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救いの手

 結局、瑠璃羽は命まで取られることはなかった。散々殴られたが、当然、治療などされることもなく、そのままボロ布のように満月街の外に放り出されたのだった。


 しかし、あれだけのリスクを背負って持ち出そうとした金は全て返すこととなった。それだけではない。あの衣服の中には、瑠璃羽が今まで稼いだ金も含まれていた。結果、瑠璃羽は仕事も稼ぎも、全てを失うことになったのだ。



*****



 瑠璃羽は全身に鈍い痛みを覚えながら目を覚ました。剥き出しの肌に、乾いた藁を感じ取った。


「お母さん! この人起きてる!」


「それじゃあ、お水をあげてちょうだい」


 声の主である幼い少女が、体を起こした瑠璃羽の口に水を運ぶ。その様子を、ツギハギだらけの布団に入ったままの痩せこけた女性が見つめていた。


 水を飲み終えた瑠璃羽は一息つくと少女の頭を撫で、女性の元に向かい、目線を合わせた。


「ここ、どこ? あたし……」


「貴方、紅花地区で倒れていたのよ。どうして……ううん、理由はいいわ。それで、貴方を見つけてここに運んだのよ」


「ここはお母さんと百香の家だよ! お姉さん、ずっと眠ってたの」


 瑠璃羽の横から顔を出した百香(ももか)という少女は、数日前、気絶していた瑠璃羽を家まで運び、目覚めるまで看病をしたということを説明した。


「あたし、満月街から追い出されて……そこからよくわからなくて……」


 女性によれば、瑠璃羽は満月街を出て右に位置する紅花地区で倒れていたらしいが、瑠璃羽には殴られた後の記憶がなかった。


「貴方、大怪我してたもの。何か必死だったから記憶が飛んじゃったのかもね。気にすることないわ」


「まあ、いいか。助かったわけだし……本当にありがとう。あたし、瑠璃羽っていうの」


「私は瀬尾小百合(せおさゆり)。あの子は百香……って、さっき言ってたわね。ごめんなさい」


 照れた様子で口元を押さえる小百合を見て、瑠璃羽はいつぶりかの笑顔を見せた。


「そういえば、ここはどこなの? 何町?」


 百香から受け取った新しい水を飲みながら、瑠璃羽は小百合に尋ねた。


 地下には満月街を中心に複数の地区が存在しており、その中にさらに町があるという構造になっている。


「ここは霧笛町(むてきちょう)よ。だから、私も貴方を連れてくるのは迷ったのだけれど……」


 小百合は申し訳ない、とでもいうように目線を落とした。


 霧笛町は満月街の裏手に位置する花一華(はないちか)地区に属している町である。


 今にも崩れそうなバラックに掘立て小屋、中心にはドブ川が流れる、地下で最も貧しく卑しい町である。


 霧笛町で暮らす女性はほとんど全員が安い値で体を売る売春婦であり、またこれも全員といっていいほど性病保有率が高い。


 地下で最も売春が盛んであるにも関わらず、多くが避妊具や薬を手に入れられない霧笛町の住人たち。しかし、彼女らも生きるため、より多くの報酬を得ることのできる他地区でも売春を行う。それにより、多くの男性が病気にかかる。


 さらに、そういった霧笛町の売春婦から病気を移された男性が他地区の売春婦を買い、そこからまた伝染するなど、とにかく霧笛町住人による被害は後を絶たない。


 その上、ただでさえ不衛生な地下において、ロクに衛生管理もされていない場所で行為を行ったり、そこに住居を構えて住んでいたりするのだ。性病でなくとも、何かしらの病気にかかることは避けられない。


 こういった理由から、地下でも霧笛町の住人たちは強い差別の対象となっている。


 地下では満月街以外でも金融、教育、性産業など様々な働き口が存在するが、霧笛町で生まれたというだけで働くことはできず、結果として売春婦となる。


 霧笛町の売春婦というだけで客は取れず、避妊具や薬を買うこともできない。しかし、生きるために売春婦として働く。そういった、負のループが発生しているのだ。


 申し訳なさそうに目線を落とす小百合に対し、瑠璃羽はあっけらかんと答えた。


「いいよ! 別に、あたし、そういうのあんまり気にしないから。それより、ありがと」


「そう……いいえ、とんでもないわ。本当にたまたまなのよ」


 小百合は紅花地区で仕事を終え、帰路で偶然、倒れている瑠璃羽を助けたのだ。助けたとはいえ、霧笛町住人である自分が礼を言われるとは思っておらず、目に薄らと涙が浮かぶ。


「たまたまでも助かった。何かお礼するよ……って言いたいんだけど、あたし、お金全部失くしちゃったんだよね。ごめん」


「お礼なんて……でも、もし、良ければ……」


「何?」


「私が仕事に行っている間、百香を見ていてくれないかしら?」


 瑠璃羽はきょとんとした様子で目を丸くした。地下で礼をする、といえば、男であれば体か物、女であれば金銭や、また物を要求されるのが当たり前だからである。


 そういった俗なものを要求し、また自身も要求する。それが普通のことであると、瑠璃羽は内儀に何度も教わった覚えがあった。


 とはいえ、百香の面倒を見るというのは、他でもない、自分を助けた小百合の願いである。瑠璃羽は一も二もなく了承した。


「わかった。百香……あ、百香って呼んでいい?」


「私はいいけど……百香」


 小百合の声に、家の外で砂地に文字を書いていた百香が走り寄ってくる。


「お姉さんがね、百香って呼んでいい? って」


「えっ? じゃあね、私もルリ姉ちゃんって呼びたい!」


 こうして、瀬尾家と瑠璃羽の友人関係が幕を開けたのだった。

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