第二話 甘え上手とお節介(九)
相手が未成年だから余計に気を使う。別れたばかりの細井を呼び出そうとスマートフォンを手にしたタイミングで、部屋のチャイムが鳴った。
『ワタルさん、オートロック開けて』
「あ……はい」
説教して帰らせるつもりだったが、トップアイドルのきらめく笑顔に押されて、ワタルはロビー入り口の鍵を解除した。ほどなくして梢が玄関まで来て、もう一度チャイムを鳴らす。ワタルは大きく深呼吸をし、部屋の扉を開けた。
「こ、ん、に、ち、は、ワタルさん。はい、お土産」
屈託のない笑顔で、梢は手提げつきの小さな箱を出した。駅前にあるケーキ屋のラベルが貼ってある。沙樹もときどき利用するなじみの店だ。
制服を着ているところを見ると、学校帰りに寄ったというのは本当だろう。
「あ、ありがとう」
梢はちゃっかりと部屋に入り、リビングのソファーに座った。
ワタルは念のためマンションの廊下に出て、左右を見て誰もいないことを確認する。人の気配がしないことに安心し扉を閉めた。
追い返せない自分が優柔不断なのか。それとも梢の押しが強いのか。翻弄されっぱなしのワタルは肩を落としてキッチンに入り、梢にふるまうコーヒーをセットする。
持ってきてくれたケーキを皿に乗せていると、
「あたしにやらせて」
梢が背後から声をかけてきた。手伝おうとする気持ちはありがたいが、初訪問でキッチンに入るのはいくらなんでも踏み込みすぎだ。
「お客さんは座っていなさい」
ワタルは梢の背中を押して、リビングに戻らせた。
「お客さん扱いしなくていいのに」
「コーヒーを淹れるくらい簡単だよ。それに料理はおれの趣味だから、手伝いは不要なんだ」
「料理が趣味なの? ステキ! あたしワタルさんの手料理が食べたいな。そうだ、今日の夕飯作って」
「無茶言うなよ。ツアーでずっと留守にしてたから、材料は揃ってないんだ」
「あん、ワタルさん。そんな意地悪言わないで。それより、これを見て」
梢はカバンから筒を取り出し、中に入った賞状を広げた。
「ワタルさんのおかげでもらった賞状よ。手料理でお祝いしてもらえたら、二学期はもっと頑張るし、大学受験も絶対うまくいくのに……」
梢は唇をすぼめて上目遣いで、キッチンにいるワタルを見た。
また梢が詩織と重なる。
妹と同じ目で頼まれると、邪険にできない。当時は自分も未熟だったせいで、詩織を泣かせるような失敗を重ねた。義兄妹だけにあとで罪悪感に苛まされた。その後悔こそが自分の弱さだ。
ワタルはコーヒーとケーキを持ってリビングに戻った。
テーブルの上にある賞状は、梢の努力が認められた証しだ。忙しい中で協力してよかったとワタルは心から嬉しくなる。
「おめでとう。苦手意識さえなくなれば、案外できるもんだろ?」
「本当にそう思う。頑張ってよかった。ありがと、ワタルさん」
と言うと、いきなり梢がワタルの胸に飛び込んできた。
「わわっ」
勢いに押されて体を支えられず、ワタルと梢は抱きあったまま床の上に倒れた。
長く伸びた髪がワタルの頬をくすぐり、コロンの甘い香りに包まれる。
さすがにこれはやりすぎだ。
詩織すらこんなふうにハグしてきたことはない。
「あの……梢ちゃん……」
ワタルは肘をついて上半身を起こした。梢はまだ胸元に顔をうずめたままだ。
「どくん、どくんって音がする」
「え?」
「ワタルさんの心臓の音。細いと思ったけど、胸板が厚いんだ」
顔を上げた梢とワタルの視線が絡んだ。大きな瞳がすがるようにじっと見つめる。
ただのハグだと解っていても、ワタルはどうにも居心地が悪い。
そのとき、着信音がワタルと梢の間を割って入った。
沙樹からのメッセージだ。今日帰ると伝えておいたから、仕事の合間に連絡をくれたのだろう。留守の間、観葉植物を世話してくれたことを思い出す。
小さな思いやりに愛しさが募った。




