第三話 狙われたアイドル(十)
ワタルはカーテンを少し開けて地上を見下ろした。通勤や通学の人ばかりで、カメラやマイクを持った人たちは見えない。
「今のところは、それらしい人はいません」
『そうですか。じきに北島さんのもとにも取材が行くと思います。もっと早くお知らせ出来たらよかったのですが、情報をつかんだのが深夜をまわっていたので、連絡をためらっていました。すみません』
「おれは、どうすれば……。正直言ってこんなことを報道されるなんて夢にも思わなかったから、何をすればいいのか検討もつきません」
『梢とのつきあいについては、知らぬ存ぜぬを通してください。実際に恋愛感情など、なかったのですから。少なくとも、北島さんには』
——少なくとも、北島さんには……。
森下の最後の言葉が耳に残る。
ワタルは電話を切りTVの画面を追った。
週刊誌が言う関係者というのはだれだ。友人? 仕事仲間? スタッフ?
匿名という鎧で守られた情報提供者は、どの程度の信頼性かを示すことなく無責任に話を垂れ流している。相手がわからない以上、抗議もできない。
「それにしても……」
ワタルはテレビの画面を見ながら独りごちた。
日下部にアドバイスをもらった時点で、すでに手遅れだったということか。
「まさかこんなことになるなんて。森下さんや日下部さんが予想した通り、おれまで巻き込まれてしまったな」
テレビに映っているのは間違いなく自分の写真や似顔絵なのに、どこか遠い世界の出来事のようだ。
バンドメンバーが誰ひとりこのような報道に縁がなかったせいか、画面の中の話がドラマのワンシーンに思えてならない。
また電話が鳴る。今度は事務所からだ。
『世良です。情けないことに今朝の報道で知りました。うちのミュージシャンが芸能ニュースに載るなんて考えたこともなかったので、アンテナをまったく張ってなくて……』
所属事務所オフィス・レインボウの世良仁社長だ。
「こちらこそすみません。まさかこんなことに巻き込まれるなんて」
『実際のところ、浅倉さんとは?』
「ただの友達——妹みたいなものです。でも熱愛について今は否定も肯定もしないでください。彼女の気持ちを考えて」
『彼女の気持ち……?』
世良は二、三秒言葉を止めた。
『ああ、なるほどそういうことですか。解りました。北島さんが納得しているのなら、そのように回答します』
世良はワタルの言わんとしていることを理解してくれた。
「メンバーにはおれが時期をみて話します。いろいろと混み入っているので、ある程度見通しが立つまで何も話さないでください」
『で、このあと北島さんはどうします?』
「と言われても……今聞いたばかりで、自分でも決めかねています」
『そうですよね。こちらでも対処方法を他のスタッフと検討します』
未経験の事態に世良も困り果てている。多方面への影響や手配を考えると、これから事務所が忙しくなるのは火を見るより明らかだ。
申し訳ない気持ちを抱きつつ、ワタルは通話を終えた。
一度に多くのことが動いて、どこから手をつければいいのか。さすがのワタルも、優先順位がすぐにつけられない。
「そうだ、沙樹に」
連絡帳で沙樹の番号を表示させる。芸能ニュースの報道はでたらめだと真っ先に知らせなくてはならない——と考えたところで、ふと手が止まった。
近ごろのワタルは、沙樹よりも梢と過ごす時間が長かった。こんな状況では、何も知らない沙樹が熱愛報道を鵜呑みにしても仕方がない。
どんな理由があるにせよ、沙樹を放っておいたことは事実だ。
「いや、そんなこと考えている場合じゃないな」
すべてを話すなら今しかない。朝の忙しい時間に電話するのは気が引けたが、迷っている時間はない。