(111) 琥珀の闇
ヴェロニカは、その時初めて目の当たりにしたのだ。
自分より年若き少年の「本当の実力」を。
敵が第一防衛線を突破した瞬間、彼は真っ先に前線へと突入し、最初の敵を瞬く間に斬り伏せた。
軍事学院時代よりもさらに研ぎ澄まされた剣技。無駄がなく、鋭く、すべての動きが命を奪うために最適化されていた。
そして何より驚愕したのは、彼の「指揮力」だった。
極限状況にありながらも、彼は常に周囲を観察し、敵の動きを即座に読み取り、混戦の中で的確に命令を下していた。
誰一人として混乱せず、誰一人として逃げようとしなかった。
その場にいた全員が——彼の声に従って戦っていたのだ。
まるで、それが当然であるかのように。
本来なら壊滅してもおかしくなかったその戦場で、彼らは奇跡的に生き残り、敵軍の猛攻を撃退した。
戦いが終わったとき、小隊の全員が生存していた。重傷者すら一人もいなかった。
——戦場において、それはあり得ない奇跡だった。
支援部隊の騎士団が駆けつけたとき、彼らの目に映ったのは、屍の山と、なおも防衛線の前に立ち続ける小隊の姿。
血に染まりながらも、崩れることなく陣形を保ち、まるで死地から這い上がってきた影のように——そこには、凄烈な空気が漂っていた。
あのときのヴェロニカは、彼の背後で静かに立ち、ただその背中を見つめていた。
彼は相変わらず冷静で、動じることもなかった。
だが——
その瞳には、勝利の誇りもなければ、戦いを終えた達成感もなかった。
部隊の全員を生き延びさせた。しかも敵の大軍を退けての勝利。指揮官として、これほどの結果を残せば、少しは満足げな表情を見せてもよかったはずだ。
それでも——彼は笑わなかった。
琥珀色の瞳はただ静かに、そして深く沈み込んでいた。
まるで、どこか遠い闇を見つめるかのように。
——まるで、生きる理由を持たない者のように。
その瞬間、ヴェロニカは直感した。
この男は、栄光のために戦っているわけではない。野心のためでもない。
彼の剣があれほど冷酷で無駄がなかったのは、戦いが「生き延びるための手段」でしかなかったからだ。
「生きる意味」ではなく、「生きるための術」。
そう、彼の戦いは本能だった。習慣だった。かつて死と隣り合わせの日々の中で身につけた唯一の生存手段。
その中に、信念も、怒りも、感情すらも感じ取れなかった。
そして、彼は——勝利に喜ぶこともなく、敵を斬ることに迷いすら持たない。
それが彼という人間だった。
その事実に、ヴェロニカの胸に妙な重さが残った。ほんのわずかだが、不安の影が心をかすめた。
彼女が我に返ったのは、馬車が邸宅の前で止まったときだった。
ヴェロニカはそっと目を閉じ、静かに息を吐いた。
「サイラス・ノヴァルディア……」
今の彼は、もはやあのときの少年ではない。
かつては命令を受け、辺境で小隊を率いて戦っていた——だが今は、帝国の中枢で、権力の渦の真ん中に立っている。
ようやく理解できた気がした。なぜエドリックがあれほど彼に注意を払っているのか。
そして、今日のあの剣戟の中で垣間見えた——戦いを「楽しんでいるかのような」表情の意味も。
彼は、戦場で「生き返った」男なのだ。
かつての沈黙や冷淡さは消え、今の彼は、笑いながら人を翻弄し、部下をからかい、嵐の中心に立ちながらも涼しい顔をしている。
「影」に徹していた少年は今、「風向きを変える存在」になっている。
その変化は、ヴェロニカにとって、無視できないものだった。
——どうやって、あの男はここまで辿り着いた?
そして、彼はこれから——誰の側に立つのか。
ヴェロニカは眉間に手を当て、小さく息をついた。
一つ、確かに言えることがある。
いまのサイラスは、もうあの頃の「カイン・ブレスト」ではなかった。




