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異世界の聖女を母に持つ私は、亡国の姫として生き延びる  作者: 雪沢 凛
孤剣の軌跡

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110/194

(110) 戦場の記憶

 夜が深まり、馬車が屋敷の敷地を離れた頃、帝都の街並みは灯火に照らされ、静かで深い表情を見せていた。


 ヴェロニカは馬車の中で両手を膝に重ね、黙って座っていた。窓の外を流れる建物を眺めながらも、思考は先ほどの模擬戦、そして——今や「サイラス王子」と呼ばれる男の姿から離れられずにいた。


 ——変わった。


 その考えが、一日中ずっと頭の中を巡っていた。


 彼女とサイラスの過去の接点はそれほど多くなかったが、「カイン」という名前は記憶に残っている。数年前、帝国の軍事学院で共に訓練を受けていた時期があった。


 だが、当時の「カイン」と今の「サイラス」は——まるで別人だ。


 彼女はよく覚えている。訓練場で初めて「カイン」を見かけたとき、特別な印象はなかった。

 物静かで、目立たず、常に一人でいることが多かった。他の貴族学生のように家柄を誇示することもなく、派閥に加わることもなかった。実力をひけらかすこともなく、自らを主張しようとしない——そんな者が、貴族だらけの軍学校では注目されないのが常だ。


 けれど——


 彼は、あまりにも静かだった。


 貴族とは思えないほどに。


 ヴェロニカはかつて、訓練の中で何度か彼と剣を交えたことがある。そのとき初めて気づいたのだ。この男、外見の印象とは裏腹に、とんでもなく厄介な相手だと。


 彼の剣技は、華麗な貴族の剣ではなかった。実戦で鍛えられた、「生き残るための技術」だった。


 無駄がなく、鋭く、正確。そして何より——速い。一撃ごとに相手を仕留めにくるその剣筋は、彼女がこれまでに見てきたどんな貴族の剣士とも違っていた。戦場を経験した歴戦の騎士でさえ、あそこまでの実戦感覚を持っている者はそう多くない。


 あの時の彼女は、「目立たない訓練生」に対して少なからずの興味を持ったが、それ以上は追わなかった。


 訓練の日々は忙しく、父レオンの厳しい教練に応じなければならず、またヒルベルトからの密報戦の訓練もあった。「カイン」——辺境の貴族の養子に過ぎない彼を、いちいち調べるほど暇ではなかった。


 ——ただし、ひとつだけ。


 彼女は覚えている。エドリック王太子が、妙に「カイン」に注目していたことを。


 王太子が一般学生と直接訓練することは滅多になかったが、なぜか「カイン」には目を向けていた。二人は友人というより、どこか「ライバル」のように見えた。


 ただ、その理由は——当時の彼女にはわからなかった。



 馬車は静かな夜の帳を進んでいく。揺れる燭火が車内を淡く照らし、その光がヴェロニカの横顔を浮かび上がらせていた。


 彼女の思考はまだ巡り続けている。脳裏に浮かんでいたのは、数年前の出来事——彼と共に初めて戦場に立った、あの戦いの記憶だった。

 それは軍事学院を卒業した直後に配属された、彼女にとって初めての実戦任務だった。


 その時の彼女の胸中は、疑念と不満で渦巻いていた。


 成績としては、もっと上級の指揮部隊に配属されてもおかしくなかった。にもかかわらず、上層部が彼女に与えた任務は——卒業首席の「カイン・ブレスト」が率いる、新設の騎士小隊への配属だった。


 納得できなかった。


 確かに彼は首席だったが、自分たちよりも年下の「新人」に従うなど、到底受け入れがたい。

 だがヴェロニカは訓練を積んだ兵士であり、その感情を表に出すことはなかった。ただ、冷静に観察することに徹した。


 任務の目的は、帝国の辺境を荒らす外族団の掃討。国家に属さず、村や商隊を襲撃する彼らは、帝国にとって厄介な存在だった。帝都は複数の小隊を送り出し、ヴェロニカたちの部隊は哨戒拠点の防衛を担当——あくまで「低リスク」とされていた。


 だが、それはただの誤算だった。


 拠点に到着した彼女たちは、指揮部の情報に重大な誤りがあったことを知る。

 敵の動線は予測とまったく逆。結果、カインの小隊は敵の主力の進行ルートに孤立した状態で取り残されてしまった。


 偵察兵が異変に気付いた時には、すでに敵は数百メートルの位置にまで接近していた。

 もはや防衛ではない——完全なる伏撃だった。


 二十人にも満たない彼らの小隊に対し、迫るのは圧倒的な数の敵兵。

 その時の光景は今でも忘れられない。


 騎士たちの顔には明らかな緊張が走り、彼女自身も無意識に剣の柄を強く握りしめていた。

 訓練は積んでいたが、現実の戦場というものは、それだけで人の足を止めるものだった。


 だが、その中で唯一、冷静だったのが——あの少年指揮官、「カイン・ブレスト」だった。

 その場にいた全員の視線が、彼一人に集まっていた。


 カインは、敵の布陣を一瞥すると、淡々とした声で言った。


「全員、陣形を縮めて迎撃に備えろ」


 無駄な言葉はなく、動揺の気配も一切ない。

 目の前に広がる絶望を前にしてなお、彼の声は驚くほど落ち着いていた。


 ——そして、戦闘が始まった。

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