表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/20

持ち逃げ①

瑠璃羽が月下楼に勤め始めて、すでに8年が過ぎていた。物心ついた頃には月下楼の遊女となっていた彼女は、ただただ、生存本能とでも言うべき意志だけで、月下楼の平均寿命である2年を遙かに超えるほど生き抜いてきたのである。


 しかし、すでに瑠璃羽は限界だった。体中は傷だらけで、内臓の負傷から血反吐を吐くこともあった。そのため、ここ数日に渡って月下楼を辞めるという考えが頭を過ぎることが増えていた。


 満月街の妓楼を辞めるのは簡単ではないが、実は、例外もある。その1つが月下楼だ。


 他の妓楼のように、遊女や芸妓としての美しさや踊り、歌などの芸を売っているわけではない。借金で売られてきた遊女も少ない。特性上、医療品は必要となるが、それでもかけるコストは低い。その上、いくらハードでも満月街の妓楼というだけで入ることを希望する遊女はいくらでもいる。そのため、辞めたとしても大した制裁を受けることはない。


 人気遊女として比較的高給取りであり、辞めたとしても数年は生きていけるであろう瑠璃羽が辞めることを決意するには十分だった。


 本来であれば内儀に伝え、最後の仕事をこなしてから辞めるのが一般的ではあるが、瑠璃羽は今すぐに月下楼を抜けることを決意していた。


 瑠璃羽は内儀に対するやや反抗的な態度から、今まで、かなりの額とはいわないが、報酬をいくらかピンハネされていた。内儀はそのことを隠そうともしなかった。そのため瑠璃羽は、この夜、内儀の部屋から報酬を奪い取り、こっそり店を抜け出ようと決めていたのだ。



*****



 ぎし、と床板の鳴る音が響く。


 すでに深夜の3時。接客に疲れた遊女たちは深く眠っており、全く目を覚ます気配はない。


 それでも、瑠璃羽は出来る限り物音を立てないよう、爪先からそっと足を下ろしながら歩いた。


 いくら辞めるのが簡単とはいえ、金を盗んだとなればタダでは済まない。満月街の外に出るまで安心はできないのだ。


「……あの」


 内儀の部屋の前に立った瑠璃羽は、そっと襖を開け、静かに、静かに声をかけた。眠っているかの確認だが、万が一、内儀が起きていれば、適当に話を振ってやり過ごそうとしていた。


 しかし、返事は返ってこなかった。部屋の中には誰もいなかったのだ。


 いつ戻ってくるかはわからないが、これを千載一遇のチャンスと捉えた瑠璃羽は、さっと内儀がいつも使用している机の前に移動した。


 引き出しの中には筆、帳簿、様々なものが乱雑に入れられていた。


 瑠璃羽はそれらを全て乱暴に取り出し、真横に投げ捨てた。どこかに、内儀が金庫代わりに使用している箱を開ける小さな鍵があるはずなのだ。しかし、鍵は見つからず、中身を放り出された引き出しは空になっていた。


引き出しの中には何も見当たらないが、他に鍵を入れておくような場所はない。どこかに隠しているのか、と瑠璃羽は思ったが、いつ内儀が戻ってくるかわからない以上、考えを巡らせている暇はなかった。


 瑠璃羽は、どうしたものか、と思いつつも、散らかしたものを引き出しにしまっていると、ごつん、と何かに当たる感覚を覚えた。


 その感覚を覚えた時、瑠璃羽は強烈に胸が高鳴り、口の端を歪めた。一度しまったものを先ほどのように放り出し、手を引き出しの奥に深く突き入れた。


 撫でるように引き出しの奥に触れていると、その指先に、明らかに引き出しの木ではない冷たい感覚があった。金属の感覚に、全く摩擦のないつるりとしたものが貼り付いている。


 瑠璃羽は金属を指先で掴むと、貼り付いているものを気にも止めず一気に引き剥がした。


「あった…! やっぱり……こんなところに隠してた。あのばーさん、陰湿なアイツらしいやり方すると思ってた!」


 瑠璃羽は小さな声で、しかし興奮を抑えきれない様子で喜んだ。しかし、浮かれている暇はない。内儀が戻る前に箱を開け、中身を奪って逃げるという工程の準備が済んだだけである。やらなければならないことはまだまだあるのだ。


 箱の中には、古ぼけてよれた紐で束ねられた紙幣が大量に入っており、瑠璃羽はそれを急いで脱いだ衣服に包み始めた。


 金を包んでいる間も、背後への警戒は怠らない。それに加えて、まるでコウモリやイルカのように、耳を澄ませていた。



*****



 金を包み終わった瑠璃羽は、周囲に気配のないことを確認すると、箱をしっかりと閉じて鍵を元の場所に戻し、散らかしたままの引き出しの中身を片付けた。金が盗まれたことを、すぐに悟らせないための工作だった。


 内儀は見回りか、或いは接客後の部屋を片付けているのか、中々戻ってくる気配がない。単なる運でしかないが、これは瑠璃羽にとって好都合としかいえなかった。


 しかし、これから妓楼の外に出るまでが問題だった。内儀が部屋に戻ってから出る方が鉢合わせないので安全だが、そうすると、内儀が異変に気付いて追ってくるまでの時間が稼げない。


 一方、今すぐに出ていけば、内儀が部屋に戻って異変に気付くまでの時間で逃げ切れる。しかし、妓楼内で鉢合わせる可能性も高い。


 悩んだ結果、瑠璃羽は今すぐに出ていくことを決めた。しかし、それは妓楼の出入り口から、というわけではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ