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理想の家事手伝い

作者: Y.N

「お暇をいただきたいと考えております」

 私の言葉に奥様はそっと目を伏せ、ご主人様は黙って腕を組んだ。

 お二人が結婚された当初から、家事手伝いとしてこの家に仕えてきた。当時奥様は二十八歳、ご主人様は三十歳。お二人は若々しいパワーをもって新しい生活を始められた。ご家族が増え引っ越しもされ、お二人を取り巻く環境は少しずつ変わったけれど、私は三十年間、変わらずにこのご家庭と共にあった。


 家事手伝いに何を求めるかは、その家の方針による。家事を丸投げする家もあれば、仕事を分担する家もある。奥様のご希望は、家事を手伝ってもらいながらやり方を教えて欲しい、いずれは一人で家を切り回せるように教育してほしいというものだった。そのようにご希望されるのももっともだ。新婚当初の奥様は、家事全般にわたって知識がなく、フライパンの扱い一つ知らなかった。


 最初が肝心という仲人様からのお祝いは、高価なフライパン。立派なのはよいが、プロ向けで素人の奥様には扱いきれない。私は仕様書を確かめ、付属のレシピ集の中から手始めにシンプルな野菜炒めをお教えした。

「奥様、このフライパンは予熱が命です。事前によく熱して、落とした水滴が玉状になったら調理を始めます」

 奥様は素直にうなずき、野菜の下準備も何もできていないうちに、いきなりフライパンを火にかけた。こんなとき、母親なら「まずは野菜の準備から!」などと怒鳴りかねない。だが私は決してそのような態度をとらない。「徹底して奥様をフォローする」「奥様が常に上機嫌で過ごせるよう取り計らう」のが求められる役割だ。私は火が通りにくい人参を手早く洗い、大急ぎで皮を剥いて拍子切りにした。ガスコンロの前でフライパンが温まるのを待っている奥様には、やんわりアドバイスした。

「奥様、じっと待つのもよろしいのですが、その間に一仕事する方法もあるかと存じます」

フライパンに手をかざし、試しに水滴を落とした奥様は、コロコロと水の玉が転がるのを見て、こちらもコロコロと笑い声を立てた。

「玲子さん、見て! 調理を始められそうよ」

 私が準備した人参を受け取った奥様は、機嫌よくフライ返しでかき回し始めた。急いで次の食材の準備をしていると、奥様の悲鳴が上がった。

「玲子さん、どうしましょう。急激に焦げてきたわ」

「奥様、火力の調整をなさいませ」

 家事手伝いと教育係を兼務する私は、こうやって新米主婦の奥様との二人三脚を始めた。


 お子様が生まれると、奥様は睡眠不足で目がくぼんでしまった。私は家事を手伝えても、お子様に母乳は与えられない。育児で協力できるのは、栄養のある食材を用意し、料理してお出しするぐらいだ。

第一子は夏生まれのお嬢様で、その年は猛暑だった。赤ん坊を育てる母親は、ゆっくりと食事を取れない。私はできる限り奥様に食事を楽しんでいただくために、ひんやりとしたメニューをあれこれ考えた。手早くとれる冷製スープ、野菜のゼリー寄せ、肉も野菜もたっぷり入った冷しゃぶなど。私がお勧めする食事を、奥様は喜んで召し上がった。

「玲子さんのおかげで、冷たいものを冷たく食べられるわ」

 奥様は、母上様から出産前に聞かされていたのだ。

「あなたが赤ん坊だったころは、私が食事をしようとするたびに泣かれたわ。おっぱいをあげておむつを替えて寝かしつけているうちに、お皿の料理は冷めたりぬるくなったりする。当時は家事手伝いなんてものはありませんでしたからね」


 次にお生まれになったのもお嬢様。お一人目とお二人目の間があまり空かなかったため、奥様は赤ん坊を二人同時に育てるような忙しさだった。沐浴、離乳食づくり、ハイハイを始めると怪我がないよう見守りも必要になる。ご主人様は仕事がお忙しいようで、家にはあまりいない。子育てのパートナーとしては戦力外のご主人様に代わって、奥様をお支えするのも私の役目だった。


 お嬢様が幼稚園に通い始めると、お遊戯会に使う衣装などを準備しなければならない。奥様はお嬢様が持ち帰ったピンク色の生地を手にして、「玲子さん、どうしましょう」と途方に暮れた。奥様は裁縫も苦手だった。

「奥様、私が買い物から戻りましたらいっしょに取り掛かりましょう」

 私がそう言いおいていたにもかかわらず、戻ってみると、奥様が生地にエイヤッと鋏を入れるところだった。私は買い物の荷物を投げ捨て、奥様のそばに駆け寄った。

「奥様、お待ちくださいませ。生地の表と裏を確認なさいましたでしょうか。型紙の当て方ももう一度確かめましょう」

 チェックすると、やはりあのままではうまくいかず、あわや継ぎはぎだらけのフランケンシュタインのようなお召し物をお嬢様に着せるところだった。

 奥様はしょんぼりしながら打ち明けた。

「私も一人でやっていかれるところを玲子さんに見てもらいたかったのよ。でもまだ駄目ね。やっぱり私には玲子さんが必要だわ」


 奥様のこの言葉を喜ぶべきか悲しむべきか。家事手伝いとしての私を重宝がり、大切にしてくださるのはありがたい。しかし教育係として、私がお教えすることはまだたくさんあるのだと、気を引き締めるのだった。


 お嬢様方が思春期に入られると、奥様はよく一人で泣いていらした。

「私のことを『ババア』って呼ぶのよ。今朝も時間がないからって朝ごはんを食べずに行こうとするのを止めたら、『余計なお世話だ、くそババア』って……」


 私は思春期の人間の脳に起こる変化を奥様に説明して差し上げた。この年齢の人間には、体中にドラマチックな構造変革が起こる。物事の認識方法が変わり、体つきに凹凸が生まれる。変化が起こっていることを当の本人は受け止められず、ただ落ち着かない気分だけが本人を支配する。

「奥様、構造変革は長くは続きません。やがてお嬢様方が落ち着かれる日まで、親としての愛を発信し続けるのでございます」

 奥様は涙に濡れた目で私を見ると、こう言うのだった。

「そうね。玲子さんと一緒にその日を待つわ」

 

 私の予測通り、いつしかお嬢様方も大人になられ、やがてお二人とも家を出られた。今や家を散らかす人はいなくなり、買い物や洗濯物の量も減り、昔に比べれば家事は減ったかのように見えた。だがやろうと思えばきりがないのが家事というもの。私は壁のほこりを払い、床にワックスをかけ、味噌やパイを手作りし、お腹がご立派に成長されたご主人様の洋服をリフォームした。もちろん奥様といっしょに、だ。


 今では奥様もすっかり一流の主婦になられ、私がいなくとも立派に家事をこなされる。しかし奥様は私を手放そうとはなさらず、ご主人様とのお食事時などは「玲子さんはそこにいてくれるだけでいいの」などと言われた。

「夫と二人きりだとなんだか息が詰まっちゃうの。ほら、よく言うじゃない。『2』だとうまくいかないことも『3』だとうまくいくって。椅子の脚は二本じゃ立たないけど三本以上ならバランスが取れる。女子の仲良しグループも二人きりより三人グループの方が長続きするわ。夫と私だとこの家は『2』だけれど、玲子さんがいてくれると『3』になってうまく回るのよ」


 こう言ってくださる奥様だったが、ある晩、ご夫婦が話している内容を聞いてしまった。

ご主人様「玲子さんにもだいぶ長く働いてもらった。そろそろ引退させて、新しい家事手伝いを探した方がいいんじゃないかね」

奥様「そうね。最近、玲子さんの体が熱いのが気になってはいるのよ。でも玲子さんは一日も仕事を休んだ日はないし、手を抜くこともないの。こんなにも長い間完璧に務めを果たしてくれる家事手伝いはいないわ」

 奥様は私の働きぶりをちゃんとわかってくださる。そのうえで、私の不調も見抜いておられるのだ。


 私の体は生まれつき頑丈にできている。この家にお仕えしてから、一日たりとも具合が悪くなったことはない。ただし最近は、一日の務めが終わった後、体が熱っぽく感じるようになってきた。


 ある日、仕事を終えて自分の部屋で横になっていると、奥様がひょこっと顔を出された。

「まぁ玲子さん、このお部屋とても暑いわ。熱でもあるの」

 どうやら体から熱を発しているらしい。そういえば仕事をしながら、やたらカッカとするのを感じていた。ご主人様はその後何度も、新しい家事手伝いを探すよう奥様に進言した。その度に奥様はいつも、こう言ってくださるのだった。

「ここまできたら、玲子さんには最後までうちで働いてもらうわ」

 

 今年の夏は猛暑だった。かつてなく厳しい暑さが続き、ただでさえ火照る私の体は、全身が高温発熱体のようだった。ある時奥様は、私の体に触れてハッとしたように手を引っ込めた。

「玲子さん、こんなになるまで働いてくれたのね。ゆっくりさせてあげたいけれど、でも玲子さんなしでやっていく自信がないわ」

 

 真剣に考えた。奥様は本当に、私が動けなくなるその日まで仕えさせてくれるだろう。だが果たしてそれが、この家にとって良いことなのだろうか。時代は大きく変化している。奥様はとうに独り立ちができるようになってもいる。この家にも新しい風を入れるときが来たのだ。奥様から言い出せないなら、私から伝えるしかない。

 

 いよいよこの家を去る日が来た。すでに独立されていたお嬢様方も駆けつけ、私を優しくなでてくださった。

「玲子さん、長い間ありがとう」

 奥様は涙を浮かべて私を抱きしめ、仕事着にしていたモスグリーンのエプロンを受け取ってくださった。いいご家庭に仕えた幸せな三十年だった。

 入れ違いに新しい家事手伝いがやってきた。今度の家事手伝いは、青みの残る真っ白いエプロンを身に着けている。一通りの引継ぎを終えて、私は自分が向かうべき場所へ運ばれていった。

 

 向かうべき場所、それは資源回収センターだ。家事手伝いロボットの体には、貴重な貴金属が山のように使われている。私の体はバラバラにされ、貴金属の種類ごとに分類され、やがて次世代型家事手伝いロボットに生まれ変わる。


 一昔前は、お掃除ロボット、調理ロボット、アイロンかけロボット、ゴミ出しロボット等、家事を細分化してそれぞれを自動化させていた。だがロボットばかりがやたらと増えて狭い住宅を圧迫し始め、エネルギー効率も悪くなる一方だった。

 人間が生きている限り、食事を用意し、散らかる部屋を片付け、しかるべき機関に支払い手続きを取り、といった細々とした家事はなくならない。節電が叫ばれ人手不足の深刻な時代になると、家電製品はシンプルになり、その分、家事手伝いロボットがオールラウンドに何でもこなせるように開発された。私は、人類の願いをかなえた、第一世代の家事手伝いロボットだ。


 三十年の間に、家事手伝いロボットの性能も格段に上がり、社会も変化した。私はたまたま、専業主婦と亭主関白という絶滅危惧種の雇い主のもとで働いたが、お嬢様方はそれぞれに仕事に就かれ、いずれは社会人と家庭人の両輪を担うはずだ。

 次世代型家事手伝いロボットの特徴は、手伝いすぎないところ。私はご主人様を戦力外としたが、次世代型はちがう。家事を手伝いながらも各人にさりげなく仕事を割り振り、すべての家庭人が一通りの家事能力を持つように教育する。家事能力を人間から奪うのではなく、家事を楽しむように仕向け、仕事とのバランスをとるよう促すのが次世代型だ。

 私たち第一世代は、金属に蓄えた情報を次世代に伝えて、使命を終える。真っ白いエプロンをつけてやってきたロボットは、家事能力ゼロのご主人様を励ますだろう。奥様に言われるよりも、家事手伝いロボットに促される方が家庭は円満だ。


そう、家事手伝いロボットは、全ての家庭を幸福にするためにある。

                                          (了)


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