フウのささやかな冒険
二十日ねずみのフウは、初秋の風の中で生まれました。フウは風の意味から取ったの名前です。ねずみの成長は、とても早いのでフウは草が沢山の実を付けるころには乳離れをしていました。
お母さんのハルはその名の通り春に生まれました。彼女はのんびりとした性格に育ったせいでしょうか、その性格が子供達にも伝わってしまったのか、フウには沢山の兄弟がいたのですが、1匹目は、落ちていた無花果の実を夢中に食べている時に、カラスに食べられてしまいました、2匹目は、のんびりと餌を探している時に、待ち構えていたアオダイショウに食べられてしまいました、3匹目はよりによってオオカマキリにつかまってしまいました。4匹目はひなたぼっこの最中にネコにつかまり咥えられたままどこかに連れ去られてしまいました。
兄弟姉妹をなくしてたった一匹になってしまったフウは、ハルの篤い愛に見守られ続けて育っていました。親子の巣は、もう耕される事の無くなった畑の中にある、もぐらが掘った穴の中にありました。その土地には草がぼうぼうに生い茂っていますが、以前植えられていた、豆やアワやキビが秋には沢山の種を付けていましたし、無花果の木も沢山の実を実らせていましたので、食べ物に困るような場所ではありませんでした。
ハルは夜になると、乳離れをしたフウを連れて、そんな実りの多い土地の中を駆け巡っては、お腹をいっぱいにしていました。ハルは、フウに美味しい食べ物や危険なものを教える必要もあったのですが、フウはどこかのんびり屋さんでしたので、食べることには夢中になっても、何時襲ってくるかもしれない危険については、きちんと覚えようとしませんでした。
「私はこの子を育てて世に出したら、もう長くないかもしれないというのに、一人でちゃんと生きのびられるのかしら」ハルは、そう不安を抱えながらもフウの幸せそうな寝顔を見ながら横で寝て居たものでした。
「フウ、外には怖い生き物が沢山いるのよ。特にヒトという生き物は掴まったら食べられてしまうからね」ハルはフウに食べ物探しに出る時には、何時も言い聞かせました。
「ヒトって?」
「大きくて、二本足で立って、いつも腹ぺこだから、夜も昼も獲物を探しているのよ」というハルも実際にヒトを見たことがありませんでした。この草ぼうぼうの土地に入ってくるヒトは、何年も居なかったからです。ハルもその親もそのまた親から口伝えで聞いただけです。
「そんなに大きいなら、穴に逃げ込んでしまえば大丈夫だよ」フウは、よくそう言って笑いながら枯れ始めた草の根元を駈けていたものでした。
□
ある日の夕暮れ、フウの友達のツユがやってきました。フウはハルと食べ物を探しに行こうとしている時でした。「一緒に遊びに行かない?みんなが集まっているって」ツユの家族もこの荒れ地の隅に住んでいました。「美味しいものがあるの?」フウは、ハルの顔を盗み見るようにしながら訊きました。
「もちろんよ」ツユが頷きました。「冬眠に入ろうとしている虫を沢山見つけたらしいの」
それを聞いて、フウはわくわくしました。虫は大変美味しいのですから、思い出すだけでもよだれがでそうです。
「いってらっしゃいな、でもくれぐれも他の生き物に気をつけるのよ」ハルは、そろそろこの子も自分とだけでなく、他のネズミと一緒に行動すべきだと思っていたので、丁度いいかなと、思いました。それに一匹だけで行くわけではないので、大丈夫でしょうと自分に言い聞かせたのです。
そうして、ツユとフウは、草の根元を駈けてゆき、あっというまにハルの視界から消えてしまいました。
ツユは、暗い下草の中を素早く走っては、立ち止まります。怪しいものが居ないか確かめる訳で無く、後ろを振り向くといつの間にか、フウが付いてきていないからです。フウは、決して足が遅いわけではないのですが、小さい種を拾っては、じっくり見てちょっと囓ってみたり、どこからか飛んできた種が居着いてしまったのか、小さい秋の花を見ては、綺麗なものだなと見つめているものですから、直ぐに置いてけぼりをくらってしまうのです。ただ、鼻は良いものですから、道草を食いながらでも、ツユの匂いを追いかけて、くるので、ツユはじっと辛抱強く待っていれば、やがてフウは追いついてきました。
「ねぇ、フウ。そんなにのんびりしていると、仲間達に虫を全部たべられてしまうわよ」ツユは、呆れてフウに言いましたが、フウは目を空に向けて葉陰の向こうで暗くなってゆく空を見上げていました。「ねえ、冬ってどういうものなのかな。お母さんは、草の実が全部落ちてしまうと冬が来るというのだけど、どういうものかは聞いた話でしか知らないと言うんだ」
「さぁ、私達の親の世代だと、だれも実際に経験していないらしいから・・・ただ、亡くなってしまったおじいさん、おばあさんの話によればものすごく寒くて、食べ物も少ないそうよ」
「そういう事はお母さんからも聞いているけど、やっぱり、だれも実際に経験していないんだね」
「あたり前じゃない、誰だって季節をまるまる一周生きたネズミはいないのだから」
「一日中寒いって、怖くない?」フウは、徐々に寒くなってくる季節を肌で感じていましたので、もっと寒くなったら嫌だなと思っていたのです。たべものが無い世界なんて想像もできません。
「そんなこと、じっさい冬が来てみないと判らないわよ。でも、冬というものがどういうものか判ったら、子供達に教えてあげないといけないわね」春までには、今は子供である自分達は、伴侶を決めて子供を育てなくてはいけません。ツユは、ちらっとフウの横顔を見ました。
その時、バサっという音と共に、二匹の上空を黒い影が舞い降りてきました。その羽音に素早く反応して、二匹同時に「あぶない!」と叫びつつ、あわてて草陰に逃げ込みました。黒い影は、ばさばさと音を立てて2匹の直ぐ上を飛び地面に降りると、真っ黒な目で辺りを見回しました。
「何処に行きやがった」それは、悔しそうな声をあげました。「さっさと出てきやがれ」それは、首を左右に振りながら、草の間をじっくりのぞきました。
2匹は恐怖にかられ、草の陰で動く事もできません。
そのとき、上空でカァカァと声が響き渡り、それはその声の方向に顔を向けました。
「いまだ」二匹は、草陰から飛び出してそれから距離を取ろうとしましたが、まさにその動作を待ってましたとばかりに、それの鋭い爪を持った足がツユの尻尾を踏みつけました。
ツユは悲鳴をあげ、フウはさっさと草に陰に逃げ込みました。
「子ネズミちゃん、つかまぇた」それは、しわがれた声で笑いました。そして大きく黒いくちばしを広げてツユに噛みつこうとしました。そのとき、フウは草の中から飛び出して、すくっとそれの前姿を見せました。
「フンフンフン」フウは、いきなり鼻歌でリズムを取り始めました。
「なんの真似だ、こいつを喰ったら次はお前だ」それは首をあげ、じろりとフウを真っ黒な目で睨みました。
フウは、そんな脅しを無視するかのようにステップを踏みながら歌い始めました。
フンフンフン
素敵な夕暮れに
真っ黒な姿の粋なからすさん
無粋な事は言わないで
同じくろっぽい同士
一緒に踊らないかい
フンフンフン
澄んだ空気に
歌声はどこまでも届くよ
俺のステップをみてごらん
かろやかなこの技
一緒に踊ろうよ
フンフンフン
そよぐ夕風の涼しさ
長い尻尾もなびくのさ
あんたの尾羽も素敵さ
ほら脚をあげてみて
一緒に踊ろうよ
フウは、からすの前で、ステップを踏んだり、宙返りをしてみたり
しながら歌い続けました。
カラスは、なにを馬鹿な事をしているんだと、最初はしらけたように見ていましたが、やがて、フウの歌のリズムに合わせて首を振るようになってきました。そしてうっかり、ステップを踏み始めてしまったのです。
すっかり諦めきっていたツユでしたが、その隙は逃しませんでした、あっと間に、カラスの脚の縛めから抜けて、草むらに駆け込みました。
それでもなぜか、フウは歌を止めません。
フンフンフン
たのしいのは夕暮れの出会い
歌も踊りも楽しい一時
聞いてくれてありがとう
見てくれてありがとう
一緒にまたおどろうよ
と、歌を止めるとお辞儀をしてから、草むらの中に入ってゆきました。
さてと、カラスは獲物に止めをさそうとして、足の下に獲物が居なくなっている事に気がつきました。
「ちくしょう」それは、悔しい声をあげると、黒い羽を羽ばたかせて空に舞い上がりました。しかし、直ぐに近くで「カァカァ」という鳴き声があたり一面に響きました。
カラスは、近くにあった無花果の木の枝に止まり、大きな黒い目で地面の上を見つめ、のがした獲物がどこに行ったが探し続けていたのです。
□
二匹は、それぞれ別の大きな草の根元でじっとカラスの様子を伺いました。しかし、ツユの居る草の上の方にはオオカマキリが潜み、じわりじわりと、ツユに向って進んでいました。産卵を迎えたメスのカマキリは腹ぺこでした。ツユもフウも視線を枝に止まっているカラスに向けていたので、カマキリには気がつきません。やがてカマキリは音も立てずに、ツユの後ろから近づき鎌状の前脚を振り上げると、すばやくツユの首をその鎌で捕らえました。ツユは悲鳴を上げ、丈夫な後ろ足で逃げて降り落とそうとしましたが、オオカマキリはまったく離す様子はなく、それどころか鋭い牙でツユに噛みつきました。ツユは悲鳴をあげて転げ回りましたが、まったくカマキリは動じません。
フウは、ツユの後を追いました。カラスはネズミが動いたことに気がつき、飛び立つ準備をしました。
「ツユ!」フウは、ツユがカマキリと格闘している中に飛び込み、カマキリの長い首に噛みつきました。するどいネズミの歯は、カマキリの細い首をあっさりと落としましたが、そこに再びカラスが襲いかかってきました。
「ひゃああ」二匹は、息を整える間もなく、逃げ出しました。これが一匹だけならカラスもしつこく追っていたでしょうが、たまたま二匹いたために、どっちを追うか一瞬の迷いがあった為に、カラスはネズミ達を見失ってしまいました。
「いや、参った」フウは、いのちからがら逃げて、大きく深呼吸をしました。「これじゃ冬がくる前に死んじゃうよ」
「あんたが、あちこち物見遊山しているからよ」草の陰でツユが言いました。「もう怪我だらけだわ」その言葉に、フウはそっとツユに寄り添うと、ツユの怪我をしている部分をペロペロと舐めました。
「痛い?」フウは、訊きました。
「うん、ちょっとね。ありがとう」ツユは、ほっとした気分になりました。
「ちょっと、休んでからみんなの所に行こうか」とフウは、ツユの傷口をしばらく舐め続けました。
「ねぇ、冬って、冷たい白いものが降るんだって」ツユが言いました。「そしてそれが、どんとん積もるらしいの」
「お母さんから、そういう話は聞いたことがないよ」フウは、ハルの色々な話を思いだそうとしましたが、ハルが教えわすれたのか、自分の記憶力がわるいのか、該当する話は思い出す事ができませんでした。「きっと、きれいな景色みたいだね。早く見て見たいよ」
「私達も子供が出来たら、私達の体験したことを伝えることになるのね」
「でも、その子達は、僕らが経験したことを経験することなしに、死んでゆくのだろうけど、きっと孫達には役にたつ話にはなるだろうね」
「そうね・・・」
その瞬間、草むらから一匹の猫が飛び出して、フウに噛みつくとあっという間にどこかに行ってしまいました。
「フウ!!」ツユは、一声叫ぶと、ネコの後を追いましたが、ネコはあっという間にどこかに行ってしまいました。ツユは、「ああ、フウ」と嘆き悲しみながら、フウの母親が居る巣にむかってとぼとぼと歩いてゆきました。
□
フウは、ネコの口の中で、キィキィと叫び声をあげていました。ネコはフウを直ぐに殺すつもりはないようで、軽く噛みついたままフウをどこかに連れて行く気でいました。そこでゆっくりといたぶって殺そうと考えていたのです。フウも悲鳴をあげつつも、誰も助けてくれないだろうと、堪忍していました。小さいハツカネズミがネコに敵う筈がないのですから。
ネコは、荒れ地を囲っている塀の下を音も立てずに走り、塀の切れ目から一軒の家の玄関に向かいました。玄関にはネコ専用の小さい出入り口が作られていて、ネコはそこから家の中に入ってゆきました。
「あれ、ハチが帰ってきたよ」家の中で食事を始めていた、ショウタくんがネコが通れるように、僅かに開けてあるダイニングキッチンの扉から飼い猫が入って来るのを見つけました。
ネコは、その名の通り顔のつくりがハチワレになっていますが、ショウタくんの椅子の足下に這うように座り込むとネズミをいたぶり始めました。
ああ、もうだめ。フウは、お母さんや、ツユや仲間達の事を思いながら、意識を失いそうになっていました。そこで本能的に死に真似をしてぐったりとしてみせました。その黒くちいさい眼には、大きく二本足でたっている生き物の姿が映りました。これはきっとヒトという獰猛な生き物だ。食べられてボクは死んでしまう。
ネコがネズミをいたぶっている状況を見てショウタくんは驚きの叫び声をあげました。「ハチがネズミを捕まえてきた!」
その声にお母さんも反応して、悲鳴のような声をあげました。
「ショウタ、ハチをどこかにやって」
ショウタくんが、ハチを押さえると、口から落ちたネズミは身動きしないまま横になっていました。フウは、ヒトがネコから自分を解放してくれたと思いましたが、獰猛な生き物と教え込まれているので、ここで死に真似を止めることは危険だと思いました。
ハチは身をくねらせながらうなり声をあげています。どうやら獲物が口からこぼれ落ちたので、もういちど咥えていたぶりたいようです。
そこでショウタくんは身動き一つしないネズミの尻尾の先をもって持ち上げ、ハチを押さえた手を離しました「ネズミ、しんじゃったみたい、可哀想に」ショウタくんには初めて見るネズミです。大きな黒い目は、どこかかわいらしくも見えました。
「ショウタ、汚いから素手でさわらないで」お母さんが、ショウタくんに言いました。
しかし、もう手で触ってしまったので、困った顔をショウタくんはしました。
「もういから、裏の、荒れ地に捨ててきて」お母さんは、ネズミの姿も見たくはありませんでした。「これで2度目よ、全くハチったらなんでネズミばかり捕まえて家に持ってくるのかしら」
「多分、捕まえたのを自慢したいのじゃないかな」とショウタくんは、尻尾を持ったまま家からでると塀の向こう側にある荒れ地にフウをぽおんと放りました。
家に戻ると、お母さんは、そのまま椅子に座ろうとしたショウタくんに、「まず手を綺麗に洗いなさい」と指図したので、ショウタくんはいそいそと手洗い場に行きました。そしてネズミの姿を求めて家の中をうろうろとしているネコを睨みつけました「もうネズミを捕まえてくるなよ」
□
フウは、暫く死んだふりを続けていました。それがたまたま功を奏したのか、大きなアオダイショウがフウの横をゆっくりと這って来たのですが、フウには気がつかないまま進みました。
フウは、その間ドキドキしたまま、アオダイショウをやりすごしていましたが。それでも、怖くて身動きができませんでした。
そして、死んだふりをしたまま、猫に咥えられたことを考えていました。ネコという大きな動物には気をつけないといけない、うっかりツユと話し込んでいたせいもあるけど、近寄られても全然気がつかなかったのは悔しいなぁ。普段なら、きっと逃げ押せるのになぁ。
それにしても、猫に咥えられたボクを助けてくれた、あのデカイ生き物は何だったのかな、二本脚で立っていたところから、あれが凄く怖いという人間なのかしら?尻尾を掴まれたけど、喰わなかったどころか、この草むらに逃がしてくれたし、本当は優しいのかしら?
フウは、蛇をやりすごした事を確認すると。闇にまぎれながら草の間を駆け出してゆきました。冷たい風を感じます。こんな寒くて澄んだ空気の夜は、空を眺めてぼんやり過ごすのが好きなフウでしたけど、怖い思いを沢山したために、一刻も早く母の待つ巣に辿り着こうと急いで走り続けました。
やがて、巣に辿りつくとハルは、巣の穴の入り口で涙を流しながらしくしくと泣いていました。
「お母さんただいま」フウは不安そうに声を掛けました。
「フウ!!」ハルは、思わずフウを抱きしめました。「ツユからネコにさらわれたと聞いたからもうダメだと思っていたよ。よくまぁ、逃げられたものだよ」
「ごめん、ツユと話していたら、注意が疎かになってしまったみたい。でも、親切な人間に助けてもらったんだよ」
「人間に?」ハルは、驚いた声をあげました。そしてフウの匂いを嗅ぎました。確かにネコの匂いにまじってヒトと思われる匂いもついているようです。ハルはヒトを見た事がないので、フウの言葉が信じられませんでした。ハルの両親やその両親が爺様から聞いた話し、ネズミ達の間で昔からずっと口伝されてきた話では、ヒトは残虐な存在だからです。きっとフウは何か他の動物と見誤ったに違いないと、ハルは考えました。
しかし、ツユから聞いた話から察するに、多くの危険を乗り越えて戻ってきたフウの姿は、ハルには頼もしく思えました。いつの間にか、しっかりしちゃって、でも未だ未だ教えることは沢山あるわね。私が教えられない事にもきっと遭遇するから、それらは自分で乗り越えないといけないから、できるだけ早く、自立させてあげないといけないわね。
「フウ、お腹空いたでしょ?美味しいものでも探しにゆきましょうね」ハルは、フウを促し、二匹は荒れ地となっている畑の中を進みはじめました。
フウは、あまりにもせわしない時間を過ごしていたので、空腹を忘れていました。すると突然お腹がぐうとなりました。それに呼応するようにずっと同時に悲しみにくれて食事もとれずにいた、ハルのお腹もぐうと鳴りました。
二匹は思わず笑い声を上げました。