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(103) 赤獅の炉火

  赤獅堡は、帝都における軍事の中枢の一つであり、帝国の兵器開発と武器製造を担う重要拠点である。

  この地には精鋭部隊が駐屯しており、各種の兵器庫、演武場、武具工房が設置されている。まさに帝国軍事力の中心ともいえる場所だった。


 馬車が赤獅堡の正門をくぐった時、車窓から見える光景は、先ほどの太陽街区とはまるで異なっていた。


  通りを行き交うのは、ほとんどが軍人や鍛冶職人たち。鎧と武器が触れ合う金属音が絶えず響き渡り、空気には炭と金属の匂いが立ち込めていた。

  鈍く響く金槌の音が砦全体にこだまし、冷たくも整然とした空気が支配していた。


「ここが赤獅堡。帝国の軍事の中心地の一つよ。」

  ヴェロニカが簡潔に説明した。

「帝国の武器開発、装備製造はすべてここで行われているわ。」


 サイラスとエレは馬車を降り、工房の石壁に赤獅の紋章が刻まれたその砦の構造を見渡した。

  ここは彼がこれまで辺境で見てきた駐屯要塞とは異なり、規模も大きく、防衛施設も遥かに厳重だった。

  砦の中へと進み、長い廊下を抜けると、彼らは広々とした武具工房に辿り着いた。


【武具工房】

 工房の中では、鉄床かなとこを打つ音がひっきりなしに響き、炉からは赤く燃える炎が立ち上っていた。

  鍛冶職人たちは、精巧な騎士剣から重厚な戦斧に至るまで、様々な武器を鍛えており、どれも厳しい鍛造と検査を経ていた。

  熱気と汗、火花が交錯するその場は、過酷ながらも活気に満ちていた。


「バーン様。」

  ヴェロニカは前方に立つ人物に手を上げ、合図を送った。


 工房の奥、炉のそばに立っていたのは、たくましい中年の男だった。

  彼の両手には無数の火傷跡と分厚いタコがあり、肌は長年の炉作業で黒く荒れていた。

  額には一本、古傷が走っている。


 ヴェロニカの声に気づいた彼は、手元の作業を止めて振り返った。

  鉄灰色の眼が一行を捉え、サイラスに視線が及んだ瞬間、彼の表情が一瞬止まった。

  すぐに表情を引き締め、道具を置くと、軍人らしい敬礼をサイラスに向けて行った。


「殿下。」

  その声は低く、力強く響き、彼がサイラスの正体をすでに把握していたことを示していた。


 サイラスは眉をわずかに上げたが、呼び方に特に反応はせず、代わりに直接問いかけた。

  「サルダンの武器を調べしたことはあるか?」


 この問いに、バーン・ウォルトンはしばらく黙考し、やがて頷いた。

  「戦場にて鹵獲せしものが幾つか持ち込まれた。ただ……ほとんどが損傷していて、完全には機能しません。」


  そう言うと彼は眉をひそめ、続けた。

  「これらの銅管兵器は、我々の従来の武器とはまったく異なる設計です。いまなお、その仕組みを完全に解き明かせず。」


 サイラスの眉がわずかに寄せられ、彼の中で一つの仮説が固まりつつあった。


「見せてもらえるか?」

  彼は静かに、しかし明確に尋ねた。


 バーンが命じると、数人の工匠が壊れた銅管兵器を慎重に木の作業台に並べた。明らかに戦場で破損したそれらは、ひしゃげ、煤にまみれ、部品の一部は脱落しており、もはや武器というよりは金属のガラクタに見えた。


 サイラスは身をかがめ、銅管の表面に指を滑らせながらじっと観察し、やがて顔を上げて尋ねる。

「これを複製することはできるか?」


 バーンは少し考え、そして頷いた。

  「銅管そのものなら可能だ。金属加工の範囲だ。」


  だがすぐに眉をひそめた。

  「ただし……この武器の構造は、単なる金属細工にはあらず。内部の仕組みがまったく読めない。」


 サイラスは口元に笑みを浮かべた。

  「“雷鳴砂”というものは知っているか?」


 バーンは一瞬驚いたようだったが、すぐに鼻を鳴らすように言った。

  「もちろん知っているさ。錬金術師どもの‘虚論’にすぎぬ。祝いのときに花火代わりに使うか、せいぜい運が良ければ鉱脈の掘削に使える程度だ。」


 サイラスは銅管を回しながら、冷ややかに言う。

  「鉱脈を吹き飛ばす力なら――人の身を貫くと想像せぬか?」


 バーンは黙り込み、銅管を睨むように見つめていた。脳内で何かが繋がり始めたのだろう。数秒の後、彼の顔に明らかな驚きが浮かぶ。


「……つまり、お前の言う通りなら、この武器は雷鳴砂を代わりにして……」


「そうだ。」

  サイラスが頷いた。

  「雷鳴砂の爆発力を利用して、金属片を飛ばす。それも空へじゃない、人へ向けて、殺すために。」


 バーンの表情が一気に重たくなる。手で銅管を撫でながら、呟いた。

  「……鎧を貫くのか?」


 サイラスは静かに言った。

  「十分に。」


 それを聞いたバーンの顔には、武器職人としての本能的な危機感が浮かんでいた。現場の兵士が敵に撃たれ、それを防ぐ術がないとしたら……戦場の形そのものが変わる。


「もし然なりとせば……」

  彼の声は低く、震えていた。

  「これは戦場の在り方を、根本から変えるぞ……」


 だが彼はまだ迷っていた。本当にそこまでの威力があるのか? 本当に弓や槍よりも脅威になるのか?

「……お前は、なぜそこまで知っている?」


 サイラスは笑みを浮かべながら、冷ややかに言った。

  「それで俺は――殺されかけた。」


 その言葉に、工房の空気が一瞬凍りつく。職人たちの手が止まり、視線が自然とサイラスに集まる。

 バーンは、彼の言葉の重みを受け止めた。命を狙われた者の、揺るがぬ確信。


「だから――」

  サイラスは銅管を長卓に戻し、腕を組んだ。

  「これを、作ってくれ。」


 バーンは黙ってサイラスを見つめていた。彼は革新を恐れる男ではない。だが、それに足を踏み出すことは、覚悟が要る。


 数秒の沈黙ののち、彼はただ一言。

「明日、参れ。」


 サイラスは片眉を上げたが、それ以上は何も言わず、肩をすくめてその場を離れた。


 ヴェロニカは一連のやり取りを黙って見届け、意味ありげな視線をサイラスに投げる。

「決斷が迅いな、殿下。」


 サイラスは軽く笑いながら応じた。

「戦場で躊躇しても、死ぬだけだからな。」


 彼の背を追いながら、ヴェロニカは言葉を返さなかった。サイラスの言葉を脳裏に刻み、密偵の目でその背を見据えた。

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