紅色の花たち
来た道を脇目も振らずに走り抜ける瑠璃羽。しかし、その途中、走ることに集中しているが故に研ぎ澄まされた神経。それが、小さな悲鳴を耳に捉えた。
それは、確かに聞き覚えのある声。瑠璃羽は今すぐに家に戻りたい気持ちがあったが、万が一ということもある、と、悲鳴の聞こえた方向へ向かった。
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「ごめんなさい! ごめんなさい! 知らなかったんです!」
「嘘をつくんじゃないよ! この辺はあたしらの縄張りなんだよ。それをノミにも劣る霧笛町のカスが汚したなんて許されることじゃないのはわかってるんだろうね」
百香は南満月町にいた。石竜子と話を終えた百香は店で働くことを諦め、道端で夜鷹として売春をすることを決意した。そうして、その足で風俗街である南満月町に向かったのだ。
百香は南満月町には売春婦たちの縄張りがあることを知らなかった。いや、南満月町が遊郭であることすら知らなかった。ただ、人が集まっているところが目に入り、そこで客引きをすれば、より多くの金を稼げるのではないかと思っただけだ。
百香はしばらく客引きを行い、やっと捕まえた客と行為の準備をしていた。その時、なんとなく間を繋ぐためにしていた会話の流れから、百香が霧笛町の住人であることが客に知られてしまったのだ。
客の男は大袈裟に騒ぎ出すと、今、脱ぎ捨てたばかりの服を着て、一目散に逃げ出した。その場面を、百香が売春をしようとしていた場所を縄張りとする売春婦グループのメンバーに見られていたのだ。
結果、それを聞いたグループのリーダー、麻弥によって、百香のリンチが決定したのだった。
「あんたが1人2人、客を取るだけで、ここらの客は干上がっちまう。そうしたら、あたしらも食い扶持を失うからね。わかってんのかい?」
麻弥はメンバーに混じって、積極的に百香に暴行を加えていた。それほど、百香の行為は許されざるものだったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
百香はただ、謝ることしかできなかった。全身に痛みを感じながらも、謝罪の言葉だけは機械のように発せられた。
それでも尚、麻弥たちの暴行は収まる様子を見せなかった。
その時だった。
「百香!」
百香が暴行されているところに、瑠璃羽が現れた。間一髪、百香が気を失う寸前、瑠璃羽は駆け付けることに成功した。
「百香……」
瑠璃羽は地面に倒れ、ボロボロで傷だらけの百香に近付くと、そっとその体を抱き上げた。百香は瑠璃羽が来た安心感で緊張の糸が切れたのか、そのまま気を失った。
瑠璃羽はそのまま謝罪をして家に戻ろうとしたが、それを麻弥は許さなかった。
「待ちな。そいつには金を払ってもらうよ」
「……賠償金ってわけ……」
「そう。そいつは霧笛町のゴミの癖して、生意気にもあたしらの縄張りを荒らした。そいつが取った客が言いふらしたらどうなる?あたしらまで仕事を失う。その補填はしてもらうよ」
瑠璃羽は胸騒ぎを覚えた。霧笛町の住人で、賠償金を払えるほど稼いでいる者などいない。それは麻弥もわかっているはずだ。
で、あれば、金の代わりに何かしらの条件を吹っ掛けてくるだろう。縄張り荒らしをこのまま見逃すなど、全くもってあり得ない。
「で、何をしたらいいの?」
瑠璃羽は顔に浮かびかけた恐怖を押し隠し、出来る限り、堂々と麻弥に聞き返した。
その様子を見た麻弥は顎を上げ、どこか馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「そいつにはグループの奴隷として、賠償金を支払い終えるまで働いてもらうよ。あたしらが斡旋する。もちろん、ここじゃないところでね」
瑠璃羽は、それが嘘だと気付いていた。賠償金を支払い終えるまで、などと言いながらも、それがいくらかは教えない。まだ終わっていない、まだ、まだ、と言い続け、死ぬまで使い潰す気なのだと。
このまま百香を渡せば二度と家には戻れないだろう。策を練って抜け出せるほど、百香は強かではない。
瑠璃羽はごくりと唾を飲み込むと、麻弥に交換条件を出した。
「あたしが代わりにあんたのグループに入る。それで、あんたたちの補填分を支払う。だから百香は帰してやって」
その発言に、麻弥の表情は驚き一色に染まった。この地下で、自らを犠牲にして誰かを助けるなどあり得ない。そんな人間がいる筈はない。それが常識だからだ。
「あんた、本気?」
「本気も本気よ。それに、あたしをグループに入れる方がメリットは大きいと思うけど?」
「それはそうよ。でも、何? 気でも狂ってんじゃあないの?」
「そうかもね! あたしもそう思う。自分でもワケわかんないよ」
麻弥はしばらく考え込むと、周囲に残っていたグループのメンバーたちに何事か告げた後、瑠璃羽の元に足を運んだ。
「じゃあ、そこのは解放する。あんたはあたしと来な」
瑠璃羽は抱き抱えていた百香に異変がないことを確認した。その間、麻弥は瑠璃羽をじっと見つめていた。
瑠璃羽は確認を終えると、近くで様子を見ていた客引き中の者に、百香が起きたらそのまま帰るよう伝言を頼んだ。
そうして、そのまま麻弥の後をついて行った。




