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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

婚約破棄させた女の娘の物語

作者: 白川明

 私を産んだ女はまもなく死ぬ。


 女は天鵞絨の天蓋の寝台に横たわって眠っていた。かつての容色は見る影もなく、痩せ細り、骨と皮だけのまるで幽鬼のようだ。手に嵌めた大きな翡翠色の宝玉の指輪が早すぎる副葬品のように見える。

 私は彼女の寝台の横で、彼女が息絶えるのを待っている。


 私はリンドブルム王国第十三代国王の同腹の姉イザベル。いや、リンドブルム王国最後の王の姉か。

 我が王国は帝国にまもなく滅ぼされる。


 私の母アンナは、今は亡き前国王の正妃だったが、本来ならば彼女はそのような地位には付けなかった。母は公には公爵家の出だったが、実際は平民だ。これは誰もが知る公然の秘密だ。母を気に入った父が、母を王家に縁ある公爵家の養子にさせ、貴族の身分を与えた。それだけでなく、生まれてすぐに婚約した侯爵家の一人娘に一方的に婚約破棄を行った。その上で父と母は結婚した。その後、父の元婚約者は当時の帝国の第八皇子に嫁いだ。皇位継承権最下位の皇子に。

 そこで終われば、もしかしたらこの国はもう少し長く持ったかもしれない。

 父の元婚約者の夫である皇子は壮絶な皇位を巡る争いを勝ち抜き、皇帝となったという。新皇帝は領土拡大を押し進めた。王国にも進攻した。国境の城塞都市は落とされた。帝国が提示した条件を呑めば、停戦に応じるという。無論、それは帝国への完全な併合を意味する。

 我が国が帝国を退けられるはずもない。国力も兵力も比べ物にならない。けれどもこうして未だ抵抗しているのは、死にかけた前王妃がいるからだった。


 大きく重たい布が打ち合わされるような音がした。

 私は顔を上げ、開け放たれた窓の外を見た。

 母の聖獣が向かいの塔に降り立ったところだった。

 毛の無い巨大な黒い鳥、それが前王妃の使役する聖獣だ。

 王の妃は聖獣と呼ばれる不思議な力を持つ巨大な獣を従える。聖獣は王妃の命の下、王国を守る。この国にだけあるしきたりだ。現国王にはまだ妃がいない。帝国進攻からまもなく、前国王は病死し、弟の現国王が急遽即位した。弟の婚約者であった侯爵家の娘は隣国へ留学中だった。現在、彼女は王都に向かっている。彼女が王城に着き次第、王城の地下において婚姻の儀を執り行い、正式に王妃となる。そうしなければ、聖獣は使役できない。王国全体が混乱にある中、いま城の者は皆彼女の到着を待ち望んでいた。母を看取る私以外は。

 母の死と、未来の王妃の到着のどちらが先か。未来の王妃が間に合わなければ、我が国は即座に降伏せざる得ない。私は他人事のように感じていた。仮に間に合ったとしても、聖獣一体で戦局を覆せるとは思えない。

 それに私は母を愛してはいない。母も私を愛していないように。私のいま為すべきことは母の傍らで、彼女の死を待つこと。


 ふと、部屋の外が騒がしいことに気付く。

 私の義妹となる娘がやっと到着したのだろうか。あるいは帝国の軍が王都に迫っているのか。


「外を見てきてちょうだい」


 私は部屋に控えていた侍女にそう告げた。侍女はかしこまりましたと答え、すぐに部屋を出ていった。母の世話をしているのは当たり前だが彼女だ。私は本当にただいるだけ。

 母が起きる気配はなかった。前国王が病で急死して以来、母は床に臥せ、みるみるうちにやつれていった。あまり身体が強くはなく、聖獣を使役する度に寝込むのはいつものことだったが、前国王の死と度重なる聖獣の使役でこのようになってしまった。

 母は国王を愛していた。母は王妃の座が欲しかったわけではなかったようだった。人々が噂するように地位を得たかったのではなく。




「わたしはとてもしあわせなの」


 かつての母は純朴な少女のような顔で私にそう言った。そのときは珍しいことに私と母は二人っきりで王宮の中にある空中庭園にいた。侍女はいたが影のように息を潜ませていた。


「ずっとずうっと大好きだったあの方の誠の妻になれた。あの方がいたから、わたしはここまで生きてこれたの」


 母は手入れされた花園の花を無造作に摘み、花冠を作っていた。その出来は私の目から見てもぐちゃぐちゃで綺麗なものではなかった。


「あの方のために男の子も産めた。わたし頑張ったわよね、そうでしょ」


 私は「はい、お母様」と答えた。母が私に話しかけるときは肯定しか求めないから、いつものようにそう答えた。意味はよくわからなかった。

 いま思えば、母は私に話していたのではなく、無害な誰かにただ一方的に聞かせたかったのだろう。

 母は見知らぬ旋律の鼻歌を歌い、花冠を自分に被せた。それから、私の方を見た。いま初めて私がいたことに気付いたような、不思議そうな顔だった。


「お前は、いまのわたしに似てうつくしいのね」


 先ほどとは違い、淡々と感情が削ぎ落ちたような声だった。


「お前は、わたしより若い。わたしと違って、何もかも持っている」


 私はそのときの母が恐ろしかった。母はいつも私のことを無いものかのように扱う。男児ではない私は、母にとっては何も価値がない。


 母は私に手を上げることはなかった。

 そもそも、記憶に有る限り母に触れらたことはない。




「イザベル様、今すぐいらしてください!」


 様子を見に行った侍女が血相を変えて戻ってきた。


「何事ですか」

「帝国から皇后殿下がいらして、アンナ様を、と」

「なぜ……いえ、わかりました。お前は母上を看ていてちょうだい」


 私は侍女の返事を聞かず、部屋を出た。

 私がいま来ているのは簡素な平服で、他国の貴賓に相対するには失礼に当たるが気にしてはいられなかった。

 別の侍女に案内され、私は玉座ではなく応接室に向かった。


「陛下はご存知なの?」

「はい。陛下はいま帝国の使節とお会いになっております」

「あの方が使節ではないの?」

「はい。あくまで非公式にアンナ様を訪ねたい……と」


 馬鹿にされたものである。かつての母国とはいえ、交戦中の国へ来るとは。しかし、こちらが手出し出来ないのもわかってのことだろう。併合の理由を与えてしまう。

 そもそもあの方が、我が国の手に簡単に落ちるとは思えない。




 応接室の扉の前で私は深呼吸した。それから、兵に扉を開けさせた。


 地味な旅装に身を包んだ美しい女がそこにいた。

 女は優雅に微笑んだ。


「大きくなりましたね、イザベル様」


 母と同い年であるはずなのに、私とそれほど変わらないように若く、美しかった。


「お会いできたこと光栄に存じます。ハリエット様」

「堅苦しいのは抜きにしましょう?」


 ハリエットは小鳥のように首を傾げてそう言った。


「貴方に会えたのは嬉しいのだけれど、アンナ様はどこかしら? アンナ様にお会いしたいとお伝えしたはずなのだけれど」

「恐れながら、母は病身ゆえお目にかかること出来ず……」

「まあ、それはお可哀想に」


 白々しいやり取りだ。


「どのような御用件でしょうか?」

「アンナ様にお渡ししたいものがありますの。こちらに」


 ハリエットの従者が蓋の付いた籠を床に置く。それから従者は蓋を開けた。

 最初にきつい百合の花の匂いがした。中に入っているのは百合の花だと思い、私は怪訝に思い覗き込んだ。

 そして後悔した。

 籠から溢れんばかりの百合の花の中に、女の首があった。

 女の顔には見覚えがあった。弟の婚約者だ。

 悲鳴は上がらなかった。驚きと恐怖で声を上げることも出来なかった。


「せめて一部だけでもと思い、無理を言って頂いてきましたの」


 にこやかにハリエットは続ける。


「ご遺体がないのは寂しいでしょう?」


 私は何か言わなければならないと思った。しかし、何も言えなかった。

 この女に届くような言葉は思いつかなかった。

 我が国は、母が死ねば、終わる。


 廊下が騒がしかった。しかし、私はハリエットから目を逸らせずにいた。彼女は先ほどからの笑みを絶やさず、静かにこちらを見ていた。

 そのとき、扉が急に開き、何かがハリエットのもとに駆け寄った。それは弟の婚約者の首には目もくれず、その籠を蹴飛ばした。それは彼女に辿り着く前に従者に阻止された。遅れて扉を守っていた衛兵たちも駆け寄る。

 それは獣のように唸っていた。


「あらあら、アンナ様。御機嫌よう」


 母だった。

 床から起き上がれないはずの母がハリエットの従者と衛兵たちに止められ、まるで幽鬼のような凄まじい表情でハリエットを睨みつけていた。


「死ね、このクソ女!!!」


 私は耳を疑った。母は、元は平民だがそのような言葉遣いをすることはなかった。


「まあ、アンナ様お元気そうで何よりですこと」

「死ね! 死ね!」

「あなたの言うことは昔と変わらず芸がありませんわね。あなたは本当に経験したことから学ばない」

「うるさい、黙れ!」


 母の金切り声はとても耳障りだった。私も思わず黙れと怒鳴りたくなった。


「お前は何もかも持っているだろう! なぜあたしからあの人を奪ったの!?」

「その件についてはお悔み申し上げます。ですが私は関与しておりませんわ。むしろ我が夫の手で首を刎ねられなかったことが大変残念です」


 母は歯を剥き出しにして、喚き散らした。

 私ははっと我に返った。


「母上を部屋にお連れして!」


 衛兵たちは母を引きずっていった。私がそう命令しなければ、衛兵たちは行動できなかった。


「ハリエット様大変申し訳ありません。母は病で正気を失っているのです」

「いいえ、気にしておりません。アンナ様は昔からあのような方でした」


 ハリエットは終始表情が変わらず、笑っていた。しかし、目が全く笑っていないことはわかった。

 私は母が蹴飛ばしたせいで、籠から飛び出そうになっていた弟の婚約者の首をそっと直した。


「ハリエット様。ご温情に感謝致します」


 屈辱的だが、今この場でそう言うしかなかった。義妹となるはずだった娘の、首から下がどうなったか考えたくもないが、首だけでも返ってきたのは確かに過ぎた温情だった。骸が野晒しにされるのもあり得たことだった。


「あなたはアンナ様には勿体ない娘ね」

「……恐悦至極に存じます」

「わたしはそろそろお暇します。陛下とこちらの使者の会談も終わった頃でしょうし」


 そう言うとハリエットは、従者を伴い、扉に向かった。


「ああ、そうだわ」


 ハリエットは立ち止まると、こちらを振り返った。


「あなたはアンナ様ときちんとお話しした方がいいと思うわ。あの方がまだ生きていらっしゃるうちに」


 私は訝し気に彼女を見た。彼女は最後まで表情を崩さなかった。




 他の者に陛下への報告を指示して、私は母の部屋へ戻った。


 衛兵が娘の首が入った籠をどうすべきか尋ねたとき、私は一瞬迷ったのち、陛下に判断を仰ぐよう言った。弟に、婚約者の無残な姿を見せることに少しだけ躊躇した。けれど、今はそのようなことを考えるときではなかったことを思い出した。


 母は寝台の上でぶつぶつと呟いていた。


「お母様、お休みになった方が……」


 そう私が声を掛けても、聞こえていないようだった。


「どうしてあの女ばかりいつもいつも……ずっと、ずっとそう、前世から……」


 私は息を吸いこんでから、寝台に投げ出された手を取り、「お母様」と大きな声で母を呼んだ。

 母はぎょろりと血走った眼でこちらを見た。


「いい加減になさってください。あなたはいつも自分のことばかり」


 私は母の手を強く握った。


「この国は滅びようとしているのですよ。どうして、あなたはそうなのですか」


 母はじっと私を見た。母が私をそのように見るのは生まれて初めてのような気がした。


「だって、ここはあたしの世界じゃないもの」


 そう言うと母は語り出した。




 絶対にお前は理解できないでしょうけど、あたしはいま二回目の人生を生きているのよ。

 いえ、二回目じゃないわね。

 だってここはゲームの中なのよ。ボーナスステージみたいなものよね。

 本当のあたしはアンナなんかじゃない。ただの庶民、ただの社畜。アンナも元々は町娘だけど主人公だもの。特別よね。

 そんなあたしがあの方の妻になれたのは、このゲームをやりこんでいて、何が起こるかわかっていたから。王子ルートのハッピーエンドを目指していけば楽勝だった。

 でも、あの女がいた。あの女も、ハリエットの中にいた女も転生者だった。あいつもこのゲームのストーリーを知っていた。あいつのせいで全部狂ったのよ。

 あたしの聖獣はあんな気色悪い怪獣みたいなのじゃなかった。真っ白でふわふわの毛並みの大きな狼だったのに。帝国だって、継承戦争が泥沼化して二つに分裂するはずだったのに。あの方とあたしはおじいちゃんとおばあちゃんになるまで一緒にいられたはずなのに。

 もうこんな世界知らない、どうなったっていいもの。




 母の話は聞いたこともない単語が並べられ、意味が分からなかった。

 ただ、母は望んだ人生を得られなかったことだけはわかった。


「仰りたいことはそれだけですか、お母様」


 そう私が言うと母はきょとんと無垢な子供のような目をした。


「あなたは愛した人の妻になれたのでしょう? 王家の一員になれた。聖獣も使役できた。次代の王も産んだ」


 私はそこで言葉を切った。


「何もかも持っているのはお母様の方です」


 そう言うと、母は不思議そうな顔で私を見た。

 母はもう片方の手を伸ばし、私の頬に触れた。


「お前……そうか、お前はかつてのあたしだったのね……」


 そして、あたしの娘。

 そう、母は言った。


 それから母は告げた。


 お聞き。

 お前ならまだこの国を救えるかもしれない。


 聖獣は、王妃だけが使役できるわけではないの。

 王家の女なら使役できる。でも、数代前の王が王家の女が力を付けるのを嫌ってその事実を秘匿したの。

 地下に行きなさい。そこでお前の聖獣を呼ぶのよ。




 リンドブルム王国の黒い巨鳥が地に落ちた日、王城に一匹の竜が舞い降りた。

 竜は巨大な炎を吐いた。炎は王都を越え、王国の辺境にまで及び、遥か遠い帝都にまで届いたという。


 竜は王国建国時の王妃が使役した聖獣であった。




 その後、リンドブルム王国は帝国の領土となった。

 しかし他の併合された国と異なり、大幅な自治権を認められることとなった。王国最後の聖獣の存在ゆえとも、帝国皇妃の母国であったためとも言われる。


 やがて、旧王国はリンドブルム共和国として、帝国から最初に独立した国家となる。共和国の国旗は竜と乙女をあしらったものだった。


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