前線へと突入し、最初の敵を瞬く間に斬り伏せた。


 軍事学院時代よりもさらに研ぎ澄まされた剣技。無駄がなく、鋭く、すべての動きが命を奪うために最適化されていた。


 そして何より驚愕したのは、彼の「指揮力」だった。

 極限状況にありながらも、彼は常に周囲を観察し、敵の動きを即座に読み取り、混戦の中で的確に命令を下していた。


 誰一人として混乱せず、誰一人として逃げようとしなかった。

 その場にいた全員が——彼の声に従って戦っていたのだ。


 まるで、それが当然であるかのように。


 本来なら壊滅してもおかしくなかったその戦場で、彼らは奇跡的に生き残り、敵軍の猛攻を撃退した。



 戦いが終わったとき、小隊の全員が生存していた。重傷者すら一人もいなかった。


 ——戦場において、それはあり得ない奇跡だった。


 支援部隊の騎士団が駆けつけたとき、彼らの目に映ったのは、屍の山と、なおも防衛線の前に立ち続ける小隊の姿。


 血に染まりながらも、崩れることなく陣形を保ち、まるで死地から這い上がってきた影のように——そこには、凄烈な空気が漂っていた。


 あのときのヴェロニカは、彼の背後で静かに立ち、ただその背中を見つめていた。

 彼は相変わらず冷静で、動じることもなかった。


 だが——

 その瞳には、勝利の誇りもなければ、戦いを終えた達成感もなかった。


 部隊の全員を生き延びさせた。しかも敵の大軍を退けての勝利。指揮官として、これほどの結果を残せば、少しは満足げな表情を見せてもよかったはずだ。


 それでも——彼は笑わなかった。

 琥珀色の瞳はただ静かに、そして深く沈み込んでいた。


 まるで、どこか遠い闇を見つめるかのように。

 ——まるで、生きる理由を持たない者のように。


 その瞬間、ヴェロニカは直感した。


 この男は、栄光のために戦っているわけではない。野心のためでもない。

 彼の剣があれほど冷酷で無駄がなかったのは、戦いが「生き延びるための手段」でしかなかったからだ。


「生きる意味」ではなく、「生きるための術」。


 そう、彼の戦いは本能だった。習慣だった。かつて死と隣り合わせの日々の中で身につけた唯一の生存手段。


 その中に、信念も、怒りも、感情すらも感じ取れなかった。

 そして、彼は——勝利に喜ぶこともなく、敵を斬ることに迷いすら持たない。


 それが彼という人間だった。


 その事実に、ヴェロニカの胸に妙な重さが残った。ほんのわずかだが、不安の影が心をかすめた。

 彼女が我に返ったのは、馬車が邸宅の前で止まったときだった。


 ヴェロニカはそっと目を閉じ、静かに息を吐いた。


「サイラス・ノヴァルディア……」


 今の彼は、もはやあのときの少年ではない。

 かつては命令を受け、辺境で小隊を率いて戦っていた——だが今は、帝国の中枢で、権力の渦の真ん中に立っている。


 ようやく理解できた気がした。なぜエドリックがあれほど彼に注意を払っているのか。


 そして、今日のあの剣戟の中で垣間見えた——戦いを「楽しんでいるかのような」表情の意味も。

 彼は、戦場で「生き返った」男なのだ。


 かつての沈黙や冷淡さは消え、今の彼は、笑いながら人を翻弄し、部下をからかい、嵐の中心に立ちながらも涼しい顔をしている。


「影」に徹していた少年は今、「風向きを変える存在」になっている。

 その変化は、ヴェロニカにとって、無視できないものだった。


 ——どうやって、あの男はここまで辿り着いた?


 そして、彼はこれから——誰の側に立つのか。


 ヴェロニカは眉間に手を当て、小さく息をついた。

 一つ、確かに言えることがある。


 いまのサイラスは、もうあの頃の「カイン・ブレスト」ではなかった。

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