第三話 狙われたアイドル(十六)
沙樹は今ごろどうしているだろう。芸能人の自分とつきあうことで、普通のカップルには必要のない無理をさせてきた。
そんな日々を重ねているだけに、芸能ニュースを見て不安を感じているはずだ。
早く連絡して、あれはすべてフェイクだと知らせたい。
「人を助けるって、ワタルさんと同じなんだ。似たもの夫婦なのね」
「夫婦って。プロポーズもまだなのに」
いつもの甘えん坊な妹に戻った梢は、容赦なく兄をからかってくる。
「いいな。あたしがその彼女になりたかった……」
そういうとまた瞳を曇らせ、梢は目を伏せる。
お兄ちゃんをからかう妹の仮面が剥がれ、恋を失ったばかりの素顔が束の間だけ姿を見せた。
そしてワタルは、梢にかける言葉を見失う。
「ねえ、もしあたしがもっと早く生まれていて、芸能人じゃなくて、学生時代にワタルさんと出会ってたら、好きになってくれた?」
沈黙を恐れるように、梢はぎこちない笑みを浮かべて会話を繋ぐ。
「逆だよ、きっと。好きになって告白しても、絶対におれがフラれる。バンドをやってても、イケメンだったわけでもモテたわけでもないし。
それよりも大学生になった梢ちゃんは今よりもずっと魅力的で、間違いなく大勢の男子から告白されるよ」
「そう? ワタルさんの言う通りなら、彼女さんは人を見る目があるわけね。素敵な女性なんだろうな、きっと。
落ち着いたころでいいから紹介してくれない?」
紹介か、とワタルはためらう。
ここで彼女の正体を明かしてもいいものか。でも自分のトップシークレットを話すのは、梢を信頼している証だと感じてもらえるかもしれない。
運ばれてきたばかりのコーヒーを一口飲みながら、どうしたものかとワタルは考える。その結果、梢には打ち明けておこうと決意した。
「いいかい。今から話すことは絶対に誰にも内緒だよ。メンバーや事務所にもまだ打ち明けていないんだ」
「ほんと? そんな秘密を話してくれるんだ。ドキドキしてきた」
梢は目を丸くし、子供のような顔でワタルを見返す。
「実をいうと、梢ちゃんは彼女に会ったことがあるんだ」
「本当に? やっぱり森下さん?」
「違うって言ったろ。おれの彼女はFMシーサイド・ステーションの社員で、番組作りをしているんだ」
「あたしが会ったことのあるってことは……あっ、『虹の彼方に』のスタッフにいるのね。女の人ってふたりだっけ? どっちかな」
「この前梢ちゃんに……」
と言いかけてワタルは、何気なく梢の肩越しに視線を移した。
サングラスをかけた若い女性が、こちらを見るでもなく見ている。手元でスマートフォンを操作しつつ、もう一台のスマートフォンはテーブルの上においたままだ。
地味なブラウスにスカートを着て目立たない格好をしているが、あの存在感は間違いなく芸能人だ。
他の人にはわからなくても、業界が同じなので直感的に解る。
ワタルはその人物に見覚えがあった。
「どうしたの? 急に話を止めて。あっちに何か……?」
梢はワタルにつられるようにふりかえろうとした。
「動かないで。うしろを見ちゃダメだ」
ワタルは小声で梢を制止する。
あれは歩実というアイドル歌手だ。スマートフォンの画面を見ているふりをして、すでに何枚もワタルと梢のツーショットをカメラに収めているに違いない。
声を潜めて会話をしていたつもりだが、梢に告白されたあたりから、油断して普通の声になっていたかもしれない。
断片的にでも聞かれた可能性が残る。録音されたと覚悟した方がいいだろう。
ワタルと目が合った歩実は、逃げるように店を出た。




