第一話 光と影の世界(二)
他人が自由に覗き込む生活を、だれが望むだろう。なんのためらいもなく、知ることが当然の権利のように土足で踏み込んでくる。
「そんな世界に、沙樹をまきこまない……ために……、おれはすべての連絡を、閉ざすことにしたんだ……」
沙樹を守りたい。ただそれさえ出来ればよかった。
一方で、考えもなく取った行動が、まだ幼さの残る少女を傷つけた。罪悪感がワタルの心を押しつぶす。
オーバー・ザ・レインボウのメンバーに何も告げなかったのも、同じ理由だ。大切な仲間をまきこむことは、どうしてもできない。知ってしまえば要らぬ迷惑をかけてしまう。知らなければそんな心配もない。
「それが却って、みんなをふりまわすことになるなんて。おれのしてきたことはすべてが無駄だったようだね」
ワタルはそうつぶやき、瞳を閉じて自分のいる世界を思い浮かべた。
影にいることを強いられた人たちは、わずかに差し込む光の中に立つことを切望している。そこに光に彩られた者をひきずりおろすことで、取って代わろうとする者もいる。
信じられないほどの競争社会。華やかさはすべてが幻、夢はすべてが虚構の世界――。
張りぼてで作られた世界から、どれほどの夢を語ることができるのだろう?
目指してきた世界は、なんだったのか?
虹の向こうの夢追い人はどこへ行った?
たどり着いた夢の大地は、足を踏み入れた瞬間から音もなく崩れていく。
ワタルは思う。
はじめからどこに実在しない幻を、おれはずっと追いかけていたのだろうか。今まで夢見ていた物は、月明かりのように儚いものだったのか。
「もういいの。誰もワタルさんが悪いだなんて思っていない。バンドや事務所のみんなはずっとワタルさんを信じて待っている。
だから、もうそんなに自分を責めないで」
頬に触れた掌から、沙樹のぬくもりと優しさが伝わる。
母のような慈悲深さに包まれて、すべてを忘れたい。このまま瞳を閉じて、静かに眠りたい。
そう、許されるならば……。
だが現実は重くワタルにのしかかる。
ライバルを引きずりおろすために虎視眈々と狙っている者たちが、今もワタルを捜しているのではないか。友だちだと思っていた者たちは、成功を妬み、オーバー・ザ・レインボウの足がすくわれるのを待っているのではないか?
そう、ちょうど歩実が梢にしたように。
夢を語りたくて、元気を届けたくて音楽の世界に入った。虹の向こうに住む夢を語る人たちの仲間になりたかった。
血を流しながら雲への階段を一段ずつ上り、やっとの思いでたどりついた虹の世界は、華やかさとはかけ離れた世界だった。他人を踏みにじり、犠牲の上で生きているという現実。
自分たちは、夢を諦めた人々が作る屍の上で、光り輝くメッキのスターだった。
そんな世界に気づいた。
そんな自分たちの姿に気づいてしまった。
「ここに来てからずっと自分に問いかけていた。こんな気持ちを抱いたままで、歌なんて作れるのか? こんな虚構だらけの世界にいて……だれに夢を語る資格があるんだ?」
「ワタルさん……」
「今のおれは、音楽を続ける自信がない」
「自信がない? それって……?」
沙樹の瞳が曇る。唇を小さく震わせながら、ワタルの顔をじっと見つめた。
「音楽を辞めるってこと、だよ」
自分の本心が解らない。
一度手にしたと思った光は、虚栄心で彩られた偽りの希望だった。そしてワタルはまた闇にとらわれる。どこを探しても出口はみつからない。自分の中で生まれた闇から抜け出せない。
一度なくした自信は、二度とは帰らない。
黒い雲に支配されたワタルは、そこから出て行こうという気力すらなくしていた。
以上で第一話「光と影の世界」は終わりです。
次回より第二話「ギターとの出会い」に入ります。
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お話はまだ続きますので、ぜひお読みくださいね。