第三話 狙われたアイドル(六)
「梢の周りでささやかれている噂を、耳にしたことがないですか?」
森下の問いかけに、ワタルは首を横にふる。
「梢が独立するとき、子役時代の事務所と揉め事があったのはご存知ですね」
ジャスティのマスターが日下部と話していたことを思い出し、ワタルは「はい……」と答えた。
「独立の際、私も一緒にあの事務所から出ました。その後、うちの運営が軌道に乗ってから、子役時代の仲間やスタッフ数名がうちに移ってきました。
どうやらそれが原因で、前の事務所が何か報復を考えているらしいのです。あくまでも噂ですが」
前の事務所の社長は難しい人物だと、ワタルも耳にしたことがある。だがそれがそのまま妨害行為につながるわけでもなかろう。
「梢の成功を妬むものは数多くいます。この世界で生きていくために、自分より上の人間を引きずりおろそうとする人は、残念ながら存在します。
うちも弱小プロで、梢以外は駆け出しのタレントばかり。もっと大きくて力のある事務所だったら、探偵を雇って調査するなどの対応ができたかもしれません」
森下は苛立と不安を抑えるように、スクリュードライバーを飲み干した。
「これが原因で、北島さんたちにご迷惑をおかけするかもしれません」
森下は申し訳なさそうに頭を下げた。
だが森下には悪いが、大袈裟に考えているように思えてならない。
仮に嫌がらせが火の粉になってオーバー・ザ・レインボウに降りかかったとしても、その程度で仲間たちがへこたれる訳がない。
なんとかなる。仲間たちがいる限り、何が起きても立ち向かえる。
そのときのワタルはそう信じて疑わなかった。
☆ ☆ ☆
マンションに帰ってからも、ワタルは森下の言葉が気にかかっていた。エレベーターで最上階に上がる間も、その意味するところをずっと考える。
——北島さん、梢のささえは、ご自身だってことにお気づきですか。
「ささえ、か」
森下はそう表現したが、裏に隠された意味は説明されなくとも解る。
誰に対してもするようなレベルのお節介とお人好しだった。それがこんな事態を招くとは思わなかった。
親切心から取った数々の行動が、梢の心に予想以上に影響を与えてしまった。
エレベーターが到着した。静まり返った通路に足音だけが響く。
ワタルにとって梢は、妹のような存在にすぎない。妹だからわがままも聞いたし、相談にも乗ってきた。
家庭教師をしてくれと強引に近づいて来たときも、沙樹より梢を優先して勉強を教えた。
これまであまり学習に取り組めていなかったのが、教育学部出身のワタルには気の毒に思え、なんとかしてあげたいと思ったからだ。
だがそれらの行動が、梢には別のものに見えていた。
漠然とした予感はあった。終業式の日に訪ねてきたとき、梢の心が垣間見えた。
沙樹という存在がなかったら、ワタルは梢の気持ちに応えただろうか。
「いや、それはないか」
どこまでいっても妹はそれ以上の存在になれない。
梢の心を惹きつけてしまったのは本当に計算違いだ。だがそんな言葉はただの戯言だ。言い訳にすらならない。
鍵を開けて部屋に入り、ワタルは明かりを消したまま窓のそばに立った。
カーテンを開けると眼下に街の灯火が広がる。高層マンションの最上階にある部屋からは、都会の景色が見渡せる。目を凝らせば沙樹の住むマンションも見えた。




