(104) 剣戟の試練
赤獅堡には軍事工房のほかに、帝国騎士団の訓練場も併設されている。この広大な訓練場では、数十名の騎士たちが模擬戦闘を行っており、甲冑のぶつかる音や剣戟の響きが鳴り止まない。空気には汗と鉄の匂いが漂い、まさに実戦を想定した厳しい訓練が繰り広げられていた。
ヴェロニカは場外からその様子を見つめ、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ここが帝国騎士団の本部の一つ。精鋭騎士たちが鍛えられている場所よ。身分を戻す気がないなら、騎士団に入るも一策では?きっと歓迎されるわ。」
サイラスは軽く笑い、腕を組んで答えた。
「面白い提案だけど、騎士団の規律は俺にはちょっと合わないかな。」
彼は訓練場を見渡しながら、ふと眉を上げる。
「でも、ここの訓練風景……軍事学院を思い出すな。」
ヴェロニカは頷き、少しだけ懐かしむような目で場内を見つめた。
「たしかに……懐かしいわね。」
しばらく視線を動かしていた彼女は、突然サイラスの方を振り向き、淡々と切り出す。
「挑んでみるか?」
サイラスは一瞬驚いたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「何を?」
「模擬戦よ。」
ヴェロニカの声は冷静だが、灰色の瞳は鋭く光っていた。
「学院の頃、一度もあなたに勝てなかった。今なら、もう一度挑戦する価値があると思って。」
その言葉に、エレは静かに視線を向けた。何も言わず、ただサイラスの反応を見守る。
サイラスは笑いを漏らし、どこか楽しげに言った。
「本気か?俺は手加減しないよ。」
「望むところよ。」
ヴェロニカは一歩前に出て、腕を組み直す。
「それとも、怖いの?」
サイラスは眉を軽く上げ、楽しそうな笑みを深める。
エレの方を向いて問いかけるような目を向ける。
「どう思う?」
エレはやわらかく微笑み、穏やかな声で返した。
「もし本当にやるなら……やりすぎないようにね。」
少しだけ間を置き、静かに続ける。
「だって、あなたは殿下だから。」
その言葉に、サイラスは再び笑い、小さく頷いた。
「じゃあ――やろうか。」
ヴェロニカも静かに頷き、訓練場の一角へと歩き出す。二人の真剣勝負が、ここに始まろうとしていた。
赤獅の旗が風に翻る中、ヴェロニカとサイラスが訓練場に立った瞬間、周囲で訓練していた騎士たちは次々と手を止め、彼らに視線を向けた。
「ヴェロニカが試合?」
低くささやく声があちこちから聞こえる。
「彼女は今や帝国秘密機関に属しておるし、最近は剣を振るってる姿も見てないな……」
誰かが興奮気味に言う。
「でも、相手は……誰だ?」
集まった騎士たちはサイラスを見やるが、彼の装いには軍階や所属の印はなく、服装は上質だが軍服ではない。その立ち振る舞いや雰囲気からは、ただの貴族ではないことが察せられたが……誰一人、その素性を知らなかった。
「構えを見ればわかる。ちゃんとした剣術を身につけた貴族だな。」
慎重な騎士が低く言う。
「ヴェロニカの相手を務めるくらいだから、只者じゃないのは確かだ。」
「ヴェロニカは強いよ。負けないはず。」
若い騎士が少し緊張気味に言う。
「油断するなよ……」
年配の騎士がサイラスの動きを注視し、渋い声で言う。
「この男、素人には見えない。」
「ははっ、面白くなってきたな!」
別の騎士が腕を組み、観戦体勢に入る。
訓練場の空気は一気に熱を帯び、観客がどんどん集まってきた。訓練を監督していた教官までもが足を止め、この異例の一戦を興味深げに見守っている。
サイラスは周囲の視線に気づき、辺りを一瞥してから小さく笑った。
「どうやら、君の評判は上々みたいだな。」
ヴェロニカは無表情で返す。
「それはどうでもいいわ。」
彼女は体を軽く斜めに構え、剣を抜き放つ。鋭い灰色の眼差しが、まっすぐにサイラスを射抜いた。
「準備はいい?」
サイラスはわずかに肩をすくめ、にやりと笑う。
静かに剣を抜き、構えた。
「これだけ注目されてるなら……見応えのある試合にしないとな。」




