第三話 狙われたアイドル(七)
電話不精より、声が聞きたい気持ちが勝った。
スマートフォンを取り出し、愛しい人の住む方角を見つめながら、電話をかける。五回のコールで沙樹が出た。
『ワタルさん? あれ、今何時?』
寝ぼけた声に時刻を訊かれ、ワタルは壁の時計を見た。
「あ、ごめん、もう一時を過ぎてた。起こしてしまったね」
『ううん、いいの。声が聞けてうれしいな』
「局で会えたのに、話す時間が取れなくて悪かったよ」
『仕方ないよ。局ではワタルさんとつきあってることはもちろん、学生時代にバンドのサポートをしてたってことも秘密にしてるんだもの。
でも今日の収録は、ちょっぴり寂しかったな。あたしは大っぴらに話せないのに、浅倉さんは武彦さんやワタルさんと楽しそうに会話してたでしょ。妬けちゃったよ』
「仕事だから、沙樹が羨ましがる必要なんてないさ」
口ではそう言ったものの、ワタルは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
『そうよね。でもよかった、話せて。最近は電話もメールも少なかったでしょ。寂しかったんだから』
「ツアーも終わったから、なるべく連絡を入れるよ」
『いいよ、無理しなくて。ワタルさん、電話無精で筆無精だもん。
それにつきあいをオープンにしてない以上、こういうことは覚悟してこの仕事を選んだのよ』
沙樹は多少のことは我慢してくれる。そしてワタルは、その愛情と信頼に甘えてきた。
「沙樹、本当にありがとう」
『え? なに急に。いつもと違うんじゃない、今日は。何かあったの?』
「いや、いつもと変わらないよ。明日も早いだろ? おやすみ」
『おやすみなさい。夢でおしゃべりの続きをするね』
名残惜しい気持ちを胸に、ワタルは電話を切った。街灯りを頼りにバーボンのロックを準備し、タバコに火を灯す。
沙樹の声を聞いても、胸に広がる黒い霧は消えなかった。
窓を閉め切った部屋の中は物音ひとつしない。
静けさに苛立ち、ワタルはオーディオの電源を入れた。
スピーカーからクラシック音楽がひっそりと流れ始め、雨だれのようなピアノの音がワタルの心に静かに降る。
窓ガラスの内側がわずかに曇っていた。秋も終わりかけ、ガラスの向こうには凍てついた冬の夜空が広がる。
コンクリートに囲まれた世界に住んでいる者たちは、季節のうつろいを遠くに感じながら生活している。完全冷暖房に頼り、四季を彩る風を感じることもなく、豊かな自然がすぐそばにあることを忘れてしまった。
そんな世界に住む人たちに、夢をどうやって届ければいいのだろう。
音楽を通じて夢や希望を伝えたいなどという目標は、大それたものではなかったか。
だれかが浴びるスポットライトには、必ず影ができる。
影にいることを強いられた人々から向けられる憎悪。自分は他人の犠牲の中で、光り輝いているという現実。
意識していようとなかろうと関係ない。
その中で、息をつく暇もなくたったひとりで戦い続ける梢にとって、ワタルからのささやかな思いやりは、大切でかけがえのないものだったに違いない。結果的に梢は自分自身を、ワタルにとって特別な存在だと解釈した。
ワタルの優しさを「愛されている」と思い込むことで最後の拠り所にし、激しい妨害を乗り越えてきた。
心のささえになったがゆえに信頼が形を変え、やがてそれは、次の悲劇を引きおこす。
優しさは強さでもあり、刃にもなる。
優しさゆえに、人の心を傷つける。誰かを守るために抜いたはずの刀が、守るべき人を傷つけ、大切な人の心を切り裂こうとしている。
梢にしたことは、本当に正しかったのか。自問自答を繰り返しても答えは見つからない。
その疑問はいつしか、ミュージシャンという職業に対する疑問へと広がっていった。
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